言葉の鳥「bird of language」②
記調律 asterism
唐突に天上に顕現される無数の未知言語。
蒼く儚げな光柱を地に降らすそれらの文字はまるで鳥のように空を舞い、飛び去っていく。
いつしか人々は天上に顕現した文字列を記調律と呼び崇め、文字一つ一つを言葉の鳥と名付けた。
夜空を蒼く埋め尽くすほどの言葉の鳥達が、メイジとアメリーの頭上を飛び交っている。
「これって……」成す術もなく、ただ呆然と立ち尽くしたままにメイジはかろうじて声を絞り出した。
「言葉の鳥ですよ」
「言葉の鳥?」
「bird of language。言葉の鳥は人々の願望が、祈りが姿となって私達の前に現れたものだと、文書には記述されていました」
「でも、この世界は……」メイジは言いよどむ。
「たとえ仮初だとしても、今、この瞬間に私とメイジさんが見ている世界はたしかに存在しています。そうは思いませんか?」
アメリーの笑顔が、言葉の鳥達の光柱にやんわりと染まり、儚げに見えた。
「アメリー。君もロストボディなの?」
メイジは思い切って、空を見上げうっとりと瞳を細めているアメリーの横顔に訊ねかけた。
「私、記憶がないんです」
メイジは……、言葉を止めた。
「どうして此処にいるのか、私が誰なのか、誰も教えてはくれません。だから、私は言葉の鳥に願いを込めたいのです。私の事を教えてくださいと」
アメリーとメイジの頭上から次々と去っていく言葉の鳥達。それは圧倒的な一本の流れとなり、蒼穹の群れは凄まじくうねりながら果ての山へ向けて遠ざかっていく。
「待って!」
アメリーが必死に叫ぶと、言葉の鳥達を追うようにして駆け出した
「アメリー!そっちは!」
不可侵点を脱け出し、薄闇に紛れていくアメリーの後姿。
「放っておけるわけ……ないよね」
僅かに立ち止まり思考したメイジは、彼女の跡を追いかけようと決心し不可侵点から飛び出した。
薄闇に覆われた平坦な地で、アメリーは複数の影に囲まれていた。
彼女は、ただ困惑の眼差しを彼等に向けることしか出来ず、口をつぐんだまま、遠く忘却の果てへ遠ざかっていく言葉の鳥達を歯がゆく見送った。
「お嬢ちゃん……こんな時間に一人で出歩いちゃいけないって、お母さんに教わらなかったのかい?」
囲む影は5つあり、その中の一つ。アメリーの右手側を陣取っている長身な人影が茶化すように言う。嫌らしさをたっぷりと含んだ物言だった。
「なぁ、あぎと。こいつやっちゃっていいよな?」
「別に……好きにしろよ」
あぎと。と呼び掛けられたアメリーの正面に立っている背の低い人影の素気ない返事。
あぎと以外の4人が、じりじりとアメリーの逃げ道をふさぐ様にして、近づいていく。
「や、やめてください」先程までの高揚が冷めたアメリーは自身の置かれている立場を、その危機感をやっと認識した。
「これだからネットゲームはやめられないぜ」
アメリーの背後で誰かが呟く。
「やめてください!」
聞き覚えのある声。忘れようがなかった。
つい先程、彼女と一緒に言葉の鳥を眺めていた少年。メイジの声だ。
アメリーはすがるような想いで、声の聴こえた背後を振り返った。
メイジは言葉の鳥が降らせる光柱と同じく、蒼く発光する焔を両手の先から燃え上がらせていた。
「なんだ、それ」
アメリーを囲んでいる一人が、若干、怯えまじりな声をもらした。
「ふーん、やっと面白そうな奴が来たな」
あぎとと呼ばれている影の、先程までの無関心な装いから一変し、嬉しそうな口ぶり。
「どうする?あぎと」
再び、長身の影があぎとへ問い掛ける。
「いいじゃん、やっちまえよ」
あぎとの声を受けて、他の4人は標的をメイジに変える。
メイジはごくりと、唾を飲み込むと冷静に相手の出方を窺う。
一対一の模擬戦しかこなした事のないメイジにとって、初めての対複数戦闘だった。
彼は焦りを悟られまいと、平静を装いつつ構える。
左手をすっと前に伸ばし、右腕は肘を浅い角度で曲げて、ボクシングに似た構えを取った。
「拳闘士かよ、レベルはあんま高くねぇみてーだな」
一番距離を詰めている太った影が、メイジに語りかける。
「謝れば許してやるけど、どうする?」
「それはこちらの台詞です」メイジは凛と答えた。
「あぁ、そうですか……じゃあ、死ね」
先頭に立っていた太った影がメイジに襲いかかる。右手には刀身の湾曲した剣を握っている。
メイジの蒼焔にあてられて、暗闇から姿が浮き彫りになる。
斬られれば死ぬ?
