始まりの街 「 トワイライト 」①
第一部
「出会いと別れの地 ナノケリア」
With the Nanokeria Hello, Goodbye
「New Age」
2011年5月初頭に正式サービスを開始、以後、順調にプレイヤー人口を増やしつつあるオンラインゲームだ。
少年は気晴らしに、勤勉に励む日常にささやかなスパイスをと。ゲーム会社に勤める父の勧めもあって軽い気持ちでNew Ageの世界に足を踏み入れた。
それが、まさか……。あんな事態に陥るとは想像もしていなかったのだろう。
━━ようこそ、New Ageの世界へ。
真っ白い液晶画面に、その文字が表示される。やがて、画面が暗転した。
少年は期待に鼓動を高ぶらせており、落ち着かない素振りで左右の足先を交差させている。しばらくして、液晶画面が数多の雲を映し出す。
画面は滑空しながら天空の雲群を掻き分けて、広大な世界を映した。
少し古臭い、歴史の参考書に出てきそうな地図。
角の四隅は汚れていて地図が途切れている。楕円形に描かれている世界には、中心から上下へと真っ二つにするようにして二つの大国の名前が記されている。
視点が急速に地図の中心からやや北東へと接近していく。古臭い地図がゆっくりと霞むように消えていき、代わりに美麗なグラフィックで構成された果てしなく広がるプレイヤーの冒険の舞台が眼前に広がった。
岩肌を晒す屈強な山脈を越え、安らぎを覚える青々とした川を過ぎ、映画で見かけるような巨大な城下町を跨ぎ、そして、思わず感嘆の息をもらしてしまう程に壮大な樹木が飛び出した、一面草原に孤立した集落へと、視点は降り立っていった。
━━此処が貴方の冒険の始まりの街。Twilightです。
街の中央に壮厳と聳え立つ樹木。Muju (ムージュ)が、数多の冒険者達へ祝福を与え、そして見送っていきます。
貴方もまた、その中の一人なのです。
それでは、貴方の分身となるキャラクターの作成を始めます。
初めに名前を決めてください。
少年は、後でゲームの途中に食べようと持ってきていた明治プリンが何気なく視界の隅に入り、深く考え込まず、「明治プリン」とそのまま打ち込んだ。
しかし、いくらなんでも明治プリンでは、自分がNEW AGEに夢中になった時、納得がいかなくなり、キャラを作り直してしまうかもしれない。
そう考え直すと、一度、入力した文字を綺麗さっぱり消して、再び慣れた仕草でキーボードをカタカタと小気味良く叩いた。
━━「メイジ」でよろしいですか?
躊躇わずエンターキーを押す。
その瞬間、ぐにゃりと視界が歪んだ。
パソコンの液晶が、コーヒーに混ぜ込む時のミルクのようにぐるぐると視界に混じり込む。
突然の目眩に「……っ」と少年は声にならない悲鳴を上げた。
しかし、その悲鳴は現実から掻き消され、少年の消失は、家族にも悟られることはなく、少年の部屋では、いつまでもパソコンのファンが唸るような駆動音を垂れ流していた。
━━それでは、New Ageの世界をお楽しみください。
真っ白い液晶画面には、その一言だけが映されていて、やがて、独りでに液晶画面の電源が落ちると、文字は静かに暗転した。
最初に、感覚として捉えたのは音の世界。「聴覚」だった。
耳元に絶え間なくひしめいている喧噪。砂を靴底で擦る音や、ひそひそと囁き合うような誰かの話声。把握しきれない程の雑音の数々が混じり合い、メイジはそれらの騒音に賑やかさを覚えた。
喧噪の正体を確かめようと、半ば反射的に、深くおろしていた目蓋を上げた。
瞬間、眼前に悠然と佇みながらも、壮厳とした存在感を顕わにしている巨大な樹木の一部、樹皮が眼球に映り込んだ。
自然と見上げてみると、一本一本が現実で見た松の木程の太さはあると思われる枝に、無数の葉が陽射しを一切漏らさないようにと、天蓋覆い尽くしていた。
樹木の頂は、枝葉に遮られ見ることも叶わない。
メイジは突然の壮大な自然との対峙に、思わず感嘆の息をもらした。
続けて、自身の境遇の異常さに思考の矛先が向けられた。
「これってゲーム?だよね」
自身が樹木と対峙する直前の記憶を思い出そうと、頭の中の糸を探る。
「そうだ、僕は、ニューエイジにキャラクターを作ってて、名前を決めた瞬間に……」
名前を入力して、確定してからの記憶が欠けており、気づくとゲームが始まっていた。
ゲーム?
