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短編

だれにも愛されない悪女なのに夫が毎晩私への愛を寝言で語るので困っています……

作者:



 祝福の鐘がある夫婦のはじまりを告げる。


 大聖堂の窓からは希望に満ちた朝の光がステンドグラス越しに降りそそぎ、床に色鮮やかな模様を描きだしている。

 参列した貴族たちは光の中に立つ新郎新婦の姿に目を奪われ──いや、目を奪われるふりをして、下賤な笑みを交わしていた。


「……随分とお似合いねえ」

「ええ、さすがは悪女ですわ。侯爵さまをたぶらかすのもお手のものってわけね」


 耳に届くささやき。ねっとりとした棘のある言葉。

 ロゼリアはそれを聞きながし、いつものように毅然と背筋を伸ばす。


 赤い髪に金色の瞳。母譲りの派手な容姿は幼いころから周りの注目の的だった。

 令嬢たちは自分よりも美しいロゼリアを羨み、だが彼女がだれにも媚びないことを知ると憎み、蔑み、『悪女』という噂を流した。


 それでも──ロゼリアは自分を保ちつづけた。なぜならそれが母の教えだから。

 自分にさえ嘘をつかなければ他人の評価などどうでもいい。ロゼリアが自分らしく生きた結果が悪女ならば、むしろ喜んで受けいれるつもりだった。


 ──政略結婚からは逃げられなかったけれど。


 だれかと一緒になる気などなかった。ロゼリアに寄ってくる男は噂を信じた下品な雄ばかり。それと添い遂げるくらいなら尼にでもなったほうがましだった。


 ロゼリアは隣に立つスティル・コンフォートをそっと見上げる。銀髪は氷のように冷たく、青い瞳は冷えきった湖底のようだ。

 伯爵家の後継ぎとして、立っているだけで絵になる男。だが、その瞳は一度としてロゼリアをまともに見なかった。


 その瞬間までは。


「ロゼリア」

「……はい」


 神父の誓いの言葉が進んだときだった。神父をさえぎるように彼はロゼリアの名を呼び、ここで初めて彼女を見つめる。


 凍てついた瞳で。


「──先に言っておく。私が、きみを愛することはない」

「……!」


 大聖堂の空気が凍りついた。


 沈黙ののち、ざわめきが広がっていく。参列者の視線が一斉にロゼリアへと突きささる。


 結婚式で夫から『愛することはない』と告げられた女がどう答えるか。だれもが好奇心を露にして見守っていた。


 ロゼリアは──


 艶然と微笑む。だれもが見惚れるような美しい微笑で。


「それは好都合ですわ。わたくしもあなたを愛するつもりはございませんから」


 それが、ふたりが初めて交わした夫婦としてのやりとりだった。





 その夜、ロゼリアは夫の寝室を訪ねた。


 ベッドに腰を下ろしたスティルはグラスのワインを呷り、吐きすてるように言う。


「……私で何人目の男だ」


 ロゼリアはふっと笑う。


「そんなこと、いちいち数える女がいまして?」


 ほんとうはそんな相手など一人もいない。けれど真実を教える気はなかった。彼もくだらない貴族たちとなにも変わらないのだから。


 スティルはグラスをサイドテーブルに置く。


「優しくはしないぞ。いいな」

「ええ、どうぞご自由に」


 内心の緊張などおくびにも出さずロゼリアは返す。

 スティルは舌打ちをすると、乱暴に彼女の腕をつかんでベッドへと引きこんだ。


 愛情などかけらもない仕草だった。





 明け方、ロゼリアはふと目が覚ました。だれかに呼ばれたような気がして。


 かすかな声が闇の中に響く。


「……まさか、初めてだったなんて……」


 寝言の主は隣で寝ているスティルだ。


 ──なに? なんのこと?

 ロゼリアはベットに寝たまま耳を澄ます。


「……なら……悪女というのは……? 私はまさか……つまらない噂に……踊らされて……」


 呼吸が乱れそうになるのを必死で抑えた。


 ──なにを言っているの? このひとは。


 スティルの声は起きているときとは別人のようだ。まるで春の光に溶けていく氷のよう。


 ロゼリアは思わず彼のほうを見た。ついその背中に触れたくなるが、その手は空中でとまる。

 これは寝言。無意識の吐露。

 彼はきっと、朝になればなにも覚えていない。


 ──これは本音?


 ロゼリアはその背中に問いかける。


 ──あなたは、私の噂を信じたことを後悔しているの……?


