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ヴァルトレイク寮水浸し事件②

 リカルドの隣室は、目も当てられない有様だった。

 ソファやベッドはずっしりと水を含み、衣装ダンスも水分を含んでたわんでいる。

 水濡れ被害にあった生徒の多くは、学園内の空き教室へ一時的に避難していると聞いていたが、この状況ならば頷ける。

 かたくなに部屋に残り続けている寮長が怪しく見えるのも頷けた。

 この有様では、ベッドで眠ることも難しい。

 家具をすべて取り換えなければ、この部屋で過ごすことは出来ないだろう。 


 窓辺に近づき、開けようとしたところで木枠が歪んでいることに気が付いた。

 触れた指先からも僅かな水分を感じ取る。


 顔を近づけてよく見てみれば、石壁の隙間に白い結晶が残っている。

 これは石灰の混じった水がかけられていた証拠だろう。

 水はベッドやソファだけでなく、窓や壁全体に渡ってかけられていたという事だ。

 あまりにも度が過ぎる労力だ。


 水浸しになった部屋が2階に集中していることも不自然だ。

 事故死した生徒を忘れさせないという目的ならば、2階のみに限る必要はない。

 井戸水を2階まで運ぶのがいかに骨が折れるかは、ブラッド自身も知っている。

 貯水タンクから水漏れがあったと考える方が理屈にあう。


 理屈はあうが、それを証明するのは絶望的だ。

 寮長のリカルドと、士官予備科の優等生エルドレッド。

 双方の証言を証拠もなしに崩すなど、おおよそ不可能な話だろう。


 だが、……ルシアンならばあるいは。

 そう思った自分に眉をしかめる。

 余計なことは考えず、今は目の前のことに集中しよう。


 軋む窓をなんとかこじあけて身を乗り出す。

 幸い、ヴァルトレイク寮は木々に囲まれた場所に位置しており、人影も今は見当たらない。

 隣室の窓まではほとんど足場もなかったが、ブラッドは迷わず身を躍らせると、難なく窓枠に飛びついた。

 寮長の部屋の窓もやはり水を吸って膨張し、開こうにもなかなか動かない。

 それでもこじ開けて中に入ると、そこはちょうど寝室だった。


 寮内で一人部屋を持てる者は限られており、基本的に寮長のみだった。

 ただ、侯爵家の子息が入学した場合などは、特別に一人部屋が作られることがあるらしい。

 士官予備科に至っては、そこまで高位の貴族が入ってくることはないため、代々の寮長が一人部屋を占有出来ることになる。

 