メイジは再び疑問を覚える。
「これが、ゲーム……なの?」
いまだに喧騒は絶えず、僅かな芳香が鼻の奥を刺激している。
頬を撫でる風は、微かに肌寒く吐く息が少しだけ白く残る。
首元には、黒と灰色のモノグラム柄をしたストールが巻かれており、暖かさが居座っている。
上半身は灰色のシャツを下に着ており、その上に黒の厚い布地のコートを胸元まで蒼い紐で結んで着ている。
僅かに蛍光を含んだ蒼い紐は、胸元以外にもコートのいたるところを紡いでおり、装飾にこだわりを感じられた。
首を曲げて背中を覗くと、背丈の短いコートの下から、灰色のシャツがはみ出している。
下半身はストールに似た柄の灰色のズボンを履いており、足元の黒いブーツには、これまた蛍光を含んだ蒼い紐が結ばれている。
両手には毛糸の手袋をはめており、両手の平を握りしめると、確かな実感として爪の食いこむ感触を肌に覚えた。
樹木の反対側を振り返ると、真ん中の幅広い通路をトンネルのように覆いながら両脇に伸びている立派なレンガ造りの建物が目に付いた。
左右の道脇に、それぞれ出入り口と思われる両開きの扉がついており、頻繁に人々が出入りしている。
扉が開く度に、鈴の音が響き、室内のやんわりとした明かりが垣間見えた。
とてもゲームとは思えない。
メイジは事態の異常さを徐々に理解しはじめ、焦燥感を抱き始めていた。
「ようこそ、twilightへ。この大樹はmujuと呼ばれております。祝福を与え、旅立ちを見送る。この街の象徴です」
突然、横脇から話しかけられて、メイジは慌てて声の主へと振り返った。
右腕に花束の詰められた編みこみのカゴを携え、三角巾を頭に付けた幼さの残る少女がこちらへと微笑みかけていた。
「あの、これってゲーム……なんですよね?」
「願わくば、あなたの旅先に加護が在らん事を」
少女はそれだけ告げると、メイジに花を一束手渡して、去っていった。
後姿を見送っていると、少女はムージュの脇を過ぎようとしていた男性に声を掛け、自分の時と同じように花を手渡していた。
右手に持った純白の花弁を見つめる。
「現実と変わらない」
とてもグラフィックとは思えない、精巧な花。
一瞬、夢かと疑う。
どうすれば目覚めるかと、ありきたりだけど試しに頬をつねってみた。
少しの痛みを伴い、メイジは夢オチの選択肢を脳内から振り払った。
途方に暮れる。
呆然と立ち尽くしまま、ムージュを見上げていると不意に再び、背後から話しかけられた。
「よっ、始めたばっかり?」
若い青年の気さくな喋り方。メイジはすがるような思いで声の主を振り返る。
「まだレベルも1だし、チュートリアルもやってないんじゃないの?」
釣り目ぎみの青年が屈託のない笑みを向けていた。
僅かに赤みがかった黒いボサボサの髪に、黒い瞳。
スマートな立ち振る舞い、黒い革ズボンには複数のベルトが巻かれており、様々な形状のナイフや小道具が収められている。
上半身は深い紺色のシャツに、茶色い年季の入った革ジャケットをボタンを開け放してはおっている。
「あの……」
メイジが声を詰まらせている間に、青年は続けて喋り出した。
「作ったばっかにしては、珍しい服装してるけど、職は何にしたんだ?」
職。
メイジはそれすらも選択していないことに気付く。
「これって、ネットゲームですよね?」
青年はきょとんと呆けて、しばらくしてから豪快に笑いだした。
「っはは、そうだよ。え、なに?もしかして、ネットゲーム初めて?。俺、まだ時間あるし、良かったらチュト終わるぐらいまで付き合ってやろうか?」
「いえ、その」
自分の違和感と、彼の態度に差異を感じる。
「俺はフォルテ、よろしくな」
「メイジです」
へぇ、いい名前じゃん。とフォルテが陽気に呟いた。
「一つだけ質問してもいいですか?」
「おうおう、任せなさい。チャットはできてるっぽいから、スキルのセットの仕方とか?まぁ、そういうのはチュトやっていけば、自然と覚えるけどな」
「これって、本当にゲームなんですか?」
