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ブルーストーン無差別殺人未遂事件③

 「……過保護すぎる」


 目覚めた時、部屋はまだ暗かった。

 だがカーテンの隙間からはまだ鈍いながらも薄明りが差し込み、朝が近いことを告げている。

 喉には違和感があるが、とりあえず生きているので問題ない。

 時計を見れば、朝の6時より前だった。

 授業がはじまるにはまだ十分に時間がある。


 「温室、……か。手紙の中でも触れていたな」


 ルドウイーク学園にも敷地のはずれに温室が存在していると噂では聞いたことがある。

 士官予備科のブラッドにとってはまったく馴染みのない場所で、未だ訪れたこともない。

 だが、温室と植物学科、それにルシアンが盗み出そうとしたブルーストーン。

 それらは無関係ではないだろう。


 カーテンを開ければ景色は朝霧の中で白く濁っていて不鮮明だ。

 この時間ならば、誰に見咎められることなく温室を見に行くことも出来るだろう。

 そうと決まればブラッドの行動は早かった。

 遠征の訓練により手早く着替えを済ませるのは慣れている。

 外套を羽織ったところで、リビングからジャスパーが顔を出した。


 「先輩、こんな早くにどこ行くんですか?」

 「……温室だ」


 ジャスパーは眠そうな目を瞬かせると、「自分も行きます」と慌てて着替えはじめた。

 断る理由もとくにない。

 寮の玄関はまだ鍵がしまっている時間のため、窓から木に飛び移って外に出る。

 霧は深く、まだ1時間は晴れずに残っているだろう。

 二人は視線を合わせると、無言で頷きあって歩き出す。


 温室があるのは校舎を抜けた更に先、植物学科の管理するハーブガーデンをさらに進んだ場所にある。

 用のない生徒が立ち入るような事はいっさい無いであろう場所だった。

 外壁は緩やかに湾曲した鉄骨とガラスで構成された建造物は、霧の中にあってとても幻想的だった。

 貴族の家にある温室ほど装飾的ではなく、ガラスも安価なものを使っているのだろう。

 気泡が多く入り、歪んだガラス越しからは温室内を見通すことは出来ず、うっすらと緑色が透けてみえるばかりだった。


 入口の戸に手をかけたが、さすがに鍵がかかっている。

 だが、温室にそって歩いてみれば、換気用の窓の一部が開いていた。


 「……そういう、ことか、……」


 薄く開いた窓の向こう。

 そこには鮮やかな赤色の花がひしめき合うように咲いている。


 「先輩、……これ、って、……」

 「アヘン、だな」


 アヘンは麻薬として医療にも使用される。栽培に明確な違法性はない。

 だが、学園で横行しているアヘン被害を鑑みれば、それが医療目的でないことは明らかだ。

 秋はアヘンの開花時期ではない筈だが、温室という環境がそれを可能にしているのだ。


 「そうか、……分かったぞ……!」


 ブラッドは周囲を見渡した。

 霧で濁った空気の中、木立の間にうっすらと浮かび上がる井戸を見つけて駆け寄った。

 縄に括られた桶をおろし、井戸の水をくみ上げる。

 その水は、──鮮やかなブルーストーンの青だった。


 植物学科の教室からブルーストーンを盗もうとしたのはフェイクだった。

 ルシアンは別の方法でブルーストーンを入手して、井戸に混ぜた後だったのだ。

 この井戸は校舎からも寮からも離れている。温室のためだけに作られたのだろう。

 霧にまぎれて行動すれば見咎められる心配もほとんどない。

 ルシアンは確かに細身だが、それでも20キロほどの袋ならば運んでくることも出来ただろう。

 井戸は農業用水に使うために作られた、雨水などを溜めておく貯水井戸だ。

 ここのブルーストーンを混ぜたとして、他の井戸に影響が及ぶこともない。


 「温室は地面に配管を通して、水栓を解放することで井戸水が滲みだすように地面を濡らす仕組みになっている。

 その井戸をブルーストーンで汚染してやれば、アヘンを一網打尽に出来る」

