20 グリテール
翌日、サラは姉であるアンナを連れてきた。
確かにサラの言う通り、アンナの肌はボロボロに割れており、包帯の上から血が滲み出ているほどだった。
アンナの病状を見て、私は確信した。
これは前世でいうアトピー性皮膚炎だった。
幼少期は栄養状態がよく、手入れも行き届いていたから、それほどひどくなかった皮膚炎でも、両親を亡くし、強いストレスの下、過酷な労働と偏りがちな食事に清潔ではない居住条件、アトピーを悪化させるには揃いすぎた環境だった。
「この度愚妹がとんでもない罪を犯し、大変申し訳ございませんでした」
アンナは私を見るなり、すぐさま跪き謝罪をした。
「頭を上げてちょうだい、事情はサラから聞いたわ」
「盗みはあってはならないことだが、二人の姉妹愛には、私も心打たれたものだ」
私がそう話しても、アンナは頑なに頭を上げなかった。
「いいえ、どんな事情があろうとも、妹は罪を犯したのです、姉として精一杯の謝罪をさせてください」
気高い人ね、やはり環境がどんなに苦しくても、妹を平民女性で付ける一番条件のいい侍女職にまで育てた人は、その人柄も只者ではない。
「そうね、なら謝罪として、あなたには一つ、私の仕事を手伝ってもらうわ」
「仕事、ですか?」
「ええ、私は近頃皮膚病に効く薬を開発したいと思っていたから、あなたにはその実験台になってもらうわ」
「っ!リリアーヌ様は流行り病を根絶やしにした天才と、我々平民の中でも特に有名な話です、そんなお方の新たな薬品開発に役立てるなら、このアンナ、煮るなり焼くなり、全てリリアーヌ様の仰せのままに致します」
「そんなことしたらサラが泣いてしまうわ、ふふ」
やはりこのアンナという女性を、私は気に入った。
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まず、アンナのアトピーを悪化させたのは紛れもなくその生活環境であり、私はとりあえず、アンナを私が誕生日に貰った別館に住まわせた。
石鹸を使って肌を清潔に保ち、さらにアロエを配合したクリームを塗らせ、肌の保湿を図った。
ちなみに、このアロエのクリームも、私がピンクローズ商団を使って作らせた商品の1つである。
この国でのスキンケアは原始的な蜜蝋やワセリンをそのまま肌に塗る程度のものしかなく、確かに科学的に、それでも効果はあるが、前世様々なハーブ系美容液を楽しんでいた私にとって、些か物足りなかった。
そこで、私はアロエやローズオイルなどを使って、様々な香りと効能を持ったスキンケア商品を開発した。
さらに乳化剤という新たな概念として、大豆からレシチンを作らせ、化粧品の水分と油分を安定化させたことで、ムラなく肌に伸びることが出来、なおかつ肌に有効成分を浸透させやすいスキンケア商品ラインの生産販売に成功した。
「デイビッド、あなたに大豆粕乾留タールを作って欲しいわ」
「タールというと、リリアーヌ様はタバコ(煙草)をお作りになりたいですか?」
「いいえ、タールはタバコだけではないわ、植物材料を燃焼させて作る樹脂性物質を全てタールと呼ぶの、今回は大豆油を絞り取ったあとの大豆の粕を使って、タールを作って欲しいわ」
大豆粕乾留タールは前世でグリテールという商品名で販売されており、日本人医師によって開発された古典的な皮膚病治療剤である。
外用すると皮膚の炎症を抑える効果があり、湿疹やアトピー性皮膚炎などに有効で昔はよく使われていた。
しかし、前世では、さらにステロイドという、副腎の皮質から作られるホルモンが発見されてから、グリテールの臨床での使用頻度はかなり減ったものだ。
本当はアンナのような重症アトピー性皮膚炎にはステロイド外用薬を処方したいところだが、この世界ではまだホルモンを精製するほどの技術がない。
「大豆粕を400~500℃ で加熱し、乾留して得られる暗褐色粘稠なタールを抽出してちょうだい、そして得られたタールを2%の比率でワセリンと混ぜ、アンナに使ってもらいたいわ」
「承知致しました」
準男爵の位を得て、本当は私の副官を辞めて、田舎でのんびり領主生活を送ってもいいのに、デイビットは私が言い出す前に、自らこの仕事を辞めたくないと懇願してきた。
私としても、できれば副官を続けて欲しかったので、5割昇給という待遇で、副官の雇用契約を延長した。
いつでもデイビットのタイミングで辞められるように、最初は2年契約を持ちかけたが、デイビットが号泣して悲願したから、副官の雇用として一番長い20年契約を交わした。
いや、透明魔鉱石がうまく見つからなかったら、私の寿命ってせいぜい残り5年もないのに…20年契約交わしてどうする、と心の中でツッコミを入れたが、デイビットがあまりにも号泣するもんだから、ツッコミは心の中だけに秘めておいた。




