始まりの街 「 トワイライト 」⑤
「どうして聖堂なんですか?」
メイジは素朴な疑問を、前方を歩いている二人へと投げ掛けた。
「聖堂は本来、継続する状態異常や戦闘不能者を蘇生させる施設なんだけどね、治癒が終わった時に、各々のステータスが表記された診断表みたいなものを渡してくれるのよ。意識混濁性消失障害の私達にとっては、それが唯一の自分自身のパラメーターを知る手段なの……今の所はね」
「なるほど……」
メイジは続けて訊ねる。
「じゃあ、どうして紋様石を彫る前に、職を知らないといけないのです?」
「職毎に刻める恩恵が異なるからだ」
「なるほど」メイジは先程と同じ言葉をもらした。
「ここよ」
気付くと、眼前には聖堂らしい縦に伸びた造形をした建物がそびえていた。頂点に立つ銀色の十字架がきれた輝きを放っている。
無駄に大きい両開きの扉を押すと、床と扉との金属同士が擦れて、耳障りな音が鼓膜をついた。
奥行きのある空間、見上げると高い天井の合間には色彩豊かなステンドグラスがはめ込んであり、側壁には神々しい天使達や虹色の翼を広げている鳥の絵画が飾られている。
メイジが室内の装飾に見惚れていると、言理が一人奥へと早足に進んでいく。
「言理に任せておきましょ」
エルは横長に連なっている座談席に座ると、ステンドグラスを見入る様に首を傾けている。
自分の職が何であるのか、不安と期待の入り混じった複雑な心境で、メイジは奥で神父らしき人物と話している言理の姿を見守っていた。
もし魔術師とかなら、これから先、自分でも戦えていけそうなイメージはある。でも、斬刀士とか、槍闘士とか肉体戦闘を主とする職だったら……絶望的に思えた。
メイジは落ち着かない素振りで、聖堂内の紅いカーペットの上を行ったり来たりしていた。
「貰ってきたぞ」
言理は薄茶色の布をくるくると巻いて縄紐で結んである束を片手に持ちながら、メイジ達の前に戻ってきた。
「ほら」
言理が布束をメイジへと手渡す。
メイジは震える手先を必死に鎮めながら、一度、深く呼吸すると結ばれている紐をほどいた。
巻かれていた跡が残り、端の歪曲している布を広げて、メイジは絶句した。
布紙には、黒墨らしき文字で、殴り書きのような書体で、こう書かれていた。
メイジ Lv2 拳闘士
言理 Lv19 刀剣士
エル Lv13 付術師
「拳闘士って……」
「素手で闘う職だな」言理が躊躇わずに、はっきりと告げた。
失意を隠しきれていないメイジの悲惨な面持ちを前にして、エルは語りかける。
「受け入れるしかないわ。拳闘士はどの武器を持っても弱体化補正がかかってしまうから、選択肢はないもの」
「そんなのって……、無理だよ。僕には」
「だったら諦めて、どこかで野たれ死ぬか?」
メイジは黙したまま、ステンドグラスを見上げる。
幻想的な色彩、神秘的な美しさを秘めた小さな世界を見つめて、少年は小さな口を動かした。
「このまま、何も分からないままに死にたくなんてない」
「俺達はこの狂った世界に問い続けている。いつか、世界が答えてくれると信じて。メイジ、お前も諦めるな。帰るべき場所があるだろ?」
どうして彼女達はこんなにも気丈に振舞えて、こんなにも存在が眩しいのか、メイジは心の中で誰かに問い掛けた。
言理の想いを受けて不意に浮かんだのは、現実で待っている筈の家族の姿だった。
溢れてしまうと歯止めがきかなくなりそうで、メイジは眼尻に滲んだ涙を手の甲で乱暴に拭った。
「そうだね」
「大丈夫。君は強くなるよ。賭けてもいい」
エルが独特な言い回しで、メイジを勇気づける。
「さっさとフィズに紋様石を刻んでもらって、星道からオーロ野営地に向かうぞ」
「オーロ野営地?」
「私と言理が、この世界に慣れるまで特訓していた場所よ」
「お前を徹底的に鍛える」
言理のぶっきらぼうだけど、どこか親しみのこもった物言い。
メイジは心の中で自分自身を叱咤し奮い立たせると、普段よりも声を大きくして声を返した。
「お願いします!」
「任せろ」
「ふむ……」
フィズに聖堂で貰った布紙を渡すと、彼は独り思索し始めた。
「紋様石をかして貰ってもいいかな?」
メイジは無言で頷くと、細長く伸びているフィズの手元に黒石をのせた。
エルと言理は、扉の傍でメイジ達の様子を見守っている。
「どこだったかな」とフィズは突然、辺りに散らばっている書物を漁り出した。
「あぁ、これだ」フィズの腕が、メイジの足元にぐいっと伸びてきて、メイジは慌てて飛び跳ねるように後ろへと下がった。
フィズは先程までメイジが立っていた場所のすぐ傍らに落ちていた黄土色の本を手に取ると、ぱらぱらとめくりだした。
「あの、辺りに散らばっている本って……?」
「この世界の本だよ。読んでみると解るが、とても精密に書かれている。いや、創られているかな。まるで、初めからネットゲームに人々を取り込む事を想定していたと言わんばかりにな」
「フィズはニューエイジ内の書物を読み漁って、この世界の仕組みを紐解こうとしているの」エルが彼の在り方を説明する。
