44 脚気
夕食時間が終わり、アドルフさんは片付けをそこそこに、すぐさまイヴァンナさんの部屋に駆け込んだ。
コンコンとドアを軽く叩き、お見舞いの許可をお願いした。
「すみません、イヴァンナさんの様子が気になって見舞いに来ましたが、よろしいでしょうか?」
「ああ、先ご飯を美味しそうに食べてくれたお嬢さんね、気にかけてくれてありがとう、どうぞ」
アドルフさんは快く見舞いを受け入れてくださったが、どこか表情が疲れているように見えた。やはりこんな繁盛している宿屋をほぼ一人で経営していくのは大変だろう。
「気にかけていただいてありがとうございます、先程お食事中にお見苦しいところをお見せして恐縮ですわ」
ベッドで横になりながらも、私たちに気を遣うイヴァンナさん、顔色は悪く、今にでも吐き出しそうな感じだ。
そのベッド横に置かれているのはおそらくイヴァンナさんの夕食だが、中身は白いご飯と具なしの味噌汁のみだった。
「あの…失礼ながら、こちらはイヴァンナさんの夕食ですか?」
妊婦の食事にしては質素すぎて、思わず聞いてしまった。アドルフさんの宿屋はかなり繁盛していて、先ほどダイニングルームで食べたゲスト用の食事も、質素でありながら様々な種類な野菜があったのに、妊娠中の娘に白いご飯と具なし味噌汁のみ夕食に出すというのは、なんだか腑に落ちない。
「ええ、そうですよ、人間の方から見れば味気ないものでしょう、うふふ」
「でもこれはね、パパが私の食事に出し惜しんでいるのではなくて、エルフ国では妊娠中に白い食事のみを食べることで、神に祝福された純潔な子が生まれるという言い伝えがありますの」
まるで私の疑問を見抜いたように、イヴァンナさんは優しく答えてくれた。
確かに、前世にも、海外の一部の山間地域で、妊婦に白いご飯のみ食べさせる文化があったと聞いたことがある。
しかし、白いご飯だけを食べ続けたら、あの江戸時代の有名な国民病にかかってしまうリスクが…
「もしかして…手足が痺れていたりしますか?」
「?ええ…痺れと、力の入りにくい感じがしますわ、でも妊娠したらみんなこうなるから、仕方ないことですわ」
「失礼ですが、膝を叩かせていただいてもいいですか?」
「膝…ですか?ええ…どうぞ」
イヴァンナさんの足を持ち上げて、力が抜いた状態で膝蓋腱を叩き---いわゆる膝蓋腱反射検査---を行った。
そして予想通り、反射は見られなかった。
「イヴァンナさん、こちらは症状は妊娠によるものではなくて、ビタミンBという微量栄養素の欠乏症ですわ」
「「ビタミンB…欠乏症?」」
イヴァンナさんだけでなく、アドルフさんも首を傾げた。
「ええ、この度ワーズ公爵家から遠洋航海事業を成功させた理由にもなった、微量栄養素の研究ですが、長い航海によって新鮮な果物や野菜に含まれたビタミンCが不足すると、海の怪病「壊血病」になってしまうのは、お聞きしたことありますか?」
「ああ!それなら水夫たちから聞いたことがある!」
アドルフさんはパッと思い出して、話に乗ってくれた。
「そうなんです、実のこのビタミンというものは、数多くの種類がありまして、ビタミンC以外にもビタミンA、B、D、Eなど、様々な種類があります」
実を言うと、ビタミンBは一つのビタミンではなく、前世で生んだ現代医学にはビタミンB1、B2、B6、B12、ナイアシン、パントテン酸、葉酸、ビオチンの8種類が発見されているが、この世界でのビタミン研究はまだ駆け出し中で、ビタミンB群の種類まで特定できていない。便宜上、お二人には簡略に説明した。
「ビタミンBも体に必須な栄養素の一つで、不足すると、手足の痺れや疲労感、神経腱反射の遅れ、重症化すると心臓の機能に影響し、動悸や息切れ、足のむくみなどの症状が出てきます」
前世で、脚気という名で知られていた、江戸時代の国民病の一つである。精米技術の発達により、玄米を食べることが少なくなり、主に江戸の富裕層を中心に患うこの病気を、一時期「江戸わずらい」と言われていた。
「ああ!そうだ、そうだ!妊婦さんはみんなそんな症状があるよ!」
「そうなのですね…しかし…栄養不足と言われましても…」
症状の原因がわかっても、イヴァンナさんはやはりどこか不安そうな表情を浮かべていた。それもそうだろう、栄養不足と言われても、エルフ国の言い伝えでは、白い食事のみを食べた妊婦に、神に祝福された純粋な子供が生まれると言われていますから、何か別の食事を食べることに抵抗があるのも無理ない。
「そうですね…ビタミンBを補いながら、白い食事を継続する方法に致しましょうか」
「そんな簡単にできることですか?私は白いご飯と味噌汁以外、真っ白の食べ物を知りませんが…」
ビタミンB群を補充する一番いい食材は豚肉やうなぎなどの肉類と魚介類ですが、エルフ国の人々にとって、それは大変受け入れ難いもの。しかし、前世過ごした日本には、植物性ながらも、優秀なビタミンB群摂取元となれる、あの真っ白な食べ物があるのだ。
早速、アドルフさんのキッチンを借りて、試作を始めた。