 寮長の寝室には複数人が寝れるほどの広いベッドに、くつろぐためのソファも置かれている。

 それらもまた例外なく水浸しの有様だが、贅を尽くしたものばかりである事は窺えた。


 それに、……濡れた水の匂いに混じって、ルシアンに嗅がされたあの甘い匂いが残っている。

 ここまではっきりと部屋に匂いが染みついているならば、常用していた事は明らかだ。


 さて、どこを探すか。

 腕を組んで思案していたところで、隣室から話声が聞こえてくる。

 ドアに近寄って耳をそばだてれば、どうやらルシアンがブラッドを待たずに部屋を尋ねたようだった。

 歓迎するリカルドの声が聞こえてくる。

 膝を折って、そっと鍵穴を覗いてみればリカルドがルシアンを導く様がよく見えた。

 その手は馴れ馴れしく腰に延びており、ブラッドの眉間に皺が寄る。


 いくらなんでもあれは距離が近すぎるのではなかろうか。

 ヴァルトレイク寮では後輩を手籠めにする行為が存在している。

 噂には聞いていたものの、ブラッド自身がそのような目線を向けられたことがないために、ほとんど聞き流していた。

 だがこうして実際に見てみれば、根も葉もない噂話ではないと思えてくる。


 「……さっさと探して戻らないとな」


 聞きとがめられぬよう小声で呟き、改めて室内に向きなおる。

 とはいえどこを探せばいいのだろうか。家探しの経験などある筈もない。

 ひとまずは紅茶の瓶やアルコールが並べられた棚を調べてみたものの、そこまで分かりやすい場所にはないようだ。


 「どこに……、──ッ!」


 室内を見渡したブラッドは、ベッドの傍らに立つ青白い顔の少年と目が合った。

 驚きに大きく息を飲む。

 さきほどまでは間違いなく少年はいなかった。

 白すぎる肌に紫色の唇、歪に膨張した肌は明らかに生きている者には思えない。

 その気配は、井戸の底から見つかった憐れな少女のものと酷似する。


 少年は生気のない目でじっとブラッドを見つめていたが、ふとその輪郭が不安定に揺らぎ、壁の一角に向かって歩き出す。

 そうして少年は何もない壁の前で立ち止まると、ゆっくりと一点を指さした。


 「……そこに、何かあるって言うのか?」


 問いかけても少年は何も言わなかった。

 その姿は背景にまぎれるように薄くなり、元から存在しなかったかのように消えていく。

 ブラッドは足音を忍ばせ、少年が指さしていた壁に近づいた。

 間近でよくよく見てみれば、壁には僅かに切れ目があり、横にスライド出来るようになっている。


 力を籠めて隠し戸を動かす。

 そこには、濃い液体の入った茶色の瓶が隠してあった。

 だがそれだけではない。

 アヘンを吸うための装置とともに隠されていたのは──、

 鉄の枷や鞭、悪趣味な形の玩具、見るも悍ましい品々だった。




 ***




■□■ 事前調査② リカルド・ブラックウッド伯爵令息 ■□■


 「それでは、貯水タンクの水抜きは3日以上かけて行うということですね」

 「その通りだ。ヴァルトレイク寮はルドウイーク学園の中でもっとも古いという事もあって、配管内部に多量の結晶がこびりついている。

 そのため、水栓を全開にすると配管の隙間などから水が溢れ出すという事態に発展しかねないんだ。

 よって、タンクを空にする際には休暇にはいる数日前から元栓を少しだけ開けておいて、ゆっくりと流していく必要があるんだよ」


 窓越しに隣室に戻ってから、慌てて寮長の部屋にやってきたブラッドだったが、ルシアンは淡々と聞き取りを実施していた。

 何事もないならば何よりだが、慌てて戻ってきたブラッドとしては、どうしてか腑に落ちない気持ちになる。


 リカルド・ブラックウッドは肩よりのびた金髪を緩く束ねた優男という風貌だった。

 士官予備科の人間にしては珍しく眼鏡をかけている。

 ソファはどれもすっかり湿ってしまっているせいで、防水布を敷いた上に座っている。


 「なるほど。勉強になりました」

 「ああ、君も3年生になったら寮長を任されることがあるかもしれない。こうした事は覚えておいて損はないさ。

 私がブラッド君と同学年だったら君のマスターに立候補して面倒を見てあげられたというのに、……実に残念だ」

 「そうですね。僕としても貴重な機会を逃してしまって残念に思います」


 ルシアンの声は丁寧ながら、ひどく単調だった。

 これは思ってもいない事を話している時の声だと、ブラッドはよく知っている。

 愛想の良い笑顔も仮面であり、本来のルシアンは怠惰で傲慢な家猫のような振る舞いをする。


 「ジャスパーの犯行動機に関して、以前にタンクに足を滑らせた生徒の死を忘れさせないため、という話が囁かれています。該当の生徒はどんな生徒だったのでしょうか?」

 「ああ、……ユーリ君のことか。彼は非常に人気のある生徒だったよ。ロースクールの頃には多くの上級生が彼のマスターになろうと鼻息を荒げていた」

 「とても見目麗しい少年だったということですか?」

 「その通りだ。まぁ、君には及ばないがね」

 「ありがとうございます」


 リカルドの声に不穏な熱を感じ取ってブラッドの眉間に皺がよる。