「その副産物として、気づいたら紋様石に紋様宮を刻めたり、他にも……まぁ、色々と出来るようになっていた」
「フィズさんは、いつからこの世界に?」
「正式にサービス開始された5月からだな」
彼は淡々と口を動かした。まるで、それ自体には大した意味はないと割り切っているように。
「現実の自分がどうなってるのかとか、気にならないのですか?」
口にして、メイジは少し無神経な質問だったと後悔した。
「気にしても仕方ないだろう。それに、あっちはあっちで働いて寝るだけの世界だ。大した未練もない」
うんざりだ。とでも続けて口にしそうな憂鬱さが、彼の表情から滲み出ていた。
メイジはロストボディの誰しもが、元の世界に戻りたいと懇願しているものだと、知らずの内に決め付けていた。
価値観は人それぞれだ。ロストボディの中には、こちらの世界の方が居心地が良いと笑顔で話す人も居るのかもしれない。
でも、それは根本から間違っているのではないか。メイジの胸中にそんな曖昧な疑心が芽生えたが、彼はそれを口には出さなかった。
「どういう事だ……、拳闘士の基盤通りに刻んでいる筈だが、聖堂の不具合か?いや、あり得ない。紋様石にも資質があるのか、だがあるにしても、チュトで採取できる黒石にここまで複雑なものがあるとは思えない。待てよ、逆説か、この石に刻める紋様宮を探していけば……しかし、それでは非効率的過ぎるが」
フィズがやや感情的に、早口でぶつぶつと独り言をもらしている。
「どうした?」
フィズの違和感を素早く察知した言理が、フィズの傍へと近寄りながら声をかけた。
「これは本当にトトンの森の泉で取ってきた石なんだな?」
「あぁ、そうだ。なにかおかしいのか?」
「見てくれは泉の紋様石なんだが……大分、中身がいかれているな」
「どういう事だ?」
「成程な。今わかったが、どうやら刻める恩恵が限定されている」
フィズは、メイジが無作為に選んで拾ってきた筈の黒石を指でつまんでのぞき込んだ。
「所有者のエントの許容量を、強制的に増幅させる恩恵みたいだな」
「エントの許容量の増幅?」メイジが訊ね返す。
「あぁ、元ある水瓶の口を無理矢理に引き伸ばして、より多くの水を貯めこませるようなものだ」
「でもそれって……」エルが珍しく、やや甲高い声で会話に割り込んだ。
「エルの想像通りだ。本来の許容量を常に超えている訳だから、存在渇望症候群を発症させる可能性が極めて高い。いつの間にか廃人に成り果てていた。なんてことが冗談ではなくなる」
言理、エル、フィズの視線がメイジに集中する。
メイジは伏し目がちに、……あぁ、そういうことか。と状況を受け入れつつも素知らぬ振りで、3人へと質問した。
「他の紋様石を取り直すというのは?」
「これは俺が一般プレイヤーから人伝いに聞いた話だが、紋様石は一国で一つしか取れず、ナノケリアではトトンの森の泉の他には取れる場所はないらしい。そして、ゲームの仕様上、一度取った紋様石を手放すことも、もう一度取り直すことも認められてはいない」
「僕は、その石を持ち続けなければならない。という事ですね。少なくともナノケリア以外の国に行くまでは……」
「そうなるな。紋様石の紋様宮を刻み直すという仕様は、ナノケリア城まで進めば可能になるらしいが、この紋様石の場合、他に刻める紋様宮がないからな」
重苦しい沈黙が空気を占める。
フィズは細い目を更に細めて、紋様石に呪文を唱え出した。
人間離れしたフィズの発声を耳にしながら、メイジは漠然と、自分の立場を受け入れようと「大丈夫、僕は大丈夫」根拠なき自信をつけようと、心の中で葛藤を繰り広げていた。
「君なら大丈夫よ。賭けてもいいわ」
「エルはその言い回しが好きですね」
「えぇ、私の好きな小説家の作品に出てきたフレーズなの。でも、私は本当に賭けるに値する時にしかこの台詞を口にはしないの。だから安心して」
「完成だ」
フィズの手の平の上で、平たい透明度の高い黒色の紋様石が、表面に優しげな白い光を放つ曲線の多い紋様を浮かび上がらせていた。
「実感しにくいと思うが、これで君は許容量の限界を越えてエントを貯めこめる筈だ」
「あまり悠々と過ごしている猶予はなくなったな」
「食事ぐらいは行きましょうよ」トトンの森でのやり取りを思い出して、メイジは深く考えずに提案した。
「あぁ、そうだったな」先程まで深刻そうだった面持ちを崩して、言理は微笑んだ。
「行きつけのお店があるのよ。行きましょう」
「また何かあったら、いつでも訊ねてくるといい」
「フィズありがとな。助かったよ」
「ありがとうございました」
言理とメイジが礼を述べて、扉を開け放したまま外へ出て行った。
「エル。原書の読み手からはまだ連絡が来ないのか?」
「えぇ、私の人形がレイムとメローの所へ辿り着いたのは確かだと思うのだけど……」
「そうか」
エルは小声でフィズと数回やり取りを交わすと、何事もなかったかのように自然な素振りで扉を閉め、言理とメイジの元へ歩み寄って行った。
3人が部屋から姿を消して数分後、再び静寂に包まれた室内で、フィズは独りか細い声をもらした。
「あれもまた、理想郷の先駆けとなる者なのか」