言理と何度も交えた模擬戦。その時と同様に蒼炎で刀を受けようと考えていた刹那。唐突にメイジの胸中から恐怖が沸き上がった。
みっともなく腰を抜かし、かろうじて相手の横薙ぎに振われた剣をかわした。
「ははっ、なんだこいつ。口だけかよ」
後ろで眺めていた人影の一人が、メイジを見て鼻で笑う。
大丈夫。やらなきゃやられるんだ。きっと大丈夫……うん、賭けてもいい。
震えている膝を無理矢理に立たせ、彼は鋭く相手を睨みつける。
そして、右手の甲に、左手の平を合わせ前方へ突き伸ばした。
眼前に立ちはだかっている太った男性に向けて、蒼弾を撃ち放った。
メイジの予測不能な攻撃に、反応する暇もなく太った男性は脳天に蒼弾を受けた。
「はっ、一撃だと!?」
「ありえねぇだろ」
「おいおい、なんだおまえ。星武器所持者か?」
残った3人が動揺して口々に声を荒げる。
星武器?聞き慣れない言葉に戸惑いを覚えつつも、メイジは続けて蒼弾を長身以外の二人に向けて撃ち込んだ。
「まじで調子のんなよ、てめぇ!!」
長身の男が巨大な両刃斧を振り上げた。
重厚な鉄の斧が、メイジの頭上目掛けて振り下ろされる。
これぐらい、言理の剣捌きに比べたら……。
メイジは心の中で呟くと、身体を回転させながら横に逸れて斧の刃を避けた。
そのまま一回転して、ながれるような動作で長身の男性の真横を位置取ると、脇腹目掛けて蒼焔揺らめく掌底を打ち込んだ。
「ぐっ」と鈍い声を上げると、呆気なく仰向けに地へ伏せた。
「やるじゃん」
残された一人。あぎとが飄々と言った。
「大丈夫?アメリー」
メイジはアメリーの元へ駆け寄ると、どこか怪我はしていないかと、彼女の全身を控えめに見回した。
「ありがとう」
アメリーはぼそりと、感謝の言葉をメイジに向けて発した。
アメリーを背後に庇うように立ち、メイジはあぎとへ呼びかける。
「気絶させているだけです。この人達を連れて大人しく引き下がってください」
メイジの忠告を受け、あぎとは反抗するように一歩、前へ踏み出した。
「はぁ?知るかよ。勝手にログアウトすんだろ……そいつらはただの廃人ゲーマーだからな」
メイジは、あぎとの言い方に微かな違和感を覚えた。
「てめぇらも、この世界に引き込まれた側の人間だろ?」
もう一歩、メイジ達の方へと歩み寄るあぎと。うっすらと彼の姿が暗闇から這い出てくる。
鋭く尖った八重歯の突き出た口を裂くように開け、メイジ達に蔑んだ眼光を向けている。
世界観に似合わない黄色いパーカーにジーンズというラフな服装をしている。
「俺はバジリスク所属。あぎとだ……二カ月前に、現実からこっちの世界。ニューエイジにやってきた」
「僕はメイジです。ロストボディになってからは、一週間ちょっとになります」
「へぇ、一週間でもうそんなに割り切ってんのか?すげぇな、俺なんて二週間はトワイライトの宿屋にひきこもってたぜ」
あぎとはおどけた調子で、続ける。
「職はなんだよ?」
「拳闘士です」
「嘘だろ?そんな戦い方する拳闘士は見たことがねーぞ」
「よくわからないけど、少しだけ特殊みたいで」
「少しだけ……ね」
「大丈夫ですか?」
背後からアメリーの不安そうな声が聴こえる。
「うん、大丈夫かな」
根拠は無かったが、彼女を安堵させたくて、メイジは答えた。
「俺の職はな……」
あぎとは途中で口を閉ざすと、両腕をぶらんと脱力させて垂らした。
