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憂楽のアイシャ  作者: 不思議乃九✒️ちるまな編集部


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8/10

第八話 折れ線の中心

 夕暮れは街の輪郭を柔らかく溶かしながら、憂楽の足取りだけを静かに急かしていた。

 榊原家の離れ——あの部屋で見た“折れ目”のパターンが、頭の奥で規則正しく呼吸している。


 折り畳まれた栞。

 折り畳まれた押し花。

 折り畳まれた“指先”。


 七話までで掴んだ何かは、まだ輪郭を持たない影のかたちで、ゆっくりと憂楽の背中を押していた。


 古物商《憂楽》に戻ると、棚に置きっぱなしにしていた封筒がひとつ、まるで待ち伏せしていたように照明に照らされていた。


「……榊原美弥さん、か」


 送り主を見るだけで、胸の奥に冷たい風が走る。

 美弥は“折られなかった者”。

 榊原家に生まれながら、一度も“調整”を受けていない唯一の女だった。


 封筒の口を開けると、そこにはたった一枚の栞。


 ——白いジャスミンと、くっきり折られた線。


 だが折れ方が違う。

 今まで見てきたどの折れ線とも違う。


 折れが“途中で止まっている”。


 指先で触れた瞬間、憂楽の異能が静かに目を覚ました。


 ……折り手が迷った跡。

 ……決定が揺れている。

 ……中心が二つ、ある?


(二つ……?)


 その瞬間、憂楽は悟った。

 ——榊原家における“折り手”は、ひとりではない。


 積み重なった違和感が、ひとつの像を結ぶ。


 憂楽は棚の引き出しから、今まで集めた六枚の栞を取り出した。


 照明の下に、一直線に並べる。


 一枚ずつ折れ線が違う。

 一枚ずつ角度が違う。

 だが——折れ線は、すべて“どこかで交わろうとしていた”。


 それは偶然では終われない整合だった。


「……中心がある」


 憂楽の声は驚くほど静かだった。


 折れ線の角度を数学的に延長していくと、

 すべての矢印が、ひとつの座標へ収束していく。


 榊原家の中庭でもない。

 仏間でもない。

 家長の書斎でもない。


 ——“誰も近づかない場所”。


 ——“榊原家の沈み”。


 その名を思い出した瞬間、憂楽は息を飲んだ。


「そこが……中心か」


 そしてこの“中心”に矢を向けた最後の折り手は——

 憂楽がこれまで“最も疑わなかった人間”だ。


 だが、もう一枚の栞がその確信を決定づけた。


 それは、アイシャが持っていた“折られた栞”。


 触れられる前に奪い戻され、憂楽が一瞬だけ見た線。

 あの線の角度——思い出すだけで、脳裏に焼き付いている。


 その折れ線も、まっすぐ“中心”へ向かっていた。


 つまり——


《アイシャもまた、中心を知っていた》


 いや、知っていたどころではない。


 彼女だけが、その場所を“避けようとしていた”。


 すべての折れ線が中心へと向かうなか——

 アイシャの折れ線だけは、その手前で“わずかに逸れて”いた。


 憂楽は椅子に腰を下ろし、目を閉じた。


 七話までに掴んだすべての情報が、ここに収束する。


 榊原家の折り手。

 美弥の立ち位置。

アイシャの意図。

 そして“折り目”が示す中心。


 だが——このまま核心へ踏み込む前に、

 憂楽は静かに目を開き、棚の上の六枚の栞を見つめた。


 ここで言葉を置くべきものがある。


 憂楽は、読者のほうを振り向くように、

 ゆっくり口を開いた。


「ここまで読んだあなたなら、もう分かるはずだ」


 折れ線の中心とは何か。

 榊原家の“折り手”は誰なのか。

 美弥は何を背負い、何を選ぼうとしているのか。

 そして——アイシャはなぜ“折り目を避けたのか”。


 すべては、栞に刻まれていた。


「——ここから先はあなたの番だ」


 憂楽の声が静かに響く。


「この物語の核心を、どうか読み解いてほしい」


 読者への挑戦状は、淡々と、しかし確かな温度を持ってそこに置かれた。


 そして憂楽は立ち上がり、決意を胸に、あの中心へ向かう準備を始めた。


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