二人の魔術師「氷哭と朱猫」④
微かに洞窟内部の奥から射しこむ淡い紅色の光を見つけ、ココナは飛び跳ねながら歓喜の声を上げた。
「あー!ねぇ、あの奥……みてみて!ヴィオ水晶の光っぽい」
「うむ、間違いないな」ココナに手首を掴まれてぶんぶんと振り回せれているモーゼルは、やや困惑した面持ちで答えた。
一際、地から突き出ている六角注へと飛び移ったココナは、背伸びするように洞窟の奥へ視線を移した。
「注意してね」
人差し指に灯した炎を掲げている拉ぎが、ココナを見上げながら忠告する。
「だーいじょうぶ!」
ココナの活発な返事が、洞窟内で反響している。モーゼルは苦笑しつつ、ココナよりも前方へ足を進める。
大の男が一人、やっと通れるぐらいの隙間の向こう側から淡い紅色の光が伸びてきている。
「わしが先頭で行こう」
盾を構え、全身を縮こませながらモーゼルが先頭をきって、奥へと進んでいく。
続いて、ココナ、拉ぎの順番で細く、全方位から六角柱がでこぼこと突き出ている洞窟内を突き進む。
狭くじめりと湿った空気の漂っている通路を抜けると、眼前いっぱいに紅い光の満ちた広々とした空間に抜け出た。
「うわぁ」幻想的なヴィオ水晶採掘場の光景を目の当たりにし、ココナは感嘆の息をもらした。
球形状に広がっている空間。
ぽつぽつと空洞らしき穴が空いてはいるが、それ以外視界を埋め尽くしているのは露に濡れ発光している純正なヴィオ水晶による六角柱の集まりだった。
「綺麗だね」人差し指に灯していた炎を消し、拉ぎはココナの感動を遮らないように小さく呟いた。
淡く、紅い光に包まれている3人。
そんな3人をヴィオ水晶採掘場の上部に空いた穴から見据え、様子を窺う影があった。
影は、獲物を逃がさまいと慎重に機を計っていた。
久しく味わっていなかった人間へと思いを馳せ、生きる為の糧とする為に。
「……おかしいな」
モーゼルが辺りを眺め回しながら、不信感を露わにした。
「どうしたの?」
ココナの問い掛けに、拉ぎが先に口を開いた。
「ココドラが姿を現さない」
「そういえば、そうだね。誰かが倒しちゃった。とか?」
「確かに、討伐してから再び読み込まれるまでに多少のラグはあるが、しかし……」
「僕等のすぐ先を進んでいたプレイヤーがいたとは、あまり想像できないかな」
モーゼル、拉ぎの言葉の意図を、ココナは確認する。
「んー、どうして?」
「道中の平蜥蜴は討伐されていなかった。もし、すぐ前を進んでいるプレイヤーがいたとしたら、あれだけの平蜥蜴が残ったまま。というのは少し考え難い」
「あー、なるほどなー」
ココナがカンカン帽子の上端を右手で押さえながら顔を上げ、球形型に広がっているヴィオ水晶採掘場を見回す。
拉ぎは豊富な経験から、微かな違和感に気付いた。
━━ヴィオ水晶の輝きが、増している?
彼がかつてココナと同程度のレベルだった頃、今と同じようにココドラ討伐クエをこなした過去があった。
その過去の映像を思い起こした時、彼の記憶に残るかつての映像では、ヴィオ水晶がこんなにも発光している事はなかった。
修正されたのかな?それとも……、「New Age」の世界がより現実味を増しているのだろうか。
彼は彼自身が持ち得ている一つの真実から、一つの仮説を生み出す。
「……っ!?」
思考に捉われていた拉ぎを呼び戻すように、不意に洞窟内に凄まじい雄叫びがこだました。
「キィィィィィィィィィィ!!!」
耳をつんざくような高く張りあがった音。とても生物が発する類の音とは思えなかった。
この金切り声は。
心当たりのある拉ぎが、最も反応が早かった。彼は素早くその場から後退する。
僅かに遅れて勘付いたモーゼルは叫んだ。
「ココナ!!後ろだ!!」
見当外れな方角を見上げていたココナは、音の正体を確かめようと、反射的に振り返った。
「……っ!!」
声も出せずココナは、彼女目掛けて頭上から飛び掛かってきている巨大な平蜥蜴。「ココドラ」に気付き唖然とした。
「さがれ!!ココナ!!」モーゼルが必死に叫ぶ。
彼の声に呼ばれて、ココナは慌てて後方へと下がった。
間一髪でココドラに潰されずに済んだココナは、急いで背中の両刃剣を抜き、構えた。
数本の六角柱を砕いて着地したココドラは、ぎょろりと縦に鋭い瞳孔をココナへと向けた。
