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ブルーストーン無差別殺人未遂事件①

 その日、ブラッドは午後の時間を穏やかに過ごす筈だった。

 馬術の授業で高評価をおさめ、居残りとなった同級生たちより一足先に馬場を出た。

 季節は秋に代わり木々の葉は赤や黄色に色づきはじめる。

 朝晩に霧が出ることも多くなったが、ブラッドが鍛錬を終えた頃合いは空は晴れ渡り、心地よい風がふいていた。

 絵にかいたような秋晴れの午後。

 寮へと戻る最中、真っ青な顔のジャスパーが走って来るまでは確かに穏やかな日だったのだ。


 「ブラッド先輩!!!! 大変です、ル、ルシアンさんがッ!!!!」


 ルシアンと聞いた時点で十分過ぎるほどに嫌な予感が湧き上がる。


 「あいつが、今度は何をやらかした?」

 「そ、それが、ブルーストーンを井戸に入れ大量殺人を目論んだ罪で起訴されました!」


 眩暈がした。

 ことルシアンに至っては最悪の状況の、──最も底辺を予測するべきだった。




 ***




 「心配せずともまだ誰も殺しちゃいないさ」


 隔離部屋のルシアンは起訴された側の人間とは思えぬほど優雅にくつろいだ様子だった。

 ある意味、予想通り過ぎて安心する。


 「2人で話がしたい。席を外してくれ」


 監視役の生徒はノクスホーク寮の3年生だった。

 ブラッドが声を投げると、わざわざ聞こえるように舌打ちをする。


 「農民百人殺しが偉そうに」


 あからさまな侮蔑の言葉を聞いたのは久しぶりのことだった。


 「それはどういう意味だい?」


 ブラッドが面くらっていると、口を開いたのはルシアンだった。

 琥珀色の瞳はまっすぐに監視役の生徒を見つめている。


 「今の文脈は”農民百人殺し”という言葉が侮蔑のように扱われているように聞こえたんだが気のせいかな。

 もしかして君は北部の農民反乱を鎮圧したゲイブル家の功績を汚点と捉えているのかい?

 それは、引いてはゲイブル家に爵位を与えた王家をも侮った発言だと自覚しての事かい?」

 「よせ。そこまで考えがあっての言葉じゃないだろう」


 制止の言葉を投げたのはブラッドだった。

 ルシアンの皮肉を止めるために口を挟んだつもりだったが、なぜか監視役の生徒はさらに真っ赤な顔になっている。

 そして、乱暴な靴音を響かせて部屋から出ていった。ドアが大きな音を立ててしまる。


 ……何を怒っているんだ?

 ブラッドが首を捻っていると、ルシアンが笑っているのに気が付いた。

 そこでようやく自分の一言がとどめを刺した事に気が付いた。


 「我が家の異名を知っていたのか?」

 「マスターとなる人間の素性くらい調べるだろう?

 ゲイブル家はもともとは北部を治める貴族に仕えていた騎士の一族だ。君の祖父の代で大規模な農民反乱が起き、万夫不当の働きを見せたため男爵位を賜った」

 「その通りだな」


 ブラッドは新興貴族だった。

 それも大規模な農民反乱の鎮圧、つまり多くの農民を鎮圧した功績として爵位を賜った事から、血生臭く野蛮な家系と言われている。それで”農民百人殺し”などという異名がついているのだ。