 だが当のルシアンは慣れた様子でさらりとそれを受け流した。


 「それで、なぜユーリという少年の死を忘れさせない、という話が出るのでしょうか。

 事故死であれば、あまりそういう話題にはなりませんよね」

 「そうだね。あれが事故だったのか自死だったのか、今となっては分からない。ただ悲劇だったのは確かだよ」

 「どちらとも言い難い状況だったのですか?」

 「亡くなる数日前のユーリ君は、顔色も悪く、ふらふらと寮内を歩いているのを目撃されている。

 成績も急激に下がっていて、何やら思い悩んだ様子だったそうだ。

 注意力の低下によって足を滑らせてしまったのか、……何が起こったのかは分からない。

 だが、彼のご家族にとっても事故死でなければならなかった。──分かるだろう?」


 不謹慎な笑いを押さえきれず、リカルドの唇が微かに持ち上がる。


 「……ええ、そうですね。自死はいまだ禁忌とされています。葬儀も行われず、墓に埋葬することさえ疎まれる。

 状況が不確定であるならば、事故死として扱われたのは頷けます」


 この空気の悪さはなんだろうか。

 未だ鼻の奥に残っている甘ったるいアヘンの匂いのせいだけではない。

 交わされる言葉の奥に潜んだ悍ましいなにかの腐敗臭。

 ブラッドはますます眉間に皺を寄せ、喉奥で微かに唸る音を漏らしている。


 「質問は以上です。お時間をとって下さりありがとうございました」

 「いやいや構わないさ。どうせ今はハネムーン期間だからね。良かったら遊びに来るといい。

 ……ああ、それと、裁判に関してだが。是非、遠慮なくやってくれたまえ。

 私はすでに卒業生のようなものだ、就職も決まっている。

 ならば、後輩の糧になるのが、先輩としての正しい姿ではないかと思っているんだ」

 「お心遣い感謝いたします。では、遠慮なく胸をお借りいたしますね」


 にっこりと微笑むルシアンを、ブラッドは半眼になって見つめていた。




 ***




 「君は思ってることが顔に出過ぎるんじゃないかい? 辛抱の効かない犬みたいだ」


 廊下に出ると、ルシアンは途端に態度が悪くなった。

 声にも分かりやすく揶揄が滲んでいる。


 「あれを笑顔で聞き流せというならば土台無理な話だ。お前はよく平気だな」

 「仕方ないさ。僕は自分の容姿を正しく分析出来ているからね。ああいう輩がいるのも頷ける」

 「だからあの嫌らしい目線も甘んじて受けるという訳か?」

 「君だってロースクールの頃には持て囃されていたらしいじゃなか」

 「……初耳だが?」


 ブラッドは思わず立ち止まった。


 「ジャスパーから聞いたよ。今でこそ身長も相まって強面に思われがちだが、ロースクールの頃はいかにも少年然とした愛らしい外見だったんだろう?」


 愛らしい、かどうかは分からない。

 ただ身長は平均以下であったし、顔も童顔の部類だった自覚はある。


 「だが、あんな秋波を受けたことはないぞ」

 「それは君が決闘や闇討ちだと勘違いして、すべて打ち負かしてきたからだろう?」

 「……あれは、そういう意図だったのか?」


 確かに空き教室や裏庭に呼び出されたことはある。

 就寝中に襲撃を受けたこともあったが、別の意味で狙われていたなどまるで想像もしなかった。


 「もっと徹底的に叩きのめしておくべきだったな」

 「華奢な美少年がまさかの狂犬だなんて誰も想像しなかったんだろうね。なんとも不幸な話だ」

 「自己紹介か? そも、俺の事がどうでもいい。問題にしているのはお前の話だ。

 あんな目線に晒されるのは、お前がその”華奢な美少年”とやらのままだからだろう。もう少し鍛えてみたらどうだ?

 同じ2年生たちに比べても、縦も横もてんで足りてないじゃないか」

 「……言っておくが、僕の身長や体重は至って平均値だ。僕は飛び級で入ったからね」

 「待て、初耳だぞ。という事は俺の一歳年下じゃなかったのか? それでもその態度なのか?」


 思わず問い返すブラッドに、ルシアンは肩をすくめるだけだ。


 「さて、明日はアズライエル寮だ。僕らの良き友人に会いに行こうじゃないか」




 ***




■□■ 証言①  レジナルド・アーガット子爵令息 ■□■


 ──2日後。

 はじめに証言台にあがったのはアズライエル寮のレジナルド・アーガットだった。

 アマルダ嬢の裁判にて、ヒ素を検出したと証言したあのレジナルドである。


 何故、レジナルドが証言台に立っているのか。

 それはルシアンが彼を焚きつけたためだった。


 「お久しぶりです。レジナルド先輩。就職が取りやめになったとお聞きしました。また一年間一緒に学べるなんて嬉しい限りです」


 寮部屋を尋ね、ニコニコと笑うルシアンに殴りかかってこないだけの理性はあったようだ。

 件の裁判で失態を晒したことで就職が取りやめとなったレジナルドは、学園に残留することを選択した。

 ただその就職先というのが原告のジョセフィーヌ嬢と縁のある機関であったため、嘘の証言はただ単に鼻の下を延ばしすぎただけではないだろうと、少しばかり同情も集めている。


