始まりの街 「 トワイライト 」②
「俺は古祈愛 言理だ」
「僕は、この世界ではメイジと名乗ってます」
メイジは初クエストをクリアせず、言理と名乗る少女に連れられてトワイライトへと帰還してした。
大樹ムージュから枝分かれする街道をトンネルのように跨ぐ石造りの建造物へ踏み入る二人。
やんわりとした暖色の明かりと共にメイジ達を出迎えたのは、活気溢れる冒険者達の姿と、彼等の叫ぶような会話と、豪快な笑い声が織り交ざる事で生まれる賑やかさだった。
入って右側には冒険者達の靴底から剥がれ落ちたと思われる砂だらけになった反螺旋状の階段がある。
正面、多くの冒険者達が蒸しかえる奥に、受付と思われるカウンターらしきものが時々、ちらりと覗き見れた。
左側は丸い巨大な樹を輪切りにしたようなテーブルがいくつも置かれており、それらのテーブルを囲むようにして各々食事を取っていたり、談笑しているのが見て取れる。
メイジは改めて、眼前に広がっている光景が本当にネットゲームという架空世界での出来事なのかと目を疑ってしまう。
戸惑うメイジの心境を余所に、言理は受付と思われる女性の立っている奥へぐいぐい入り込んでいくと、数分も経たない内にメイジの所へ戻ってきた。
「203号室だ」
素気なくメイジに声をかけ、そのまま階段を登りはじめる言理。
「は、はい」
不親切な言理の態度に不安を覚えつつも、メイジは慌てて彼女の後姿を追った。
ぎしりと悲鳴をもらす階段を上がっていく。木造の壁面には、無差別に彫られた文字がたくさん浮いている。
「ダークヒーローなオレ様参上」何気なく目に入った文章を見て、変な部分でリアルだなとメイジは苦笑した。
言理は途中で階段から木造の通路へと進行を変える。
通路の右壁は、一定の間隔を空けて無装飾な扉が並んでおり、左方向は扉よりも短い等間隔で窓と照明と思わしきランタンが交互に配されていた。
窓の外を覗くと、ムージュの樹皮を正面から眺められた。
広場で見上げた時には気付かなかったが、ムージュの樹皮は整然とした網目模様を形成している。
「おい、こっちだ」
言理は等間隔に並んでいた扉の一つを開けると、窓の外を眺めていたメイジを半ば強引に、部屋の中へと招き入れた。
室内は質素な造りをしていて、入口のすぐ傍らにバストイレが付いており、奥には小奇麗なベッドが二つ。やや離れて並んでいる。
メイジは、自分の鼓動が早刻みになっている事に気付いた。
言理は部屋の奥、窓の両側で束ねられているカーテンを閉め切ると振り返った。
額を隠す無造作に伸びた前髪、赤茶色の瞳。上下を細身の黒い服装に統一している。
下半身は現実世界で見るようなスーツ地のズボンをはいており、上半身はダブルボタンのジャケットを着ている。
ボタンで結ばれているジャケットの下、胸元からは白いシャツの襟が少しだけ覗き見れる。
一見すると、男性か女性なのか判別しずらい姿をしているが、背中の腰付近まで伸びた流麗な黒髪と、柔らかみのある女性らしい可憐な顔立ちが、彼女が紛れもなく女性であることを示唆していた。
言理は小さく口を開くと、メイジに「意識混濁性消失障害」(ロストボディ)その単語の意味について語り出した。
「意識混濁性消失障害。誰がそう呼び始めたのかは不明だ。ただ、この世界では俺達の様な当事者達がその名称で呼ばれている」
そこまで言い掛けて言理は一度、頷く仕草を見せた。
鋭い眼差しを扉の前に立っているメイジへと向ける。
「悪いな、やっぱり詳しい説明はエルに任せるから、少し休んでろ」
と会話もいい加減に区切り、メイジは言われるがまま呆然と傍のベッドへ腰をおろした。
言理も奥のベッドへと座り込んでいる。
メイジは気まずい沈黙の中、どうしてこのような状況になっているのか、何時、何処に要因があったのだろうかと思考を巡らせていた。
「言理?」
突然、落ち着いた雰囲気の、透き通るような声が扉の外から響いた。
「あぁ」言理のぶっきらぼうな返事。
「入るわよ」
メイジは反射的に、開いた扉へと視線を向けた。
「あら」
癖っ毛の金髪は短めで、首回りで途切れている。透明感のある蒼い瞳にシャープな銀色のフレームをした眼鏡をかけている。
下から、濃い茶色の革靴に黒タイツ。明度の異なる茶色によるチェック柄の短めのスカート。純白のシャツの上に焦げ茶色のベストを着ており、黒い細紐が首元で蝶々結びになっている。
落ち着いた雰囲気を持つ女性だった。
彼女はこちらを向いたまま、右手を背後にまわして扉を静かに閉じた。
「魔術回路で話したろ。こいつ意識混濁性消失障害だ」
「また助けたのね」
「悪かったよ」
「そんなこと思ってない癖に」
