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憂楽のアイシャ  作者: 不思議乃九✒️ちるまな編集部


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第六話 沈む家の縁(ふち)

 夕刻の路地は、昼より深く沈んでいた。


 照明をつけても店内はどこか薄暗く、

 三方をビルに囲まれたこの古物商は、

 陽の光より“影の時間”のほうを長く抱えている。


 カウンターには五枚の栞が並ぶ。


 折れはそれぞれ違うが、

 折った“手”だけが同じ。


 憂楽の頭の中には、

 ひとつの線がうっすら浮かびはじめていた。


(家が折るのか。

 誰かが折るのか。

 あるいは、“家としての誰か”が折るのか──)



 扉が開いた。


「……すみません」


 声は弱く、しかし、どこか決意を含んでいた。


 現れたのは、榊原家の遠縁と名乗った男──

 五話に出てきた、あの男ではない。


 背が高い。

 目の下に深い隈。

 落ち着いているようで、その実ぎりぎりのふちに立っている男。


「榊原の……本家筋の者です」


 男は静かにカウンターの前に立ち、

 封筒を置いた。


「ひとつ、お願いがあります。

 どうか……これを読んでいただけませんか」


 封筒の中には、白い栞が二枚。


 一枚は、強く折れた鋭い線。

 もう一枚は、ほとんど折れていない。

 折る途中で止まったような、浅い折れ。


(……またこの揺れの折れか)


「どちらも“家”から送られてきたものです。

 意味は教えてもらえません。

 ただ、“受け取れ”とだけ」


 家から送られてくる栞──

 それは、言葉の代わりに渡される“文”だ。


 憂楽は、一枚目に触れた。


 強い怒り。

 強い拒絶。

 刃のような、切り裂く直前の感情。


(これは……“排除”だ)


 家の誰かを切り捨てる意思。

 ある線を断つための折れ。


 そして、二枚目。


 触れた瞬間、胸の奥にざわつきが走った。

 そこには決意も怒りもなく、

 ただ、誰かの“哀しみだけ”が静かに沈んでいた。


(これは、折れたくない線だ)


 憂楽は息を整えた。


「この二枚……別の人が折ったようでいて、同じ手です」


 男の肩が震えた。


「……やはり、そうですか」


「ひとつ訊ねてもいいですか。

 あなたの家──榊原家には、代々“折りおりて”がいるんですか?」


 男の表情に、深い憂いが走った。


「……昔から“折り手”はひとりだけです。

 家にひとり。

 “文”を書く者。

 “線”を整える者。

 そういう役割の者が、ずっと」


(ひとり……)


 五件の事件。

 五枚の栞。

 すべて同じ手で折られている。


 だとすれば──


「あなたは“折り手”をご存じなんですか?」


 憂楽の問いに、男はかすかに首を横に振った。


「誰なのかは知りません。

 ただ……家の“核”に近い誰かだとだけ」


(核……)


 どの家にも核はある。

 中心にいる人物。

 歴史を動かしている影。

 語られずとも存在している“流れの源”。


 榊原家にもそれがある。


「あなたの家系は、代々……何かを守っていたんですか?」


「ええ。それが何かは、僕たち末端には知らされません。

 ただ──家は“花”を守ると言われています」


「花?」


「白いジャスミンです」


(……あの栞の花)


「庭に、一本だけ木があるんです。

 誰も世話をしていないのに、毎年花が咲く。

 家では“あれを絶やすな”とだけ言われてきました」


 憂楽の胸に、微かな寒気が走った。


(ジャスミンの木が“家そのもの”の象徴なら──

 栞は、その家の“記録”だ)


 折れは命令。

 折れは罪。

 折れは赦し。

 折れは選別。

 折れは……“系譜の調整”。


 そういう役割を持つ。


「憂楽さん……ひとつだけ覚悟を聞かせてください」


 男の声は震えていた。


「この事件は……

 榊原家が“沈む時”に起きるものなんです。

 線が乱れた時に、折り手が動く」


 沈む家。


 線の乱れ。


 そして、折り手。


「あなたは……榊原家の“沈み”に関わる覚悟はありますか?」


 憂楽は静かに答えた。


「覚悟など必要ありません。

 “文”があるなら、読むだけです」


 男は目を伏せた。


「……母が、生前にこう言いました。

 “折り手は、家の中の者とは限らない”と」


 その瞬間、

 憂楽の手がわずかに痙攣した。


(……外の者?)


 アイシャの言葉が蘇る。


──わたしは“外側”にいます。


 あれは比喩ではなかったのかもしれない。



 男が帰ったあと、

 憂楽は五枚の栞に加えて“二枚の栞”を並べた。


 合計七枚。


 折れの強弱。

 折れの向き。

 折れの迷い。

 折れの構造。

 そして、折る手の癖。


 七枚すべてに通じているのは──

 “ひとつの大きな流れ”。


(……これは事件ではない)


 そう気づいた瞬間、

 カウンターの上のスマホが震えた。


 差出人不明。

 本文:**“折れない花は、沈む家の灯りになる。”**


 その文を読んだ瞬間、

 憂楽は誰かの手が自分の背後を通った感覚を覚えた。


 振り返ると、

 誰もいない。


 ただ、店の奥にある古い鏡台に、

 黒髪の女の“影”だけが映っていた。


 憂楽は静かに言った。


「……アイシャ。

 あなたは、折り手なのか。

 それとも──折られた側なのか」


 鏡に映る影は、すぐにふっと消えた。


 残ったのは、微かに揺れる風と、

 七枚の栞だけだった。

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