始まりの街 「 トワイライト 」④
━━トワイライト 南東ゲート。
メイジは、言理とエルに見守られつつ門番兵に紋様石を取ってきた事を報告した。
門番兵は素気なく、お疲れ様でした。とだけ述べると、槍を持った手とは反対の手をすっとメイジに伸ばしてきた。
その手には、布口を紐で縛ってある小さな子袋が握られていた。
「報酬だから、貰っておくといいよ」
エルの説明を背後から聞き、メイジは変に恐縮して肩を縮めながら両手で袋を受け取った。ずしりと重たい感触が両手にのしかかった。
一旦その場から離れて中央広場。大樹ムージュの下まで歩くと、エルが空き部屋をもう一つ借りてくると一人で宿屋へ入り込んでいった。
「すみません、僕のせいで」
ベンチに言理と並んで座ると、メイジは唐突に謝った。
「気にするな、同じ部屋で寝たいとか言い出す奴の方が余程、面倒だからな」
「そんな」
もし言理とエルと同じ部屋に泊まることになったら、と場面を想像して、メイジは自身の鼓動が少しだけ早刻みになったのを感じた。
「頬が赤いぞ」
「えっ」
慌てふためくメイジを見つめ、言理はくすりと笑みをもらした。
「思ってたよりも、お前は強いな」
突然、強いという言葉を向けられて、メイジはきょとんと口を開けたまま間抜けな表情で、言理を見つめ返した。
「僕が強い?……ですか?」
「あぁ」
「そうですか? 何もしてないと思うのですけど」
「だからだよ」
相変わらず困惑しているメイジを見て、言理は大樹ムージュを見上げながら口を開く。
メイジは、見上げている言理の黒髪が風でさらりと揺れるのを眺めながら彼女の言葉に耳を傾けた。
「俺達も誰かの事を言えるような立場じゃないんだけどな、普通、こういう異常な状況に独り置かれたら、もっと取り乱したり、誰かに八つ当たりとかしてしまうものじゃないか?」
言われて、メイジは自分が自分自身で思っている以上に、落ち着いているのだと気付いた。
「そうかもしれないですね」
「だけど、お前は見てる限りじゃあ、そこまで動揺もせずに正気を保っている。暢気に頬を紅潮させるぐらいにはな」
と、言理はからかう口ぶりで、メイジに笑いかけた。
「きっと、独りじゃないからですよ」
「そうだったのか?」
「言理とエルが居るじゃないですか。だから、きっと僕は落ち着いてこの異常事態と向き合えてるんですよ」
メイジの素直な想いを受けて、言理は気恥ずかしそうな、嬉しそうな曖昧な表情で呟いた。
「そうか」
「そうです」
二人は黙したまま、しばらく横風に煽られてざわめいている大樹ムージュの無数の葉を見上げていた。
「おまたせ」
「空いてたか?」
「なんとかね。隣同士で二部屋という条件が思った以上に厳しかったみたいで、受付には迷惑をかけてしまったわ」
「すみません」
「だから謝るなって」
言理がメイジの丸まった背を力強く平手打ちした。
半ば叩き起こされるようにしてメイジはベンチから腰を浮かす。
「さて、紋様屋に行きましょ」
「あぁ」
「はい」
本来なら背後から射し込む筈の茜色の夕日は、大樹ムージュに遮られており、三人が向かうトワイライト南西部一面に浅い影を落としている。
トワイライトの街並は大樹ムージュを中心として北東部と南西部にそれぞれ楕円形に伸びている。
北東部には、屋台や露店などが道沿いに並び立っていて、活気にあふれている。生活時間が人により様々であるネットゲームの特徴として、北東部から人影が途絶えることはほとんどない。
反対に南西部は、北東部よりも幅広い道が続いており、道の両脇を占めるのは屋台でも露天でもなく、丁寧に生え並ぶ細長い樹木と、樹木の脇にぽつぽつと置かれている色とりどりにペンキを塗りたくられているベンチのみだ。
