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ブルーストーン無差別殺人未遂事件②

 アズライエル寮を出たブラッドは、イヴ・フォレストの手紙を見るために学級裁判の証拠保管庫を訪れた。

 ルシアンに面会したあとに申請を出していたのだが、原告側弁護人が先に権利を得ていたからだ。

 すでに外は日が落ちており、夜霧が校舎を包み込みはじめている。

 気温もぐっと下がっていくこの時間は、外套なしでは寒さを感じるほどだった。


 「士官予備科3年、ブラッド・ゲイブルだ。ルシアン・レイヴンシャーの裁判に関わる証拠品を閲覧しに来た」


 保管庫は生徒会室に隣接しており、管理も生徒会役員が担っている。

 基本的に証拠品は裁判終了後に本人に返却されることになっているそうだ。

 保管庫で待っていたのはマチルダと言う名のセリスフォード寮3年生の女子生徒だった。

 ブラッドの記憶が正しければ、生徒会では書記を務めている筈だ。


 「いらっしゃい、ブラッドさん。閲覧可能時間は6時までになりますので、なるべく急いでご確認下さい」


 懐中時計を確認すると、6時まではあと15分ほどしか残っていない。


 「……貸し出すということは……」

 「改ざんの可能性がありますので承諾しかねます」


 マチルダの言う通りだった。

 しかし15分はあまりにも短い。明日、再び見に来るという手もあったが、学級裁判は基本的には起訴から3日後に行われる。

 時間的余裕はほとんどない。 


 「……貸し出しは出来ませんが、私が書き写したものでしたらお渡しいたします」

 「なんだと?」

 「こちらが本物の手紙、こちらが私が書き写したものです。内容に差異がないかをご確認下さい」


 マチルダに促され、ブラッドは二枚の手紙に目を通す。

 まずは内容よりも文字をそのものを追いかけ、段落や綴りにも間違いがないことを確認する。


 「とても助かったが、なぜ協力をしてくれるんだ?」


 ブラッドが尋ねると、マチルダは重く目を伏せた。

 マチルダ・ジョルト。出身は準男爵だが成績の優秀さから生徒会役員に選ばれた才女。

 栗色の髪はきっちりと編み込まれ、縁の厚い眼鏡をかけており、頬にはそばかすが散っている。

 こうしてすぐそばで見てみると、整った顔立ちであることが見てとれた。


 「感謝しているからです。リカルド・ブラックウッド達の暴虐はセリスフォード寮の、……とくに私のような平民出身の者たちにとって恐怖の対象でした」


 準男爵という位は、男爵とは異なり貴族籍ではなく平民にあたる。

 伯爵家であるリカルド相手には強く出ることは難しい。


 「入学したすぐあとに先輩から教わったんです。

 目立たない恰好をしなさい。眼鏡をかけ、化粧は薄く、狼に目をつけられないように、と。

 ですが女子生徒の中には、高位貴族の家に嫁ぎたいと願っている者も少なくありません。愛人でも構わないと思っている者も存在します。

 彼女たちは、狼の毒牙にかけられ、身も心もボロボロにされて去っていく」

 「イヴ・フォレストもその一人だと?」

 「いいえ、彼女は気高い女性でした。学園に来たのも就職をするためです。でも彼女はあまりにも美しすぎた。ごまかしようのないほど、人の目を惹きつけてやまなかった。

 まるで、……ルシアン・レイヴンシャーと同じように」


 ふいに出て来たルシアンの名前に驚くと、マチルダは薄く笑って見せた。


 「彼も同じです。そこに存在するだけで空気すら変えてしまうような、息をするのを忘れるかのような美しさがある。

 いくら着飾っても決して並び立つことが出来ない本物の美。

 イヴ・フォレストも……、彼女を見た瞬間、まるで神が手ずからに作ったように思えたのです」


 ブラッドの記憶にもイヴ・フォレストの姿は残っている。

 あれは確か学食にいた時だった。さざ波のようにざわめきが広がっていくのを感じたのだ。

 それは熱を帯び、どこか緊張感に満ちたものだった。

 皆の視線の先にいたのがイブ・フォレストだ。

 彼女はまるで豊穣の麦畑を思わせる金色の髪を揺らしながら歩いている。

 誰かが「聖母のようだ」と囁いた。


 そんなイヴ・フォレストが複数の男子生徒と関係を持ったとして起訴された時、多くの生徒たちは失望し、まるで裏切られたかのように憤った。

 彼女は何も言わなかった。弁明の一言すら口にせず、鳥が飛び立つように迷いなく時計塔から身を投げた。

 その体は中庭の池に落下して、水を真っ赤に染め上げた。

 まるで、彼女を罪人と指さした者たちを弾劾するかのような色だった。


 「……他に、何か知っていることがあったら教えて欲しい」


 ブラッドが尋ねると、マチルダはしばし黙り込んだ後、口を開いた。


 「入学したころ、もう一つ先輩から言われたことがあります。

 植物学の教授であるサディアス・ベラミーには絶対に近づかないように、と。

 恐らくリカルド達の背後でアヘンの密売を主導しているのは、ベラミーです」

 「つまり、……ルシアンが植物学科の教室で騒動を起こしたのはベラミーを挑発するためか?