女性は微かな吐息を洩らして、透き通った蒼い瞳をメイジに向けた。
メイジは思わず、彼女から視線を逸らすようにして俯いてしまう。
「初めまして。エルミル・ビア・パナシェよ。エルって呼んでくれればいいわ」
エルは自己紹介と同時に微笑んだ。
「よろしくね」
「メイジです。よろしくお願いします」
「まだろくな説明もされていないのよね?」
メイジは返答に困り、曖昧な頷きを返した。
言理がこほん、と小さな咳をもらす。
「まぁ、頼んだ」
「頼まれました」
エルがそう言いながら、一つだけあった椅子に座った。
組んだ足を窓際に向けて、上半身を曲げるようにしてそれぞれのベッドに座っている二人の方を向くと、エルはゆっくりと話し出す。
「ありきたりな話かもしれないけど、始まりは些細な違和感でしかなかったのよ。私と言理はね、普段から日常の中に非日常を探しながら旅をしていたの」
「俺達の場合、非日常とはいっても魔術に関わる出来事だけに限定されるけどな」
「そうね、旅を始めて一年ぐらいだったかしら?」その問いに、言理は「あぁ」と短く答えた。
「ある日、ひどく歪んだ家族を見かけたのよ。3人家族だったのだけどね、父親と母親と10歳ぐらいの女の子だったの。それなのに、その家族の住居の庭には、男子高校生の制服が干されているの。私が観察している間、その制服は干されっぱなしだった。日数にして14日間。干すという行為は、乾いたら取り込むものでしょ?それなのに、その制服は干され乾いては、雨に濡れ、再び陽射しを浴びる。母親はその間に、何度も洗濯物を干しては取り込んでいた。だけど、一向にその制服だけ触れようともしないのよ。見て見ぬふりでもしているみたいに、本人達は無自覚で意図的に避けているの」
エルは質問はないかと、一旦喋るのを止めた。
メイジも言理も口を開こうとしないのを見届けてから、彼女は再び話し出す。
「存在が消えているのよ。そもそも居なかった事にされている。だけど、痕跡は消えないから、そこに歪みが生じる。これは私や言理みたいに、そっちの方面に敏感な人なら、簡単に見破れる程度のツギハギだらけのお粗末なもの。やがて、似たような歪みが世界各地で見つかり出す。その中でも歪みは日本に集中していたわ。そして、結ばれて浮かび上がったのが、ネットゲームだったの」
存在の消えた人達の多くが、ネットゲームに手を出していたことが履歴から見つけ出せた。そして、そのネットゲームこそが「New Age」であったと、エルは続けた。
「つまり、僕はそのNew Ageの世界に中に居るのですか?」
「そうなるな」言理が頷いて返す。
「まさか自分達が意識混濁性消失障害になってしまうとは、思ってもいなかったわね」
「一体どうすれば……」
「それは俺達も知りたいよ」
「そうね、その為にも私達はもっとこの世界についての認識を広めていかないといけない」
「まずは、メイジ」
言理は立ち上がると、メイジを睨みつけながら告げた。
「お前のチュートリアルを終わらせるぞ」
「いいんですか?」
「何がだ?」
「その、僕なんかに構っていて」
「はぁ?あのなぁ……」
言理の不機嫌そうな声を遮るようにして、エルが口を挟んだ。
「こう見えて言理は正義の味方なの。それに、あなたを見捨てたとして、死なれでもしたら私達も寝覚めが悪くなるじゃない」
「この世界で死んだら、どうなるのですか?」
「たぶん、現実での存在も消えたまま、こちらの世界からも消えてしまう」
「ゲームオーバーだ」
言理がはっきりと告げた。メイジにとっても日常的に馴染みのあったゲームオーバーという一言が、ここまで重苦しく感じられるとは想像もしていなかった。
メイジはごくりと唾を呑んで立ち上がる。
「お願いします。僕に戦える力を教えてください」
「言われなくてもそのつもりだ。とりあえず、猪ぐらいは片手でのして貰わないと困るな」
「が、頑張ります」
「決意はできたみたいね。それじゃあ、さっさとトトンの森に向かいましょう」
「確かトトンの森の奥にある泉から、紋様石を取ってくればいんですよね?」
「あぁ、意識混濁性消失障害にとってクエストなんてものはあってないようなものだけどな、ただ、紋様石は取っておいた方がいい」
「今からなら、日が沈む前には戻れそうね」
3人は大樹ムージュに見送られながら、再びトトンの森へと向かった。
クエスト名「紋様石を採取せよ」
目的地「トトンの森」
難易度「☆」
補足
ようこそ「New Age」の世界へ。
まずは操作方法に慣れよう。
道中、様々なNPCと会話しつつトトンの森奥深くにある泉から紋様石を採取して、トワイライト南東ゲートの駐屯兵に報告せよ。