12 石鹸
抗生物質・ペニシリンの分離精製に成功し、さらに前世の知識を利用して、加水分解されやすい経口投与可能な薬品として製造することに成功した。
この世界にはまだ注射の概念なく、例え注射器を発明しても、感染対策しながら安全に注射を行うことができる人材がいないため、敢えて手間暇かけて飲み薬の開発に時間を使った。
すぐにでも商品化しようとするデイビットに、私はストップをかけた。
「デイビット、抗生物質の薬ができたのはいいことだが、無闇に一般販売してはならないわ」
「抗生物質を全員に使えるようにしてしまわれたら、あっという間に抗生物質では太刀打ちできない微生物を増やしてしまうわ」
その可能性を全く想像していなかったデイビットだが、さすが私が見込んだだけあって、すぐに耐性菌の概念を飲み込んだ。
「確かに、微生物は種類が多いから、私は研究していた時も、すべての微生物に抗生物質が効いていたわけではありませんでした」
「そうでしょう、だから誰でも使えるようにしてはダメなの」
この世界には医師という職業が存在しない。
貴族たちにとって治癒魔法師がいれば問題ないから、特に医学のプロフェッショナルを育成することに必要性を感じていなかった。
しかし、平民の中には薬師なる職業が存在し、薬を作るだけでなく、診断から処方まで行う、いわば原始的な内科医のよう人たちはいる。
「それでね、私は抗生物質を使う専門の団体を作ろうと思うの」
「ピンクローズ商団から優秀な薬師を集めてくれないかしら」
「リリアーヌ様の仰せのままに」
近頃仰々しい言い方をするようになったデイビット、まさか私のことを偶像か何かと思っていないよね…
「それにもう一つ、流行り病の原因は確かに微生物の感染だが、感染してから治療をすると、もうすでに遅いわ」
「と言いますと、リリアーヌ様は何か対策をお考えですか?」
「デイビットの研究に、私たちの周りには微生物がいっぱいあって、それが原因で流行り病になる、とあるでしょう」
「左様でございます」
「私が思うには、そもそもその微生物を体に取り込まなければ、流行り病の予防になると思うわ」
前世ではすっかり浸透していた手洗いうがいなどの感染症予防法は、この世界ではまだあまり知られていない。
しかし単純に手洗いを強制しても、おそらく今までの生活方式を変えるのは難しいだろう。
「だから、平民の方に頻繁に手洗いをして貰えるように、石鹸を作りたいの」
「確かに石鹸があれば、皆喜んで手を洗うでしょう……」
デイビットが言い淀んだには理由がある。
この世界の石鹸はまだまだ高級品、その原因は天然なアルカリ製剤は海藻の灰から作られており、大量に水揚げしても、燃やして灰にすれば量が少なくなってしまうため、生産できる石鹸の量に限界がある。
「私、本でこんな事読んだことあるわ」
「食塩と硫酸を混ぜて熱し、さらに石灰石と炭の粉末を入れて熱したら、強いアルカリ性を持つ溶液ができるとね」
これは前世高校化学で学んだ、炭酸ナトリウムの工業的製造法の一つであるルブラン法。
ペニシリンと違い、ヒントを出したところですぐに研究結果にたどりつきにくいから、敢えて方法をそのままデイビットに教えた。
「そ、それは本当です!?」
デイビットは信じれなそうに目を丸くした。
「いや、でもリリアーヌ様が仰るならきっと本当に違いありません」
「今すぐに実験検証に取り掛かります!」
「いやもう少し懐疑的になってもいいのよデイビット…」
あまりにも早く私のいうことを信じてしまうから、一層デイビットにことが心配になった。
そんな私の心配を他所に、デイビットは炭酸ナトリウムの製造に息巻き、あっという間にルブラン法の再現に成功した。
続いてルブラン法をもとに石鹸工場をデュフォール領内に設立し、ピンクローズ商団の名にちなんで、薄いピンク色に染まった石鹸を生産販売し始めた。