 随分と厄介な相手に喧嘩を吹っ掛けたものだな……」


 サディアス・ベラミーは子爵家の出身だが、公爵家とも遠縁にあたる名門家だ。

 正面から事を構えれば潰されるのが目に見えている。


 「ええ、ですので、十分に気を付けて下さい。私がお手伝い出来るのはここまでです」

 「分かった。感謝する。あなたの助力については決して口外しないと誓おう」


 拳を握り、胸元に押し当てて見せれば、マチルダも僅かに微笑んだ。




 ***




 寮部屋のドアを開け、すぐ違和感に気が付いた。

 うまく言葉に出来ないが、ルシアンではない誰かが部屋に入った気配がある。

 眉をしかめ一歩中に踏み込んだ瞬間、後頭部に重い衝撃が走った。

 まるで火花が散ったようだった。

 視界が歪む。

 床に転がりかけ、何とか腕をついて受け身をとる。

 ドク、ドクっと血管が脈打つ音が聞こえてくる。

 酷く痛む。だが、痛みとは裏腹にブラッドは腹の底から湧き上がる衝動を感じていた。


 「これ以上、痛い目に会いたくなかったら手を引け、──分かったか?」


 襲撃者の言葉が降ってくる。


 「おい、分かったか? 痛い目をみたくなかったら、……」


 ブラッドは手を伸ばすと、襲撃者の膝に向かって飛びついた。

 たまらず倒れこんだ上に馬乗りになって拳を振り上げる。


 「ま、待て、俺を殴ったらどうなるか、ッ!」


 構わず拳を打ち落とす。

 右、左、右、左、規則的に機械的に、黙々と拳を降りおろす。

 顔面をかばおうとする手にも構わず拳を食い込ませれば、指が折れる鈍い音が耳に届いた。


 「殴ったら、どうなるんだ?」


 低く地の底を這うような低音で問う。


 「な、なぐったら……」


 もう一度拳を食い込ませた。


 「聞こえないぞ」

 「悪かった、悪かったよ、許してくれ、……頼むからッ!」


 この程度で泣き言を漏らすのか。そんな奴が暴力に訴えようとするなど興覚めにもほどがある。

 湧き上がった狂暴な衝動は、あっと言う間にしぼんでいく。

 殴って多少変形してはいるが見たことのある顔だった。

 確か2年生で、リカルドやエルドレッドの使い走りをしていたのを幾度か見かけたことがある。


 「部屋の中にものに触ったか?」

 「それは、そ、その、……め、命令されたんだ、ッ、俺の意思でやった訳じゃ、……!」


 薄暗い室内に目をこらせば、椅子は倒れ本棚の本は床に放り出されている。


 「元通りに片付けろ」

 「うううう、嘘だろ? アンタに指を折られたんだぞ!?」

 「全部折ってやってもいいんだぞ」

 「か、片付けますッ!!!! 片付けさせて下さい!!!!」


 悲鳴じみた声をあげて懇願する様に、ようやく男を解放する。


 「30分以内にすませろ」


 端的に指示を出すと、部屋のランプをつけて回る。

 泣きながら片付けを始める男を目の端に捉えながら、ブラッドはソファに腰をおろした。

 調査書類を見るふりをしながら、イヴ・フォレストの手紙の写しを開くとあらためて内容に目を通す。


 マチルダはトレーシングペーパーを利用し、筆跡までなぞるように複写してくれていた。

 イヴ・フォレストの筆跡は平民とは思えないほど一文字一文字が丁寧に美しい文字で描かれている。


 『親愛なるリュシエンヌ』


 封筒の表面にはそう書かれていた。

 手紙の本文も同じ言葉からはじまっている。


 『親愛なるリュシエンヌ


 あなたに送る手紙はこれで最後になってしまうわね。

 この手紙も何度も書こうかどうしようか悩んだわ。

 でもあなたは私が死んだと聞けば、必ず真実を見つけ出そうとするでしょう。

 だから、最後の時間をあなたへの手紙を書いて過ごすことに決めたのよ。


 私にとってこの学園はひどく歪んでいて、とても残酷な檻だった。

 獣たちは私を引き裂くことに躊躇する心すら持ち合わせていなかったの。


 R・ブラックウッド

 E・コネリー

 T・ウィルソン

 C・オコナー

 S・ベラミー


 彼らはひときわ凶悪な獣だった。

 私が死ねば、その悪行が少しでも浮彫りになるかしら。

 でも恐らく、たいして調査されることもないでしょうね。

 自らの死を選んだ私には、墓標すら値しないと言われるでしょう。

 

 ねぇ、リュシエンヌ、覚えている?