「き、きなさいよ!」
ココナは真っ直ぐに両刃剣をココドラへ向け、震える声を絞り出した。
「ココナ下がって」拉ぎが呼び掛ける。と同時にココドラは平たくのびた口を開け、伸縮する細くしなる舌を鞭打つように、ココナへ狙い定めて薙ぎ払った。
かろうじて反応し、両刃剣で防ぐ。しかし、舌は勢いそのままに鉄で造られた両刃剣に巻き付いた。
幾重にも巻き付いた舌が、もろい木の枝を折るかのように、あっさりと両刃剣の刃を砕いた。
「えっ」声を失うココナ。
「こっちだ、平蜥蜴!!」
ココドラを挟んで向こう側から、モーゼルの猛々しい声が響いた。
モーゼルは自分に後方を晒しているココドラの右足目掛けて、槍を突いた。
「キィィィィィィィ!!」再び金切り声を上げるココドラ。
痛みを振り払うかのように、ココドラは勢いに任せて細長く伸びている尾をモーゼルへ向けてしならせた。
「ぐぅ……!!」盾で防ぐも、勢いを殺しきれず横薙ぎに吹き飛ばされるモーゼル。
彼の手から離れた槍が、ココドラの側へ転がっていく。
離れた場所で目を伏せ詠唱していた拉ぎが、魔術を発現させる。
ココドラのぬめった背中目掛けて、宙で生成されたつららが降りしきる。
「シャァァァァァ!!」
先程までの金切り声とは異なる、蛇が出す音に似た呻きを上げるココドラ。
太く短い四肢を巧みに素早く動かし、ココドラは拉ぎへと接近していく。
拉ぎが即座に詠唱を始めた。
彼の正面に洞窟内部の主な通路よりも大きな六角形の氷の結晶が出現する。
ココドラは氷の盾へ、頭から衝突した。
鈍い音、続いてひび割れる音が連鎖していく。
衝撃の大きさに、洞窟内部が悲鳴を上げるように軋む。
派手に砕け散る氷の結晶壁。
「馬鹿な……」想定外の事態に絶句する拉ぎ。
仮にも拉ぎの魔術性能はナノケリア水準を大きく上回っている。
しかし、ココドラはそんな仮想の数値など意にも介さず、拉ぎへと迫っていた
「うおぉぉぉ!!」
隙に槍を拾っていたモーゼルは、自らを奮い立たせんと叫び、そして駆け跳ね上がった。
宙で盾を捨て、両手に槍を構えると、先端をココドラの頭へ向け全身でココドラの頭上に着地した。槍が深々とココドラの頭部に突き刺さる。
「これで、どうだぁぁぁ!!」
続いてココナが砕かれた両刃剣の柄を思いっ切りココドラの右目へ押し込んだ。
「ギィャャャャァァァァァ!!!」
ココドラのおぞましい呻き声が洞窟内で反響し、3人の鼓膜を突く。
「くっ……」穿て。と唱えようとした拉ぎ目掛けて、ココドラの舌が一直線に伸びた。拉ぎは右腕に氷を纏い自身を庇う。
ココドラの舌は、拉ぎの右腕を覆った氷を打ち砕き、彼の腕を貫通した。
貫いた舌は、拉ぎの胸元までは届かず、ココドラの口内へと縮んでいった。
不意に激しくもがくココドラ。弾き飛ばされたモーゼルは突き出たヴィオ水晶の六角柱に左肩からぶつかっていった。
「そんな」
右腕を貫かれ苦痛に表情を歪める拉ぎと、ヴィオ水晶の六角柱に衝突し、そのままうつ伏せに倒れ込んでしまったモーゼル。
二人を見比べながらココナは震える足で数歩、後退りした。
ココドラが舌をひょろひょろと踊らせながらココナを睨みつける。
足元がすくみ、彼女は無言で首を横に振った。
「まだだよ」
拉ぎは傷口を凍結させ脱力した右腕をそのままに、、残された左手の人差し指を真っ直ぐにココドラへ向けた。
彼は人差し指を慣れた仕草で動かして宙に魔方陣を描くと、「New Age」上で彼が習得した能力を唱えた。
拉ぎの前方で蒼く輝く魔方陣。
その先から絶対零度の息吹が、ココドラ目掛けて吹雪いた。
ココドラの頭部が白く凍てつく。その先端から侵食していく様に全身が凍りつき、やがてココドラは生前の姿ままに氷の彫刻へと変貌していった。
見開かれた鋭い眼球もそのままに、鼓動の止まったココドラ。
その彫刻を眺め、拉ぎは穏やかな物腰でココナへ話しかけた。
「さぁ、これでクエスト自体は終わりだ」
静けさを取り戻したヴィオ水晶採掘場。
ココナは慌ててモーゼルの元へ駆け寄った。
「モーゼル。大丈夫?」
屈みこみ、モーゼルの身体を優しく起こしてあげる。
傍に突き出ている六角柱へ、彼を寄り掛かせた。
「うむ、なんとかな」