再び、きょとんと呆けるフォルテ。
「ん、どういう意味の質問?それ」
「なんていうか、あまりにもリアルすぎないですか?……止める時はどうすればいいんですか?」
「俺もネットゲームはこれが初めてだからはっきりとはわからねーけど、これぐらいのグラフィックなら、別に普通じゃねーの?。止める時はあれだよ、エスケープキー押して、出てくるウィンドウからログアウトか、ゲーム終了を選べばおっけ」
「エスケープキーって言われても、そもそもキーボードとか操作してない……ですよね?」
「え……?うーん、もしかしてキーパッドでやってる?」
「いえ、そうじゃないんです。なんて言うんだろ……、実際に話しているような感じじゃないですか?普通の現実みたいに」
フォルテは僅かに眉をひそめると、考え込んでいるのか黙り込んでしまった。
「とてもゲームとは思えないんです。実際に動いて、実際に喋って、なにもかも、現実と変わらなくて」
メイジの弱々しい言葉を受け、フォルテはあぁ、なるほど。と頷きつつ答えた。
「あんた設定遊戯か。勘弁してくれよなー、こっちは親切で話しかけてやったんだぜ。まぁ、設定遊戯なら要らないお世話だったか……じゃあ、またな。あんまりそういうのやらない方がいいと思うぜ、中々フレンドできねーぞー」
途中から背中を向けて歩き出しながら、フォルテはそれだけ言い残すと、人ごみに紛れるようにして、メイジの前から去っていった。
改めて、メイジは事態を再認識する。
自分だけなんだと。
少なくとも、このニューエイジの世界で誰もが自分と同じような感覚を抱いている訳ではないのだと知った。
先程までのフォルテとの会話を思い出すと、心細さと居心地の悪さが、どことなく溢れてきた。
「どうすれば……」
ムージュを中心に円形に広がっている広場。その隅のベンチに座り込むと、メイジは一旦、状況を整理する事にした。
疑問は尽きない。
なぜこんな事態になっているのか、現実世界の自分はどうなっているのか、時間の経過は現実と変わらないのか、どうすれば現実に戻れるのか、怪我とかをしたらどうなってしまうのか、衣食住はどうすればいいのか、これから先、どうすればいいのか。
無意識に頭を抱え込んでしまう。
苦笑交じりに独り呟く。
「っはは、本当にどうすればいいんだろう」
いつまでも悩んでいても仕方がないと、メイジは両頬をぺしぺしとはたくと元気よく立ちあがった。もちろん空元気だが。
「気持ちを切り替えなきゃ、折角だし、旅行だと思って散策してみよう」
幸い、この街にはムージュというとんでもない目印があるから、迷う事はないだろう。
改めて周囲を見渡すと、石造りの道にレンガ造りの建物と、中世西洋を思わせるような街並みが広がっている。
ムージュの中心にした広い円形の広場には、他のプレイヤーと待ち合わせでもしているのだろうか、そこらかしこに立ち尽くす人を見かける。
中央広場からは東西南北、四方向へと伸びる幅広い道がある。
一方は、先程垣間見た、道を跨ぐ建物の先へ伸びている。
建築のトンネルへと続く道の反対側は、真っ直ぐに石造りの道が道路4車線分くらいの幅で伸びている。
人々の行き交いが激しく、奥の方がどうなっているのか判別不可能だった。
残りの二方向は、それぞれ先程までの道に比べるとやや狭く、ぱっと見た限りあまり奥行きも感じられない。
範囲の小さい方角から調べてみようと、メイジはそれらの二方向から無作為に片方を決めると歩き出した。
「もうそろそろナノケリア城のクエストに移行だなー」
「それ、新しい装備?」「いや、課金のアバター防具だよ」「へー、かっこいいじゃん」
「ココドラ討伐クエPT募集中ですー@1」
「最近、またローク湿原の方でPK集団が出没し始めたらしいよ」「バジリスクだっけ?迷惑な人達よね」
周囲の喧騒に耳を傾けてみると、これが本当にネットゲームの世界なんだと、そして自分が何か異常事態に巻き込まれているのだと認識せざる得なかった。