 子供の頃は一緒に温室で隠れんぼをして遊んだわ。

 薔薇の影に隠れて怪我した時には、とても心配したものよ。


 愛しのリュシエンヌ、私に墓標はないかもしれないけれど。

 でもいつかまた、二人で薔薇に隠れて遊びましょう。


 愛をこめて あなたのイヴより』


 手紙を読み終えたブラッドは宛名の文字を指先でなぞる。

 『リュシエンヌ(Lucienne)』は『ルシアン(lucian)』の女性形だ。

 これはただの偶然だろうか。そもそもルシアンはどうやってこの手紙を手にいれたのか。


 途中で書かれた人名の半分は覚えがあった。

 リカルド・ブラックウッドははすでにルシアンによって裁かれた。

 エルドレッド・コネリーとサディアス・ベラミーも判明している。


 「おい、頭文字がTのウィルソンというのは誰のことだ?」


 部屋の片付けをしている襲撃者に声を投げる。


 「嘘だろ? なんで俺に聞くんだよ!?」

 「お前に指示を出した奴の仲間だろう? 調べればわかるが手間がかかる」

 「……テオドアだよ。アズライエル寮のハネムーン生だ。元植物学科の生徒で今回の学級裁判の原告だよ!」


 そういえば原告側にウィルソンと書いてあった。

 よく聞く苗字であったために頭から抜けていたようだ。


 「C・オコナーは?」

 「クラウスだ。リカルド先輩の裁判の時に弁護人をやっていただろう? 今回の裁判でも弁護人になる筈だ」


 言われてみれば朧げに思い出す。


 「……おい、その流れで俺の名前は聞かないのかよ?」

 「必要ないだろう」


 問いかけてくる襲撃者にブラッドは心底意味が分からない様子で首を傾げた。

 襲撃者はなぜか酷く傷ついた顔になる。

 書類に視線を戻したところで、遠慮がちのドアがノックされ、隙間からジャスパーが顔を出した。


 「こんばんはー、お邪魔しまーす、って、うわ。何があったんですか?」

 「そこの馬鹿が暴れたから責任を取らせている」

 「あー、そりゃまたお気の毒様ですね。もしかしてブラッド先輩に脅しかけて来いって言われたんですか?」


 ジャスパーは室内に入ってくると、襲撃者に話かけた。


 「うるさいな、黙っててくれよ」

 「アンタさぁ、ここ片付けたらその足で学園から逃げ出した方がいいよ。どう考えても捨て駒にされてるし、挙句に失敗したなんて報告したら何されるか分かんないよ」

 「そ、それは……」

 「ほら、片付けるの手伝うからさ。確かマイルズだったよな。実家、比較的近いって言ってなかったか?」

 「うん、まぁ」


 気さくなジャスパーに襲撃者はなんだかんだと絆されているようだった。

 ブラッドとしては邪魔者が減るのは歓迎であったし、さっさと部屋が片付くのも有難い。

 しばらくすると襲撃者、──マイルズと呼ばれた生徒はぼそぼそと小声でジャスパーに礼を言って出ていった。


 「それで、何をしに来たんだ?」

 「何って、たった今、先輩が体験したじゃないですか……」


 ブラッドは首を傾げた。


 「ええと、つまり……僕も襲撃されかねないんで逃げて来たんですよ。先輩と違って返り討ちにする自信もないんで。

 ああ、勿論、お世話になる以上はお手伝いもしますんで、追い出さないで下さい」