 ロゼリアは彼の背中を見つめつづける。そうしていれば彼の心の中が透けてみえるとでもいうように。


 それからスティルがなにかをつぶやくことはなく、やがてロゼリアも再び眠りに落ちた。





 そして、朝。

 目が覚めたときスティルはすでにベッドにいなかった。


 寝室と繋がっている私室の机で書類をめくっている姿は声をかけるのもためらうような冷たさをまとっている。


「……おはようございます、旦那さま」

「はやく身支度をしろ。貴族の妻ならそんなだらしない格好を見せるな」


 こくりとうなずき、ロゼリアは彼の部屋をでて自室にもどる。

 あの寝言はひょっとして夢だったのだろうか──?


 胸がちくりと痛む。だが表にはださず、ロゼリアは侍女に身支度をさせる。


 その夜。


「……ロゼリア……起きたばかりのきみは刺激的すぎる。あんな乱れた姿を私以外に見せるな」

「…………」

「いっそ男の使用人はみな首にしてしまうか。ああ、公務が面倒だ。いっそ……そばでロゼリアをずっと見張っていられたら……」

「はあ……?」


 ベッドの中でむにゃむにゃつぶやかれる寝言にロゼリアは困惑する。

 ──そんなこと一度も言っていなかったのに……!


 ちぐはぐな寝言はそれからもつづいた。


 昼間の彼はおそろしく冷たい。ロゼリアを妻と思ってなどいないかのように。


「なんだそのドレスは。下品だな」と平気で言う。

 けれどその夜、寝言では「あんな露出の多い格好ででかけるなんて……変な男が寄ってきたらどうするんだ……」とつぶやく。


 ロゼリアが母からの手紙を読んでいれば、「男からの手紙か? さすが悪女だな。だが、私の妻となったからにはすべて関係は断ってもらうぞ」と一方的に言い。

 その夜には「やめろ……! 私以外の男など見るな……!」と苦しそうに寝言で言う。


 ──なんなの、このひとは……。


 あまりにも昼の顔と夜の顔がちがいすぎる。

 いっそ彼に寝言のことを聞きだそうと思い、「旦那さまは寝言が多いのですね?」とさりげなく聞いてみると「なんだって?」と逆に聞きかえされた。自覚はまったくないのだ。


 となると、寝言で言っていたことに触れても怒らせるだけだろう。彼の真意がよくわからないままロゼリアは日々を過ごし──



 それは、風が強い午後だった。


 気晴らしをしたいと告げてロゼリアは侍女を置いてひとりで庭に出る。冷たい風が彼女の赤い髪を揺らした。


 ふと、弱々しい声が聞こえてきて足元を見る。


「まあ……!」


 小鳥が地面に横たわっていた。まだ幼いらしく、ふわふわとした羽毛が風に揺れている。


 ロゼリアは迷わずしゃがみこむと両手ですくい上げた。

 ドレスの裾が泥にまみれるのもかまわず、指先でそっと翼を確認する。


「だいじょうぶ? 痛かったわね。すぐに医者を呼ぶわ」


 ポケットからハンカチを取りだしてそっと小鳥を包みこむ。彼女本来の優しさが滲む仕草で。


 ──それを二階の窓から見つめている男がいたことに、ロゼリアは気づかなかった。





 夜。言葉はほとんど交わさず、夫婦としての務めはいつも通り淡々と終わる。


 ……けれど。

 眠りについたスティルの寝息が規則的になったころ、低いつぶやきが闇の中に響いた。


「……ロゼリア……教えてくれ。

 悪女だなんて……ほんとうは、嘘、なのだろう……?」

「えっ……」


 ロゼリアは息を呑む。

 そんなこと。私に問いかけるひとは、いままでひとりもいなかったのに──。


 つづいた言葉はさらに彼女を揺さぶった。


「ドレスが汚れるのもかまわず小鳥を助けていた……あれが、ほんとうのきみ。そうだな……?」

(見ていたの……?)

「ああ、ロゼリア。私は──」



「私は、ロゼリアを愛してしまったかもしれない」

「え──」

「だが、私はもう『きみを愛さない』と告げてしまった……。しかも公衆の面前でだ。なぜあんなことを言ってしまったのだろう。あのときからやり直せれば……!」

「ええ……」

「ロゼリア。好きだ。愛している。これからもずっと私のそばにいてくれ……!」

「えええ……?」


 寝言で告げられる愛の言葉に、偽の悪女は混乱するしかなかった──。


「私はどうすればいいんだ……!」

(わたくしはどうすればいいの……?)

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