モーゼルは鎧が砕け晒された左肩の具合を確かめながら答えた。
「さて……と」
離れた所に立っている拉ぎが、冷たく透き通った声を響かせた。
「それじゃあ、始めようかな」
彼の言葉の意図を図れず、首を傾げるココナ。
モーゼルは黙したまま、息を呑んだ。
「どうしたんだい?モーゼル?……まさか、情が移ってしまったとか、くだらないことは言わないよね?一時的な感情に流されてしまうと、後々、後悔することになるよ?」
拉ぎが、説く神父のような調子でモーゼルへと語りかける。
モーゼルは立ち上がると、ココナを庇うように拉ぎの前に立った。
「どういうこと?」
いまだ状況を把握できていない様子のココナを置きざりに、モーゼルは決意新たな声を上げた。
「すまんが、この子には手出ししないでほしい」
「がっかりだよ」
その言葉を最後に、拉ぎは冷徹な眼差しを二人に向けた。
「なら、二人仲良く生きた彫刻になって、僕を満足させてくれ」
彼はココドラを凍り付かせた魔方陣を再び描くと……躊躇うことなく唱えた。
「どけっ!!」
拉ぎが唱えると同時に、モーゼルはココナの腕を掴み乱暴に投げ飛ばした。
訳も分からず投げ飛ばされたココナは、不様に数回転がり回った。
「ちょ、ちょっと、何するのよ」
ふらふらと立ち上がったココナの視界に映り込んだのは、ココドラ同様、瞬間そのままに時を止め、氷の彫刻となったモーゼルの姿だった。
「えっ……、どういうこと?」
彼女は不審の瞳を拉ぎに向けた。
彼はただ伏し目がちに無表情に、彫刻となったモーゼルの姿を見つめていた。
凍り付いたココドラとモーゼルは、ヴィオ水晶の光を反射して神秘的な紅い氷像と成り果てている。
「やれやれ、パートナーを見誤ったかな。とことん役立たずだ」
拉ぎは氷像を一瞥すると、ココナへと向き直す。
「さて、と。次はココナ。君の番だね」
穏やかに微笑む拉ぎ。その表情の裏に隠された悪意に気付いたココナは、彼に対しての恐怖心を隠しきれなかった。
「どうして?」
「その質問の意図がよめないから答えようがないよ。たぶん、僕が推測するに、どうしてこんなことをするの?って所だろうけど、単純だよ。人の絶望した瞬間の表情が好きなんだ。ただそれだけ」
「最初からこうするつもりだったの?」
ココナは続けて、震える声を出した。
「そうだよ。モーゼルが裏切ったのは不測事態だったけど、それも然したる問題じゃあなかった。ねぇ、君もさ、ロストボディ。なんでしょ?」
そこで初めて、拉ぎは素顔を晒した。
ココナの瞳に映り込んだ拉ぎの顔は、この世界がゲームであることを疑ってしまう程におぞましく悪魔のような笑みを浮かべていた。
「この世界で死んじゃったらさ、どうなっちゃうんだろうね?」
「拉ぎ……あなた狂ってるわ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
ココドラとモーゼルの氷像の並ぶ隣で、ココナと拉ぎはお互いに口を閉ざしたまましばらく睨みあった。
「それじゃあ、ばいばい」
拉ぎは別れの挨拶を済ませ、三度目となる魔方陣を描いた。
「……」
ココナは黙り込んだまま、拉ぎの挙動を見据えた。
「避けるつもりだったのだろうけど、残念だったね。これはもう一段階上位の詠唱だ」
拉ぎは続けて唱えた。
「鼓動千切る雪」
突如として、ココナの頭上に……真っ白な雪が降り出した。
「その雪は一度触れたら離れず溶けず、取り憑いたかのように永遠に君を凍えさせる」
彼女は既にコートに付着した雪を見て、すぐにその場から離れた。
「無駄だよ。座標は君個人に指定してある。移動しようと変わらない」
拉ぎが淡々と告げる。
「そんな、あたしには」
やらなきゃいけないことがあるのに。
見つけ出さなきゃいけない友達がいるのに……。
全身に降り積もる雪。寒さに震える身体を抱きしめたまま、ココナは自身目掛けて降り続ける雪に埋もれかけていた。
「誰か、助けて」
その時、埋もれゆく視界の隅で彼女は確かに見た。
拉ぎと自分の合間に立ち阻む一人の少年の姿を。
蒼銀の髪をした少年は両の手先から蒼い焔を燃え上がらせていた。
彼はゆっくり振り返ると、初々しくも端整な横顔を見せながら口を開いた。
「待ってて。今、助けるから」