 「いいのか? ここにいればエルドレッド派の連中との関係修復は絶望的だぞ?」

 「今さらですよ。水浸し事件で訴えられた時に婿入りの線も完全に消えちゃいましたしね。

 こうなったらルシアンさんに目をかけて貰えるように頑張るしか道がないもんで」

 「なるほど」


 納得して頷くと、ジャスパーは安堵した顔になる。

 仮初の同居人が出来たというよりも、捨て犬が迷い込んできたようだった。




 ***




 殴られた頭が痛む。

 幸い血は出ていなかったが、触れば腫れているのがよく分かる。

 だが実技の多い士官予備科では怪我をするのも日常茶飯事のことだった。

 傷を癒してくれるのは時間だけだと知っている。

 目を閉じて、朝を待てばいつの間にか眠りが訪れるだろう。


 ベッドに横たわって、呼吸に意識を集中する。

 深く、ゆっくりと息を吸い、細く、長く、時間をかけて息を吐く。

 頭に浮かびあがる雑念を逃がして、ただただ呼吸に心を傾ける。


 眠りに落ちた境界線はあいまいだ。

 ただ目覚めたと実感した瞬間に、眠りについていたと知る。


 ぴちゃん、と鼻先に水滴が落ちた。

 ポタ、ポタと頬や額にも冷えた水が滴ってくる。


 薄目を開けると、すぐ目の前に顔があった。

 大きく見開かれた瞳。瞳孔は開き切っており、肌は透けるように青白い。

 水を含んだ金色の髪は中空で、水面を漂うよう揺れている。


 女は天井からつり下がるよう、逆さまになって浮いていた。

 その濁ったアンバーの目はブラッドの目を間近で覗き込む位置にある。

 

 イヴ・フォレスト。


 青白い肌には血管が浮き上がり、白目には血が滲んでいる。

 それでも、死して尚、亡霊となってでさえ、イヴはあまりにも美しかった。 


 『……──、……を、花を……枯らして、……』


 イヴの唇が微かに空気を震わせる。


 『花、を、……実をつける前に、……花を、……』


 なんの花だ?

 声を出そうとしても、ブラッドは瞬き一つさえ出来なかった。

 ポタ、ポタとイヴの体からにわか雨のように水滴が落ちてくる。


 『温室の、……花を、……枯らして、お願い、……』


 似ている。

 ブラッドはそこにルシアンの面影を感じ取る。


 「ぉ、……い、リュシエンヌ、と、言う、のは……」


 今度はなんとか声を絞り出した。

 だがその瞬間、イヴの様子が激変する。


 『あ、ああ、ああああああああ、!!!!!!』


 イヴはふいに叫び声をあげると、ブラッドの首を両手で締めつけてきた。

 細い指だ。力も強くはなかったが、ブラッドには振り払う術がない。


 『わたさない、ッ! ……あの子を、……あああ、わたし、の……!』


 指先が喉へ食い込んでいく。

 息がつまる。意識が遠のく、──。


 霞んだ視界で、イヴは悔し気に顔をゆがませて泣いていた。

全7話程度と書きましたが、もう少しのびそうです。多分、あと2話くらいになります。(最後まで書き終えておりますが、どこで分割するか事前に決めていなかったので、思ったより話数が増えております)

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