 ロースクールの頃などは、よく異名で呼ばれ揶揄われたものだった。

 だが、ブラッドが実力を、……とくに剣術や射撃訓練において抜きん出た才能を発揮し、模擬戦において年長の生徒をも圧倒してからは、表だって言われることはなくなった。


 「お前は我が家の歴史を、……」


 気にしないのか? と尋ねようとして、馬鹿馬鹿しい気分になった。

 問いかける事すら下らないと思えるほどだ。


 「それで、まだ殺しちゃいないというのはどういう意味だ? これから殺す予定はあるのか?」

 「さて、どうだろうね。あるいはもう何人か葬っているかもしれない」

 「そうだな。お前なら証拠も残さずに上手くやるだろう」


 実際、ルシアンはすでにリカルドを間接的に葬っている。

 あれは自業自得が招いたものであったにしろ、明確な意図をもって追い落としたのはルシアンだ。

 ブラッドはソファに腰をおろすと、ルシアンと目線を合わせた。


 「それで今回は……わざと、訴えられるような真似をしたのか?」


 問いかけると、ルシアンは目を糸のように細めて喉を鳴らした。

 たいそうご満悦な表情だ。


 「ああ、だから心配無用だ。僕はいつも通り上手くやるさ」

 「そうか。なら弁護人は俺が引き受けよう」

 「は?」


 ルシアンの瞳孔が驚きに大きく広がった。

 動揺のあまり、普段の小生意気な仮面が剥がれている。

 その顔が見れただけでもブラッドは機嫌が良くなった。

 ルシアンは驚きを隠せないままに口を開いた。


 「……君、……拳以外でも語れるのかい?」


 ブラッドの機嫌は急降下した。




 ***




■□■ 事前調査① ルシアン・レイヴンシャー伯爵令息 ■□■


 「事前報告書によれば、本日の昼休憩の間に植物学科の教室に侵入。

 薬品棚の中にあったブルーストーンを持ち出そうとしていた所を教室に戻ってきた生徒によって発見された。

 発見者である生徒が問い詰めたところ、”井戸に入れるために盗み出した”と返答したため急遽、拘束した。

 尚、発見当時の持ち物の中には、過去に学園に在籍していたイヴ・フォレストの手紙と思しきものが混ざっていた。

 よって今回の事件は、イヴ・フォレストが自殺した事に対しての報復行為として計画されたものと考えられる」


 頭が痛くなるような内容だった。

 短すぎる報告書を読み終えたブラッドは大きく息を吐き出した。

 無謀すぎる。

 おもに、これくらいの状況証拠でルシアンを訴えようとした連中が、だ。


 「それで、どういうつもりでブルーストーンとやらを盗もうと思ったんだ?」

 「ブルーストーンとやらを?」


 長椅子に優雅に腰かけるルシアンは悪戯っぽく語尾を持ち上げる。

 その姿はすっかりいつもの余裕を取り戻しており、可愛げのなさが全開だった。


 「ブルーストーンとやらを、か。つまり君はブルーストーンが何であるのかさえ分かっていない訳だ。

 そんな有様でよくも僕の弁護を務めようなんて言い出したね」

 「……だから今、聞いているんだろう。俺が弁護人なんだから協力しろ」

 「知識は人に頼っていては身につかないものだ。それくらいは自分で調べてくるといい。そうでないと相手の弁護人に足元を掬われかねないよ」


 だから聞いているんだろう、という言葉を飲み込んだ。

 悔しいが盗もうとしたものが何であるのかも分からない状態では、まともに弁護も勤まるまい。


 「だが、毒薬なんだろう? それを井戸に入れて大量殺人を目論んだというのは事実なのか?」

 「そう思うかい?」

 「思わないな。お前がそんな計画を立てていたならすでに犠牲者が出ている筈だ」

 「その根拠はなんだい? 僕と同室だったからだとか、僕が計算高い人間であるからというのは弁論として成立しない」

 「……根拠は、……待て、俺が尋問される側になっているんじゃないか?」

 「予行練習だと思ってくれよ。これくらいも答えられないなら解雇されても文句は言えないよ?」


 やっぱやめるか、という言葉を唸り声とともに飲み込んだ。


 「イヴ・フォレストの手紙というのは何だ?」


 その名はよく覚えている。

 士官予備科の複数の生徒と関係を持ったとして起訴された女子生徒だ。

 幾度か遠目で見たことがあったが、息を飲むほどに美しい顔立ちをしており、男子生徒の多くが浅からぬ恋心を抱いていた。

 ジャスパーによれば、彼女もまたリカルド達によってアヘン中毒にされ弄ばれた被害者のうちの一人である。


 「それに関しては、弁護人として申請を出せば閲覧することが可能だよ。

 はしゃいで名乗り出る前に、弁護人の権限や裁判の進行に関してもちゃんと目を通したほうがいいんじゃないかい?」

 「俺が弁護人に名乗り出たのが随分と不満のようだな」

 「単純に腑に落ちないんだよ。君に弁護を依頼するのは非効率的だし、君にとっても何ら利益にならないだろう?」


 ルシアンは目を細めブラッドの真意を暴くように見つめてくる。


 「お前が、破滅的な思考の持ち主だからだ」


 ブラッドはその目をまっすぐ見つめ返して言い放った。


 「お前は確かに人一倍、頭が回る。舌戦もお手の物だ。

 だが、ふところが甘い。いや、……自らの危険を省みない。