そして、膝を曲げて屈みこむとぎしぎしと歯を噛みしめて、唸るような声を出し始めた。
「狂戦士だ」
その言葉を最後にして、あぎとは眼球を真っ赤に染め、口を大きく開け放ち獣のような雄叫びを上げだした。
「アメリー下がってて」
蒼焔の吹き出している両腕を前に伸ばし、宙に円を描く。
蒼焔の盾が目の前に浮かぶ。
あぎとが姿勢を獣のように縮めながら、メイジ目掛けて疾走する。
メイジは盾から距離を離し、右足首に蒼焔を纏う。
当然のように盾を避けて、回り込むあぎと。
牙を剥き出しにして、メイジへ襲いかかるあぎと。
メイジは蒼焔を纏った右足を膝を曲げて上げると、勢いよく地面へと振り下ろした。
右足が地面を打ちつけた瞬間、蒼焔が粒子状になって周囲に飛散した。
自身の真っ赤な眼球に蒼い粒子が飛び込み、あぎとは激痛に悶える様な呻き声を上げながら、メイジの脇を転がり抜けていった。
しかし、あぎとは即座に姿勢を立てなおすと、足元に転がっていた小石をメイジ目掛けて投げ飛ばした。
右手の平を前に向けて、蒼焔を放出する。
蒼焔を受けて、反発した小石は再びあぎとの傍まで転がってきた。
「バジリスクって組織に属してる手前、連れの仇ぐらいは取らなきゃいけねーんだよ」
あぎとは怒号の声を上げ、メイジに叫ぶ。
「女は見逃してやる。だが、てめーはやりすぎた。無傷で帰すわけにはいかねー。腕の一本ぐらいは貰うぜ」
あぎとは懐から小型とは言い難い、漆黒の刀身に、歪な刃を持つ短剣を抜いた。
「星武器だ」メイジの蒼炎を反射して煌いている黒刃の短剣を片手に、あぎとは忠告らしき口振りで告げた。
「正式名称は、宝星具。希少価値の高い未知数な性能を秘めている道具です」
遠く後ろから、アメリーが大声で呼びかけている。
「そういう事だ、用心しろよ?」
あぎとは先程までの獣の如き姿勢を止めると、星武器を自身の視線の高さで、真横に構えた。
「もう手遅れだけどな」
あぎとがぼそりと囁く。
同時に、メイジの視界がふらりと左右に揺れ動いた。
「えっ?」
「強制催眠だ。俺の星武器「いざない」は刀身を目にしている相手に睡眠効果をもたらす。もうじき……お前は睡魔にやられる」
全身の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
かろうじて両手を地面につけ、うつ伏せに倒れ込むのを阻んだ。
「じゃあな」
頭上から、あぎとの冷徹な声が響く。
「やめて!」
背後からアメリーの悲痛な叫びが響く。
メイジが必死に睡魔に抗い、あぎとを見上げる。
いざないの切っ先をメイジに向けて、あぎとは伏し目がちに、真っ赤な眼でメイジを見下ろしていた。
「安心しろ、殺したりはしねーから」
別離の言葉を吐き、あぎとはいざないをメイジの右肩目掛けて振り下ろそうとした。
一瞬だった。
霞んだメイジの視界からは、突然、あぎとが台風のような強大な風に吹き飛ばされたのかと思った。
遅れて、首を動かしてあぎとの行方を追う。
彼は数メートル先の平面に突き出た岩に全身を打ちつけて、ぐったりと顔を伏せている。
「お前、葬儀人を知ってるか?」
メイジに問い掛ける声。
その正体を確かめようと、あぎとが吹き飛んだ方角の反対側に視線を向けた。
灰色の髪に真っ黒い瞳孔。
不思議な形状をした拳銃を二丁、両手に持ち構えたまま、青年はもう一度、メイジに問いかけた。
「葬儀人を……知っているか?」