人々は道の傍らでふと足を止め静かな一時を満喫したり、離籍(パソコンから離れること)放置している。メイジは大樹ムージュを境目に陽気と陰気が分別されたような印象をトワイライトの街並から受けた。
道の中央線を示すように設置されている街灯が、優しげな黄色い明かりで道に点々と円を描いている。
南西部の奥には、鍛冶屋、紋様屋、図書館、聖堂など、ニューエイジの各要素を詰め込んだ施設の集まりになっている。
エルと言理が慣れた足取りで、道の脇にあった小路へと姿を消していく。
メイジは慌てて、二人の背中を追うようにして小路の薄闇の中へと飛び込んだ。
狭く薄暗くなった小道を数回、左右に折れ曲がると、やがて不可解な文字列をした看板が目先に表れた。
看板は木材を縦に繋げただけの簡素な扉の横に立て掛けられており、細い角材で作られた看板の根元にはかぼちゃに似てずんぐりとした紫色の丸いものが、大小二つ置かれている。
「前に俺達が訪ねた紋様屋だ」
言理はそれだけ告げると、躊躇いもなく扉の持ち手を握り、勢いよく押し開けた。
扉が開いた瞬間、向こう側から鼻の奥をつんと刺激する鋭い匂いがもれだした。
言理とエルにつられて、恐るおそる室内へと踏み入る。
床に無作為に散らばっている書物。狭い室内の天井には、三角錐を逆さにしたような形状の控え目な照明が一つだけ吊るされており、右側の木造壁には大きな黒ずんだ染みが浮かんでいた。
一部屋と思わしき狭い空間の奥で、乱雑に積み上げられた本の地層に男性が埋もれていた。
「あぁ、なんだ君たちか」
無造作に伸びた浅黄色の髪に、よれよれの灰色の中折れ帽をかぶっている。やや頬こけた顔立ちに沈んだ黒い眼孔。丈の長い灰色のコート、首元を一回だけ巻いてだらりと下に垂れている白黒のボーダー柄マフラー。
男性は周辺に積み上げられた本を崩しながら立ち上がると、ようやくメイジに気付いた。
「意識混濁性消失障害か?」
メイジを見据えて、男性はロストボディの別称を口走った。
「そうよ」
エルが短く息を吐く様に小さく答えた。
「彼も、ロストボディなの」
エルはメイジの耳元で囁いた。
「君、名前は?」
男性が覚束ない足取りで、本を蹴り飛ばしながらメイジへと近寄る。
「メイジです」
「ふむ、かわいい名前だ」
そう言って、口の端を僅かにつり上げる男性。メイジは反射的に一歩、後ずさりした。
「冗談だよ。私はバイオレットフィズ……フィズとでも呼んでくれ」
無関心な様子で吐き捨てると、フィズは右手の爪を立てて後頭部をがりがりと掻きむしりながら声を出した。
「石」
ぶっきらぼうな男性の言葉の意図を把握するのに数秒必要とした。
「あぁ、はい」
メイジはトトンの森の泉から拾ってきた黒石を手の平にのせて、フィズへ見せた。
「悪くないな」
フィズはぼやくように、黒石を見つめながら独り勝手に話している。
「恩恵はどうする?」
「えっと……」
「決められなかった?」
エルがやんわりとメイジに問い掛ける。
「はい」
メイジは素直に頷いた。
「職はなんだ?」
フィズの問いに、メイジは困惑する。
彼は職を決める前にロストボディとなってニューエイジの世界に来てしまったのだと、三人に説明した。
「なら先に聖堂へ行ってこい」
「そういえば……、そうだったな」
ゲームの世界観に不慣れな言理は、職なる仕様を忘れていたなと後頭部を掻いた。
「聖堂はすぐ傍だから、あまり待たせるなよ」フィズは本を乱雑に寄せて、背中を向けて座ると左手をひらひらと振りながら言った。
「努力するわ」。
メイジは言われるがまま言理とエルに連れられて聖堂へと向かって再び狭く薄暗い小路を歩き出した。