【零】物語の終わりで
「ごめんね。どうか幸せになってね」
手紙に書き殴られたその一言が全てだった。暗い一日がまた始まる。
あぁ、全てが終わってしまった。そうだ。………終わったんだ。
思考は巡れど実感は湧かない。鏡の前で、虚ろな目の下にできた酷いクマを見る。
「……はは…これは、なかなかキてますね」
食事を取らないまま薄暗い基地の廊下を歩き、いつものように皆に挨拶をする。今日は珍しく言葉が帰ってこない。
静まり返った部屋を通り過ぎると、本日やるべき事を思い出す。
「あぁ…皆さんの容態を確認しないと」
そう呟いて私は残りの部屋へと向かう。
少しづつではあったが、今日でようやく全員の所へと回ったことになる。
一つ目の部屋に入ると、ニアは静かにベッドの上で枕を抱きしめ蹲っている。
「……あぁ、来たのか」
私の姿を確認すると、深く被ったフードを揺らしより一層枕を握る力を強める。……仕方の無い事だ。
横にある机を覗くと、"生命回帰"などと書かれた、文字通りの机上の空論がそこにはあった。
「砂上の楼閣、とでも言いたげな顔だな。……そうだな。その通りだ。……実に…!」
ギリ…と歯ぎしりをしながら顔を歪ませるニア。どうすることも出来ずに私はしばらくニアに寄り添った。
「私を憐れむなよぉ……」
感情の板挟みの中で震える彼女は、ひとしきり泣いた後静かになった。私は静かにニアをベッドに寝かせると、部屋を出て次の場所へと向かう。
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ナツは静かにベッドで横になり、布団を深く被っていた。
心労が祟ってか、ほとんど寝ている生活をしている様だ。たまに起きては「私は……ごめんなさい」などと呟いているらしい。
「……貴方も、そうでしたね」
今更ながら気付いてしまった。
きっとナツも、求めていたのだ。自身の運命からの解放と、幸福を。それは終ぞ訪れなかった。
静かに眠り込むナツ。綺麗な和服は長年の戦闘により所々解れていた。可憐な彼女にはこの現実は辛すぎるのだろう。
……この現実で、少しは救われるといいが。
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最後はラルークさんだ。偉丈夫でオールバックの茶髪が目立つ。組織内唯一とも言える程の精神的に成熟した大人の男性だ。
「……あぁ、嬢ちゃんか」
部屋に入るや否や、暗い部屋の奥からカチッと音がして、ライターの灯りと共に美男子の顔が現れる。比較にならない程に低い声が暗い部屋に満ちる。
「ラルークさん。大丈夫ですか?」
そう聞くと、何故かラルークは酷く納得したような顔をする。
「……あぁ、そうかい。すまん……手間をかけるな」
「……いえ」
ラルークからの謝罪に、私はそう返すしかなかった。
こういう時に、なんと言えばいいのか。教わっていなかった。励ましなど、とうに特効を失った。
「その…嬢ちゃん。残念だったが、アイツ…先生が死んだのは、嬢ちゃんのせいじゃないさ」
その言葉に、私は自身の血の気が引く感触を覚えた。ある種、暴言よりもそれは深く私の心を抉る。しかし、それで良かった。ラルークの精一杯の励ましだ。
「もう"送り出し"は済んだのか?」
ラルークはそう私に問いかける。緊張の中で私は精一杯に己の言葉を紡ぐ。
「……はい。きっと、もう始まっている頃です」
「…はっ、そうかい。なら大丈夫だろうな」
「……ラルークさんはっ!」
「分かってるだろ?聞くのは野暮ってもんだ」
ラルークが私の言葉を遮るように応える。
物語の顛末など、頭の良いこの人には分かっているのだろう。
ならば何も言うことは無い。
「ありがとうございました。では」
涙で潤んだ視界は、自身の精神と声の反響を暗示していた。私は静かに部屋を立ち去った。
「…あぁ〜あ。全く、困った嬢ちゃんだぜ。惜しんじまうじゃねぇか」
酒のグラスを勢い良く飲み干し、今となっては泡沫となった己の記憶を思う。ライターの火は弱々しくも煌々と自身を照らす。
「酒かぁ……まぁ、アイツとの約束は果たせなかったが、それでも俺はアイツらが大好きだぜ」
そう静かに呟くと、ラルークはライターの火を消した。
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一つだけ決めていることがある。
私が"最後"だ。私はこの世界の顛末を知る義務がある。始まりとして、終わりとして。
そうして、"誰も居なくなった"ダウンの司令室を見る。
あぁ、一人でも大丈夫だ。絶対にあの人が居るから。
あの人の席。
先生。大好きな先生。
あの人の前では、私は笑う。笑える。先生が全てだったから。
そうして私はその席の隣、私の定位置の席に座る。そうして横を笑顔で見る。
薄暗い部屋の中。
頼りになる貴方。呼び慣れた、最も敬愛する人の名前を。
私は目の前の人に一言呟くのだ。
「先生」と。