それらの声を聞く度に、不安になる。
「お主、新参者かな」
三度、再びメイジは背後から話しかけられた。
無言で振り返ると、派手な色彩の着物に全身を包んだ目の細い、白いひげをを口周りにこさえた老人PCが立っていた。
背中に背負っている巨大な斧らしき武器の黒ずんだ刃が垣間見えた。
「はい」
メイジは相手の出方を待とうと、小さく返事をして頷いた。
「ふむ、レベル1にしては珍様な出で立ちをしておったからな、つい話しかけてしまった。許せ」
言葉使いに所々、疑問を覚えつつも、メイジはその疑問を口にはしない。
「あの、この先って何があります?」
メイジは進んでいた道の先を指して、老人に訊ねかけた。
「安心せい。初心者講習はこの先。頭上にちゅうとりあると丁寧に浮かべておる御仁に話しかければ問題なしじゃ」
そういう意味ではないのですけど……。心の中で呟きつつも、メイジは深くお辞儀すると礼を述べた。
「ありがとうございます」
「うむ、頑張れ」
ああいう人が、フォルテの言ってた設定遊戯なのかなーとメイジはぼんやりと考えた。
でも、ちょっと完成度が低かったような。
などと思いつつ、歩いていると正面に現実の自分が住む一戸建てを超えるぐらいの大きさの門が佇んでいた。
木造の扉を外側に開けており、大きな口をばっくりと開けるようにして通る人々を飲みこんだり、吐きだしたりしていた。
よく観察すると、門の傍に棒立ちしている人間が数人おり、プレイヤーと思われる人々は、それぞれがそれぞれに話しかけては門をくぐり抜けていく。
大きく分けて四つできている人だかりの一つに近付いてみる。
喧噪がより一層大きくなり、あまりの騒がしさに後退りしてしまう。
傍でぼうっと人々の流れを見守っていると、やがて、偶然にも人だかりが消えた。
メイジはなんとなく、皆が話しかけていた棒立ちの人間に話しかけた。
銀色の兜と甲冑に、安っぽい槍を片手にしている兵士らしき人は、メイジが近付くと機械的に話しだした。
「あなたは、これからニューエイジの世界で数多の冒険をしていくことになります。私から手始めに一つのクエストをお願いしましょう。門を抜け、トトンの森の奥にある泉から、稀に生成される紋章石を採取してきてください」
「道中、たくさんの冒険者達がいます。彼らの言葉に耳を傾ければ。自然とニューエイジの世界に慣れ親しむ事が可能でしょう」
兵士は、最後に「それでは、頑張ってくれ」とだけ言い残すと、いつの間にか再び集まっていた周囲の人々に話し始めた。
メイジは戸惑いつつも、足先を門へと向けた。
「チュートリアルだし、とりあえず、道中のNPCから話を聞きながら石を取ってくればいいんだよね」
それだけなら大丈夫かな、とメイジは深く考えずに門を抜けた。
門の向こう側は、見晴らしが悪く、無作為に樹が生え並んでいる細い道が続いていた。
前を歩いていた数人のプレイヤーの後に続く様に歩いていたが、やがて、彼等は道から逸れるようにして森の奥深くへと姿を消していった。
何度も何度も旅人達に踏まれ、擦れ、剥げていったのか。草と砂の混じり合った抹茶色に近い道が続いていた。
次第に樹木の密集が濃くなり、やがて周辺が薄暗さを纏いだす。
しばらく歩いていると三本の分れ道に遭遇した。
分れ道の手前に、樹の棒柱に矢印型の看板を貼り付けただけの簡易な案内を見つける。
右方向「ローグ湿原」
真ん中「モルベルカの洞窟」
左方向「トトンの森」
とだけ黒いペンキのような塗料で書かれていた。
看板の案内どおりに、左方向の道へ進むと、すぐに大きな荷物を背負って棒立ちしているNPCと思わしき男性に遭遇した。
「まずは基本攻撃とステップを覚えよう」
と、頭の中に直接誰かが語りかけてくる。続けて、男性が卑屈そうな笑顔で困ったような声を出した。
「困りましたね。この先には魔物がいて、私一人だと通れないのよ。あんた、一緒に来て魔物から守ってくれないかね?ちゃんと報酬は払うよ」
「基本攻撃は左クリック。もしくはキーパッドのAに割り当てたボタンで行えます」