 「で、でも、全然枯れてないですよね?」


 ジャスパーの言う通り、アヘンの花は満開だった。


 「……配管を開く水栓は温室内部にあるんだろう。さすがのルシアンも中に忍び込むのは難しかった。

 だが、問題ない。数日内に必ず誰かが水栓を開く。毒を仕込めば、あとはただ待つだけだ」


 井戸と温室は離れている。

 わざわざ水をくみ上げて確認する手間をかける者はほとんどいないことだろう。

 だが、万が一。

 此度の騒動で過敏になったものが井戸の異変に気付いたならば。


 「今すぐ水栓を解放する」


 ブラッドは踵を返すと、足早に温室へ戻っていく。

 正面ドアは施錠されており、換気用の窓はブラッドが通りぬけるには狭かった。

 このガラスは割れるだろうか。拳でノックし固さを確かめていれば、慌ててジャスパーが腕にしがみついてきた。


 「ちょ、ちょ、ちょ、先輩! 何考えてるんですか! 割ろうとしてましたよね! 今!!」

 「その通りだ。よく分かったな」

 「うわー! 分かりたくなかったー! いや、待って下さい。落ち着いて下さい。さすがに無茶だし、ガラスが割れてたら外部から侵入者がいたってバレバレです!」


 別にいいんじゃないだろうか。

 ブラッドはそう思っていた。


 「自分がやります。あの窓の隙間、自分ならぎりぎり通れます。だから先輩は寮に戻って下さい」

 「見張りがいた方がいいんじゃないか?」

 「いえ、水栓を全部開けてたらきっと授業に遅れます。今日、先輩が授業に顔を出さなかったら、絶対に何かあったと怪しまれる」

 「お前は平気なのか?」

 「自分はスパイなんで大丈夫です、……あ……」


 ジャスパーはしまったという顔で口を押さえる。


 「違うんです、違います、殴らないで下さいお願いします。説明しますから殴るのは勘弁して下さい!」

 「まだ何もしてないだろう」

 「先輩の場合、いつ何をするか分からないんですよ!」


 大きく息を吐いてから、改めてジャスパーが口を開く。


 「僕は、エルドレッドから先輩を見張るよう言われました。そうしたら、今後も面倒を見てやるって。

 その場で断ったら危ないのは分かってたんで、引き受けたふりをしたんです。その方が先輩の側に引っ付いててもかえって怪しまれないでしょう?」

 「エルドレッドについた方が将来性があるとは思わないのか?」

 「冗談でしょう? アヘンを密売してるだけならまだしも、自分でも吸ってるような奴ですよ。遅かれ早かれ自滅する」

 「それはそうだな」


 ブラッドは頷いた。


 「それに、……僕はユーリの仇を討ってやりたい」


 その目の奥には、静かに、だが確かな炎が揺れていた。


 「……分かった。お前に任せる」


 ブラッドはジャスパーの肩に手を載せた。この瞳は信頼に値する。


 「裏切ったら、顔の形が分からなくなると思え」


 だが念のため脅しはしておいた。




 ***




■□■ 事前調査③ ルシアン・レイヴンシャー伯爵令息 ■□■


 「花はじきに枯れる」


 授業を終えたブラッドはまっすぐにルシアンに会いに行った。

 端的に告げると、ルシアンの眉尻がゆるく持ち上がる。


 「ワンちゃんの割にはよく頑張ったじゃないか」

 「お褒め頂き光栄だな、リュシエンヌ」


 ルシアンはしばらく黙り込んだ。

 その様子はいつも通り長椅子でくつろいでいるが、感情に僅かに乱れがある。

 それに、さすがに軟禁状態の部屋ではぐっすり眠るという訳にはいかなかったのだろう。

 目元には隈があるのが見てとれた。


 「紅茶を淹れるか?」

 「ありがたいね。ここの監視役のいれた紅茶は美味しくないんだ。茶葉の量をけちる上に、抽出の温度もなってない」

 「少し待っていろ」


 監視役はさっさと廊下においやった。

 昨日とは異なり、これ幸いと言った顔で出て行ったので、ルシアンに嫌味を言われ続けて疲弊していたに違いない。

 