 お前はアヘンチンキを使ってリカルドを挑発したとき、自分自身にも危害が及ぶ可能性を十分に理解していた筈だ。

 そいつは刺し違えても構わないと思っている奴のやり方だ」


 ルシアンはぱちりと目を瞬かせる。


 「お前の言う通り、俺は弁護人として不十分だろう。だが裁判までに出来る限りの努力をしてみせる。

 だからお前も”俺を巻き込んで”破滅しないように精一杯シナリオを書き直せ」

 「……まさか、それが弁護人を名乗り出た理由なのかい?」


 ブラッドはソファから立ち上がった。


 「マスターとして当然の事をしているまでだ」




 ***




■□■ 事前調査② レジナルド・アーガット子爵令息 ■□■


 アズライエル寮のレジナルドを尋ねると、目の前でドアを締められかけた。

 即座に隙間に靴先をねじこみ、強引に部屋にあがりこむ。


 「絶対にお断りだ。絶対に調査に協力はしないからな!」


 ブラッドが一言も発しない前からレジナルドは威嚇するように吠えたてた。

 レジナルドの部屋を訪れたのは、ブルーストーンに関しての情報を得るためだった。

 だがレジナルドはブラッドの顔を見るなり大げさに距離をとって頭ごなしに否定の言葉を投げてくる。


 「複雑な心境であることはお察しします。ですが、アズライエル寮で頼れる相手は貴方くらいなのです」

 「それは良かった! つまり私が協力しなければあのガキは不利になるという事だろう?

 大いに結構。万々歳だ。棚に隠してある祝い用の蜂蜜酒を開けて乾杯してやってもいい!」


 拒否される可能性は十分にあったが、ここまで一方的に拒絶されるのは予想外だ。

 ブラッドはしばし思案すると、後ろ手でドアの鍵をロックする。


 「……待て、今、なんで鍵をかけたんだ?」


 本来、卒業生であるレジナルドには、現在同室者はいなかった。

 ブラッドは一歩前に進み出る。

 レジナルドは大げさに飛びのいた。


 「レジナルド先輩、俺はルシアンのように舌先三寸で相手を口説き落とすような真似は出来ません。

 ですが、表面上の傷を残さず痛めつける手段はいくらでも知っています」


 レジナルドは真顔になった。

 視線が室内をさまようが、助けが来ないことは明白だ。

 指の関節をポキポキと鳴らしながらさらに一歩前に出る。


 「……この、狂犬が……」


 レジナルドは絞りだすような声で言う。

 ブラッドは肩をすくめながら、薄く笑って返した。


 「貴方だって、ルシアンの敗北で慰められるほど安っぽい男ではないでしょう?」

 「まったく、あの小僧と一緒にいて皮肉が移ったか?」


 今度はブラッドが真顔になる。それはあまり考えたくない可能性だった。


 「それで、何が知りたいんだ?」


 レジナルドは諦めた様子で溜息を吐くと、ふてくされた顔でソファに腰をおろした。


 「ルシアンが盗み出そうとしたブルーストーンに関して。これはどういう毒物なんですか?」

 「ブルーストーンも知らないのか? まったく、これだから士官予備科の連中は困ったものだ」


 レジナルドの声に侮蔑が混じる。だがそれは、饒舌になる合図でもあった。


 「ブルーストーン、あるいは硫酸銅は鮮やかな青色が特徴的な銅と硫酸の化合物だ。水に溶かすことでごく少量でも致死量となるほど危険性が高い」

 「なぜそんなものが植物学科の棚に保管されていたんだ?」

 「ブルーストーンの主な用途として農薬として使用される事が多いためだ。薄めて除草剤として使われる事が多く、誰にでも簡単に手に入る。事務員たちの倉庫などにも保管されているような代物だ」

 「人を簡単に殺せるほど強い毒なのか?」

 「小匙いっぱいでも十分すぎるだろうな」

 「井戸に入れて無差別に人を殺すためにはどれくらい必要になる?」

 「その場合は、……井戸の深さなどにもよるが、もし私が計画したならば、20キロ相当のブルーストーンの袋をそのまま全て入れるだろうな」


 そこまで話してレジナルドの表情が渋くなる。

 ブラッドもまた、ルシアンの行動の不自然さに気が付いた。


 「つまり、……真昼間の教室から盗みだすには量が多すぎる」

 「遺憾ながらその通りだな。わざわざ植物学科の教室から盗み出す必要性も感じられない」


 レジナルドはしばし黙り込んだ後、再び口を開いた。


 「そもそも、無差別殺人を企てたとして、ブルーストーンである必要が存在しない。

 安価で手に入りやすいものの、見て分かるほどはっきりと色が着く上に、口にすれば苦みや酸味を覚える筈だ」

 「同じ安価で手に入るならばヒ素の方が使い勝手がいいという事か?」

 「ああ、だがヒ素は検出される可能性が高い。ルシアンの立場であれば、ジギタリスなど他にいくらでも代用品を手にいれる事が出来ただろうな」

 「なるほど。そういうものか」

 「ああ、だがな、ブルーストーンを用いるのは効率的ではないだとか、植物学科の棚から盗み出すには無理があるだとか、そんな理由では弁護は成り立たないぞ」

 「分かっている」


 ブラッドは呻くように頷いた。

 だが、ひとまずブルーストーンについて知ることは出来たのだ。

 一歩進んだのだと信じよう。



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