第六話 沈む家の縁(ふち)
夕刻の路地は、昼より深く沈んでいた。
照明をつけても店内はどこか薄暗く、
三方をビルに囲まれたこの古物商は、
陽の光より“影の時間”のほうを長く抱えている。
カウンターには五枚の栞が並ぶ。
折れはそれぞれ違うが、
折った“手”だけが同じ。
憂楽の頭の中には、
ひとつの線がうっすら浮かびはじめていた。
(家が折るのか。
誰かが折るのか。
あるいは、“家としての誰か”が折るのか──)
◆
扉が開いた。
「……すみません」
声は弱く、しかし、どこか決意を含んでいた。
現れたのは、榊原家の遠縁と名乗った男──
五話に出てきた、あの男ではない。
背が高い。
目の下に深い隈。
落ち着いているようで、その実ぎりぎりの縁に立っている男。
「榊原の……本家筋の者です」
男は静かにカウンターの前に立ち、
封筒を置いた。
「ひとつ、お願いがあります。
どうか……これを読んでいただけませんか」
封筒の中には、白い栞が二枚。
一枚は、強く折れた鋭い線。
もう一枚は、ほとんど折れていない。
折る途中で止まったような、浅い折れ。
(……またこの揺れの折れか)
「どちらも“家”から送られてきたものです。
意味は教えてもらえません。
ただ、“受け取れ”とだけ」
家から送られてくる栞──
それは、言葉の代わりに渡される“文”だ。
憂楽は、一枚目に触れた。
強い怒り。
強い拒絶。
刃のような、切り裂く直前の感情。
(これは……“排除”だ)
家の誰かを切り捨てる意思。
ある線を断つための折れ。
そして、二枚目。
触れた瞬間、胸の奥にざわつきが走った。
そこには決意も怒りもなく、
ただ、誰かの“哀しみだけ”が静かに沈んでいた。
(これは、折れたくない線だ)
憂楽は息を整えた。
「この二枚……別の人が折ったようでいて、同じ手です」
男の肩が震えた。
「……やはり、そうですか」
「ひとつ訊ねてもいいですか。
あなたの家──榊原家には、代々“折り手”がいるんですか?」
男の表情に、深い憂いが走った。
「……昔から“折り手”はひとりだけです。
家にひとり。
“文”を書く者。
“線”を整える者。
そういう役割の者が、ずっと」
(ひとり……)
五件の事件。
五枚の栞。
すべて同じ手で折られている。
だとすれば──
「あなたは“折り手”をご存じなんですか?」
憂楽の問いに、男はかすかに首を横に振った。
「誰なのかは知りません。
ただ……家の“核”に近い誰かだとだけ」
(核……)
どの家にも核はある。
中心にいる人物。
歴史を動かしている影。
語られずとも存在している“流れの源”。
榊原家にもそれがある。
「あなたの家系は、代々……何かを守っていたんですか?」
「ええ。それが何かは、僕たち末端には知らされません。
ただ──家は“花”を守ると言われています」
「花?」
「白いジャスミンです」
(……あの栞の花)
「庭に、一本だけ木があるんです。
誰も世話をしていないのに、毎年花が咲く。
家では“あれを絶やすな”とだけ言われてきました」
憂楽の胸に、微かな寒気が走った。
(ジャスミンの木が“家そのもの”の象徴なら──
栞は、その家の“記録”だ)
折れは命令。
折れは罪。
折れは赦し。
折れは選別。
折れは……“系譜の調整”。
そういう役割を持つ。
「憂楽さん……ひとつだけ覚悟を聞かせてください」
男の声は震えていた。
「この事件は……
榊原家が“沈む時”に起きるものなんです。
線が乱れた時に、折り手が動く」
沈む家。
線の乱れ。
そして、折り手。
「あなたは……榊原家の“沈み”に関わる覚悟はありますか?」
憂楽は静かに答えた。
「覚悟など必要ありません。
“文”があるなら、読むだけです」
男は目を伏せた。
「……母が、生前にこう言いました。
“折り手は、家の中の者とは限らない”と」
その瞬間、
憂楽の手がわずかに痙攣した。
(……外の者?)
アイシャの言葉が蘇る。
──わたしは“外側”にいます。
あれは比喩ではなかったのかもしれない。
◆
男が帰ったあと、
憂楽は五枚の栞に加えて“二枚の栞”を並べた。
合計七枚。
折れの強弱。
折れの向き。
折れの迷い。
折れの構造。
そして、折る手の癖。
七枚すべてに通じているのは──
“ひとつの大きな流れ”。
(……これは事件ではない)
そう気づいた瞬間、
カウンターの上のスマホが震えた。
差出人不明。
本文:**“折れない花は、沈む家の灯りになる。”**
その文を読んだ瞬間、
憂楽は誰かの手が自分の背後を通った感覚を覚えた。
振り返ると、
誰もいない。
ただ、店の奥にある古い鏡台に、
黒髪の女の“影”だけが映っていた。
憂楽は静かに言った。
「……アイシャ。
あなたは、折り手なのか。
それとも──折られた側なのか」
鏡に映る影は、すぐにふっと消えた。
残ったのは、微かに揺れる風と、
七枚の栞だけだった。