 「ブラッド、怪我をしたのか?」


 問われて、拳にあざが出来ているのに気が付いた。


 「ああ、相手がな」


 頭を殴られたことは伏せておく。

 隔離部屋の紅茶は、当然ながらルシアンが持ってきたものより大分質が劣るものだった。

 茶葉を持って来れればよかったが、隔離の目的が自傷行為を防ぐためなので、基本的に持ち込みは禁止だった。

 多目に茶葉を入れ、湯の温度は低く、抽出の時間はじっくりとる。

 紅茶を注ぎ、ルシアンのもとに持っていく。

 丁寧に整えられた指先がカップを持ち上げると、まずは香りを吸い込んだ。


 「……んん、いい匂いだ」


 ルシアンの口元が緩む。喉を鳴らす様もくつろいだ猫のそれだった。

 コクリと一口飲み息を吐く。

 そしてルシアンは口を開いた。


 「イヴは、……エヴァンジェリンは、僕の腹違いの姉だ」


 予感はしていた。彼女の顔はルシアンとよく似ている。


 「父がメイドを孕ませたのさ。貴族の子として認知はされなかったが、屋敷の片隅で暮らしていた。

 僕との姉弟仲は悪くなかった。少なくとも僕はそう思っている。

 ただ、……僕の母は、つまりレイヴンシャー家の正妻は、エヴァンジェリンを疎ましく思っていたようだ」


 ルシアンは緩く息を吐いた。


 「……エヴァンジェリンは自立するために屋敷を抜け出し、平民の特待生としてこの学園に入学した。

 学園に入学したあとも、僕との手紙でのやりとりは続けていた。

 手紙を書くにあたって、宛先が男の名となるとあらぬ誤解を招きかねない。だから、……リュシエンヌだ」

 「なるほどな」

 「だが、半年ほど経ってふいに手紙が届かなくなった。さらに数か月経って、エヴァンジェリンが自殺した」

 「……ああ」

 「エヴァンジェリンは平民だ。その死はろくに捜査もされず、遺体も墓碑もないような共同墓地に埋葬された。

 僕は苦労しつつもエヴァンジェリンの遺体を見つけ出し、金を握らせた医者に調べさせた。

 そこで彼女にアヘン中毒の兆候があったこと、虐待の跡があったこと、そして……妊娠していた事が判明した」


 姉の死の真相を確かめたい。

 だとしてもその遺体を掘り返し、改めて解剖させてまで徹底的に調べつくす。

 そこまでする者はほとんどいないだろう。


 「復讐のためにこの学園に編入してきたのか?」


 問いかけにルシアンは薄く笑う。


 「主犯格はすぐに分かった。だが、その子飼い達まではなかなか掴めなかった。

 ところがジャスパーの弁護をした後に、エヴァンジェリンが最後に書いた手紙がひっそりと届けられたんだ。

 彼女から手紙を受け取って隠し持っていた誰かが、僕がリュシエンヌであると確信したんだろうね」


 ふと思いうかんだのは生徒会書記のマチルダだった。

 彼女ならば、イヴが手紙を託した相手として頷ける。完璧な写しが用意されていた理由にもなるだろう。


 「……レイヴンシャー家の屋敷に温室はない。

 だから、手紙に温室と書かれていたことで、それがアヘンの栽培場所を示しているのだと気が付いた」


 ブラッドはゆっくりと時間をかけ、ルシアンの言葉をかみ砕く。

 少しぬるくなった紅茶を啜り、絡まった糸をほぐして正しく並べなおして組み立てる。


 「お前がブルーストーンを盗んで温室の井戸に混ぜたのは何日か前の話だった。

 その後、真昼間に植物学科の教室からブルーストーンを盗もうとすることで、あえて捕まった。

 それは、……学級裁判という場でイヴの手紙を公開するためか?」

 「冴えてるじゃないか。頭でも打ったのかい?」


 確かに打った。

 だがそれはひとまず置いておく。


 「手紙を公開したくらいでは連中を裁くことは出来ないぞ」

 「それは重々承知しているさ。だからブルーストーンなんだ」

 「分かった、いや、分からん。だが時間がない。お前の作戦を俺にも分かりやすく説明しろ」


 ルシアンは呆れた顔をする。

 だがその表情ははじめに部屋に来た時よりも、はるかに穏やかになっていた。




 ***




■□■ 事前調査④ ミア・ドリス ■□■


 ルシアンの計画にはいくつかの明確な穴があった。

 だが、もとより彼のやり口は、完璧に証拠を揃えるというよりも、言葉巧みに誘導し相手を躍らせるというものだ。

 今までの2回はうまくいった。

 だからといって次も上手くいくとは限らない。

 原告側弁護人のクラウスも、ルシアンの手法を十分に吟味したことだろう。


 あと、もう一手欲しかった。