 だからと言って、わざわざレジナルドに調査を依頼しに行くルシアンは性格が悪いにもほどがある。

 ルシアン曰く「挽回の機会を与えてやった」らしい。

 半分はレジナルドの苦虫を嚙み潰したような顔が見たかったのではないかとブラッドは睨んでいる。


 結局レジナルドはルシアンの提案を飲む事になった。

 彼にとって名誉挽回の機会が必要なのは確かであったし、奇人変人の学者たちが集うアズライエル寮は、体力勝負のヴァルトレイク寮とは常にいがみ合っている関係だ。

 そのヴァルトレイク寮に一泡吹かせられるというならば、悪くはないと思ったようだ。


 かくして、証言台に立つことになったレジナルドは聴衆の好奇の視線を浴びながら口を開いた。


 「アズライエル寮3年、レジナルド・アーガットだ。ヴァルトレイク寮の貯水タンクに関しての調査結果を報告する。

 貯水タンクの内部を確認したところ、満水時の9割ほどの位置に白く縁どるように結晶化が起きていることを確認した」


 レジナルドは咳払いをして再び口を開いた。


 「夏季期間中は普段より水温が高くなる。

 僅かながら水分が蒸発していき、溶け切らなくなった石灰がタンクに付着することによって結晶化が発生する。

 つまりこれは、長期間に渡ってほぼ同程度の水位が保たれていた事を意味している。

 結論として、……ヴァルトレイク寮の貯水タンクは夏季休暇中もほぼ満水の状態であったと証明出来る」


 レジナルドが証言を終えると、リカルド側の弁護人が立ち上がった。

 クラウスという名の子爵家の令息で、ルシアンと同じノクスホーク寮の3年生だ。


 「石灰がタンクの内側で結晶化するという事は理解しました。

 しかしそれは、慢性的に形成されているもので、夏季休暇中に発生したとは限らないのではないですか?」

 「休暇中でない場合、生徒たちが水栓を利用することで貯水量は減少し、数日に一度は新たな水が継ぎ足される。

 このように常に水位が変動する状況であっても結晶化は発生する。しかしその場合、全体的にうっすらと白く濁っていくか、タンクの下部に結晶化が集中する形になる。

 今回のようにくっきりと筋状に結晶化が残っているのは、長期間水位が同じだった事を意味している」


 淡々と告げるレジナルドに、クラウスはそれでも食い下がった。


 「長期間に渡って水が溜まっていたと仮定します。それが今回の夏季休暇中だったという根拠はありますか?」

 「ルドウイーク学園の水栓は、12月以降は凍結による破損が懸念されるため使用禁止となる。

 この間はタンクは完全に空となるため、冬季休暇中に筋状の結晶化が発生したという可能性は除外される。

 一方、春休暇は2週間ほどしかない上に、帰郷しない生徒も多いためタンクの放水は実施されない」

 「それでも、今年の夏に発生したとは断定できませんね?」

 「ヴァルトレイク寮の貯水タンクでは、去年の11月に男子生徒が足を滑らせて死亡するという事件が起こっている。

 当然、この事故の後、タンク内は徹底的に洗浄が行われた。

 それまでに付着していた結晶の多くは削ぎ落されたことだろう。

 よって、筋状の結晶は今年の夏季休暇中に発生したものと断定できる」


 証言を聞きながら、ルシアンはなんともご満悦の表情だった。

 実際、レジナルドはタンクを調査しただけでなく、きちんとした裏どりも行っている。

 アズライエル寮の傑物と謳われていたのは、過ぎたる評価でもなかった訳だ。


 クラウスはそれ以上の追及をするのを諦めると、大人しく席に戻っていった。

 ルシアンは席を立つと、たいそうお綺麗な顔で笑ってみせた。


 「被告側からの質問はありません。

 レジナルド先輩の類い稀なる叡智と、揺るぎない探求心により真実がつまびらかになった事、心より感謝申し上げます」


 これにはレジナルドだけでなく、聴衆の多くが苦笑いを吐き出した。

連載中ホラー部門にて、デイリーランキングおよび週間ランキングで1位に入りました!

また、誤字脱字に関しましてのご報告下さり、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

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