再び、男性の声に続けて、脳内に声が響いた。
そして、突然。
道の先、樹が避けて立ち並んでいるひらけた空間の向こうから、猪にうねる様な白く図太い牙をつけた魔物が飛び出してきた。
「えっ!?」
間も開けずにいきなり、魔物がメイジめがけて猛々しく突撃してきた。
「うわっ!!」
慌てて道の脇へと、転がるようにして魔物を突撃をかわす。
「ちょっと……っつ、待ってよ」
再び魔物の突撃をかろうじて避けると、メイジは悲鳴にも似た、助けを求める声を上げた。
「いきなり、こんなのって、誰かっ!!」
荷物を背負っている男性は背後で、無機質な細い眼をメイジと魔物のやり取りへと向けていた。
魔物の突撃は、想像以上に苛烈で、メイジはみっともなく逃げ回った。
広々とした空間から抜けるようにして、樹を障害物に利用して、巧みに逃げる。
「ステップはキーボードのQとE、もしくはキーパッドで割り当てたLとRボタン。あるいAとD、もしくはキーパッドで割り当てた←と→をそれぞれ短く二回連続で押す事により可能です」
再び、頭の中に機械的な声が響く。
「キーボードもキーパッドもないよ」
叫ぶように、メイジは頭の中の誰かに反論した。
しかし、返答はない。
あんな突撃を受け止めたら、怪我では済まないかもしれない。
もし、こっちの世界で死んだら、僕はどうなってしまうんだろう……。
メイジの心が恐怖心に浸食されていく。
「助けてっ!!誰か助けてください!!」
もう荷物を背負った男性からは遠く離れ、メイジは背後も確認せずに、無我夢中で走り続けた。
「はぁ、はぁ」
乱れた呼吸を必死に整えようと、深呼吸しながら背後を確認する。
もうあの猪に似た魔物が追ってきている気配はない。
激しく打ち付ける鼓動の息苦しさに、顔をしかめる。
自分が何処まで走ってきてしまったのかと、周辺を見渡す。
景色はあまり変わっておらず、深々とした薄暗い森が奥深くまで続いている。
拭いきれない恐怖が、全身にねっとりと纏わりついていた。
膝ががくがくと震えていて、両手の指先も痙攣するように小刻みに揺れている。
眼尻に涙が滲む。
「どうして、こんなことに」
その時、周囲の林からごそりと、何かが動く音がした。
音の方を向く。そして、メイジは絶句した。
「嘘、でしょ」
先ほどよりも大きな3頭の猪型の魔物が、鋭くメイジの事を睨みつけていた。
一頭が、前足で地面の土を抉るような仕草を始める。
連鎖するように、残りの二頭も勢いづけるように前足を動かし始めた。
一頭が、はち切れる様な勢いで、飛び掛かってくる。
後ろの二頭も続いて、襲いかかってくるのがスローモーションになった世界で確認できた。
メイジが絶望して、両眼を閉じかけた瞬間。
自分と魔物達の間に割り込むように、飛び出してきた人影が視界に入った。
自分を守る様に、魔物達の前に立ち塞がった人の姿を見ようと、閉じかけていた目を再び見開く。
腰まで伸びている長い黒髪、全身黒ずくめの服装に身を包んでいる人影は、右手に日本刀を構えていた。
華奢な身体をしており、日本刀を両手で握り姿勢を低くして構えると、襲いかかってきた3頭を次々に受け流すように斬り伏せていく。
メイジは呆然と、助けてくれた人物の慣れた捌きを眺めていた。
赤黒い液体をまき散らしながら不格好に転がる3頭の魔物は、仰向けに寝転がると、びくびくと痙攣して、やがて大人しくなった。
助けてくれた人物は、構えていた日本刀の切っ先を下げて刃に付着した魔物の血を払う。
そして、メイジへと振り返った。
正面から見つめることで、その人物が女性だと気付く。それも、自分とあまり変わらない年齢ぐらいの少女とも呼べるような可憐な顔立ちをしていた。
そんな顔を厳しくさせて、少女はメイジを真っ直ぐに見据えながら口を動かした。
「お前、意識混濁性消失障害(ロストボディ〉だな?」
綺麗な声に似合わない、ぶっきらぼうな物言い。
それがメイジと古祈愛 言理との最初の対面だった。