 そんなブラッドの元に、セリスフォード寮の女子生徒が尋ねて来たのは裁判前日の夜だった。


 ミア・ドリスと名乗った少女はジャスパーに伴われ、目深にフードを被ってやって来た。

 一体、何をしに来たのだろか。

 その疑問は少女がフードをあげた瞬間に氷解した。


 庇護欲を誘う大きな瞳、人形のような整った顔立ちをひと際引き立てる鮮やかな赤毛。

 だが、その顔は病的に青白く、瞳孔は通常より開いている。

 イヴ、ユーリ、その次に選ばれた憐れな子羊、それがミア・ドリスという平民の少女だったのだ。


 「はじめにお断りしておきます。私は証言台には立てません」


 ミアは小さな体を震わせながらそう言った。

 無理もない。彼女が証言台にたつならば、それは彼女自身にふりかかった暴力をつまびらかにする事になる。

 美しい少女に注がれる視線はけっして憐みだけではないだろう。


 「ここに訪ねてきてくれただけでも感謝している」


 男たちに弄ばれた少女にしてみれば、ブラッドの元へ訪れるのもさぞ恐ろしかったに違いない。


 「それで、わざわざ訪ねて来てくれたということは、俺に伝えたい事があるのか?」

 「はい」


 ミアは小さく頷いた。


 「あの男、……リカルドが死んだあとにも、エルドレッドの部屋を訪ねた事があるんです。

 その、……どうしても、アヘンが、欲しくて。苦しくて、仕方なくって」


 握りしめた手が震えている。恐ろしくて、そして悔しいのだろう。


 「その時、しばらく一人で待たされていて、リカルドは、誰かと、おそらくあの植物学科の教師と奥の部屋で話していました。お互い苛立った声で、……すごく、怖かった。あの人達は腹立たしい事があると、余計に酷い事をしてきたから」


 ミアが俯くと、握りしめた拳の上にぽたぽたと涙が滴り落ちる。


 「その時に私、見つけたんです。彼の机の上に何枚もの書類が置いてあった。

 それは、──温室で栽培しているアヘンを取引をするための契約書類だったんです」


 ブラッドは思わず身を乗り出した。

 ミアは大きく息を吸うと、途切れがちになりながらも言葉を紡ぐ。


 「私、その時は、脅しの材料にでもなればって、そんな風に考えたんです。

 アヘンを、貰えなくなった時に、これがあれば脅せるって。

 だから書類の中の一枚を抜き取って、それを服の中にしまいこみました。

 ほんと、馬鹿です、私、連中を脅して、アヘンを貰って、それで、……どうするつもりだったのか」


 肩を震わせるミアに、いつの間にか紅茶を淹れてきたジャスパーがそっとティーカップを差し出した。

 カップを受け取ったミアは、一口だけ飲むとわずかながら落ち着きを取り戻した。


 「部屋に帰って、盗み出した書類を見て、自分がした事が怖くなりました。

 これを持ち出したなんて知られたら、私はきっと殺される。でも今さら返すなんて出来ない」


 ミアは緩く髪を揺らす。


 「私一人じゃ何もできないんです。いっそ彼らを刺し殺して自分も死のうなんて思いました。

 そう思っても、士官予備科の生徒相手に私が敵う筈もない。悔しい、憎らしい、ずっとそう思って過ごしていた。

 そうしたら、彼が、ジャスパーさんが声をかけて来たんです。

 ──もし何かアイツらの弱みを握ってるなら、今なら恨みを晴らすことの出来るチャンスだって」


 ミア・ドリスが差し出した契約書類はアヘンの栽培に関するものだった。

 アヘンは花が咲いたあとに実をつける。実の表面に傷をつけ滲みだした白色の液体を乾かし様々な加工を施したものが流通する。

 アヘン栽培だけならば温室で可能だが、加工を行うのは困難だ。

 契約書類は、加工を担った相手との取引条件を記したものだった。

 記されたサインの片方はまるで読み取れない。だが、どこの国の文字かは明白だ。

 はるか東の国、──清だ。


 「随分と厄介な連中を取引相手に選んだな」


 数年前、この大国との間に戦争があった。それ以来、清の商人たちは本土の都市部にも増えてきている。

 彼らは金払いの良い相手にはとても寛容に出来ている。

 だがもし約束を反故にしたならば、凄惨な報復を行うという話も耳にする。

 それらは異国人へのありがちな偏見かもしれないが、先の戦争のことを思えば過剰な報復にも頷ける。


 「感謝する、ミア嬢」


 ブラッドには確信があった。

 この書類は連中にとって地獄への片道切符になるだろう。


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