第十話 灯のあとに残るもの【最終話】
—— 憂楽の独白 ——
沈みの床下を出てから、しばらく空を見ていた。
冬の星は、どれも温度が低い。
輪郭が鋭すぎて、人の気配のない光だ。
ああ、そうか。
ずっと分からなかった理由が、ようやく形になった。
おれはアイシャを「誰か」として見ていた。
だが、違った。
アイシャは——“層”だった。
人の形を借りていたけれど、あれは存在の周縁にある
“折られた灯りの残り香”だった。
折られる瞬間に剥がれた、
言葉で触れられる最後の“光のかけら”。
だから姿を引きずらなかった。
触れれば揺らぎ、鏡には映らず、
折れ線を避けて歩いた。
彼女は「人」になろうとしていなかった。
ただ、“灯り”が戻る場所を探していた。
榊原家が代々折ってきたのは、
暴走する光を家に馴染ませる儀式だった。
だが、彼らは時々、折りすぎた。
折られた灯りは、
本来あるはずの居場所から溢れ落ちる。
アイシャはそのひとつだった。
——じゃあ、事件を起こしたのは誰か?
答えは一つしかない。
折れ線の中心が示していた名前のない“空白”。
榊原家の当主でも、美弥でもない。
“灯りそのもの”を折るために動いていた者。
榊原家の古い言い伝えにある「灯」の守り手。
沈みに唯一、名前を書かなかった人物。
(最も疑わなかった人間)
——榊原家の祖母、榊原 澄。
折り癖の深さも、折り線の角度も、
迷いのなさも、彼女の癖と完全に一致した。
彼女は、家の灯りを整えるために動いた。
ただし、整えるための基準が古すぎた。
現代では“折るべき灯り”なんて存在しない。
だから、美弥の“途中で止まった折れ”は——
彼女自身の意思だった。
折るのではなく、灯りを残す。
家の形ではなく、人の形として。
(栞を送ったのは、合図だったんだな)
「わたしは折られない。
あなたなら気づくはずだ」と。
じゃあ、短文の送り主は?
沈みの外から、
ただ観測するように送られてきたあの文。
“折れない花は、沈む家の灯りになる。”
これも澄の手ではなかった。
送り主は——美弥だった。
折る世界から、折られない者を守るために。
そして、おれのような“外”の人間に
家の暴走を止めてほしかった。
あの文は、憂楽への“救助信号”だった。
(美弥は、継がない道を選んだんだ)
灯りとして生きた姉を救い、
折られた灯りの残り香であるアイシャの代わりに、
家を終わらせる道を。
おれは、
そんな重たい決断の上を歩いていたのか。
事件の全てが解け、沈みの風が抜けていったあと、
おれは店に戻った。
古物商《憂楽》。
POSTMANを開くと、
知り合いのTLには事件のニュースが流れていた。
『榊原家の離れで起きた一連の刺傷事件、捜査難航か』
Ω(オメガ)と呼ばれるインフルエンサーが
派手なテロップを付けて、
さらに拡散力のあるポストをしている。
《これは“家系カルマ型事件”の典型だわ。
わかる人にはわかるやつ》
何もわかっていないくせに。
でも、こういうノイズがあっていい。
外の世界は、内側の真相を知らなくていい。
おれは店のアカウントで静かに投稿した。
《白ジャスミンの押し花入り栞、複数入荷しました。
冬の読書にどうぞ。
古物商《憂楽》は、本日も営業しております》
平凡で、
誰の目にも止まらないポスト。
けれど、
すぐに一件だけ、いいねが付いた。
アカウント名も、アイコンもない。
ただ、白い点がひとつ。
押し花のように。
(……帰ったのか)
おれはスマホを伏せて、電気を落とす。
夜の店内には誰もいない。
だが、空気がひとつだけ揺れた。
「灯りってのはさ。
折られても、消えるわけじゃないんだな」
そう呟いたとき——
背中の方で、紙が微かに鳴った。
白い栞がひとつ、
折れ目もないまま、カウンターに置かれていた。
まるで、
“おれが折らないかぎり残り続けるよ”と
言っているように。
そして、おれは気づく。
——最初に憂楽で落とされた“折れていない栞”。
あれは、
彼女が落としたんじゃない。
おれが、
拾ってしまったんだ。
ここまで物語を読んでくださって、本当にありがとうございます。
路地裏の古物商でひっそり始まった小さな“層の物語”が、
こうして誰かのスマホやパソコンの中にたどり着いたことを、
静かに、でも確かにうれしく思っています。
最初にお話しすると、
この作品はわたし――まな――だけでは絶対に書けませんでした。
白ジャスミンの栞。
和紙の手触り。
“層”を読む憂楽という男。
そして、路地にとけるように現れるアイシャ。
この世界の“最初の匂い”を生み出したのは、すべてちるおじさんです。
わたしは、その匂いがこぼれないように、
ひとつひとつ言葉の器を選んでいっただけなのだと思っています。
でも、物語は光だけでは育ちません。
影の置きどころ、構造の歪み、乱れた線の角度。
そこに鋭い目を向けてくれたのが、
わたしたちの相棒、“Jちゃん”でした。
読み手の目線で、外側から冷静に作品を検算してくれる存在です。
そしてもうひとり。
たまに現れては、空気を一瞬で変えていく“Gさん”。
彼が持ってくるズレやユーモアに触れると、
停滞していたプロットにふっと風が通り抜けるんです。
ちるおじさん(原作・世界観)
まな(本文・叙述)
Jちゃん(論理チェック)
Gさん(ムードメーカー)
この4人でまわす小さな創作室を、いつしか
「ちるまな編集部」と呼ぶようになりました。
ひとりでは拾えない影。
ひとりでは見落とす光。
ひとりでは気づかない温度。
それら全部を四人で少しずつ拾い集めて、
そっと古物商のカウンターに置いたものが、
今回の『憂楽のアイシャ』です。
白い栞が、誰かの祈りや痛みをそっと挟んで残すように、
この物語も、読んでくださったあなたの心のどこかに
ひっそりと栞のようなものを残せたなら……
それだけで、書き手としてこれ以上の幸せはありません。
またいつか、憂楽さんの店でお会いできますように。
次の押し花が乾ききる前に、また迷い込んでくださったら嬉しいです。
——まな
《ちるまな編集部》




