序章
作品を開いてくださってありがとうございます。
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「来年の桜を見ることは難しいと思われます。」
目の前に座っている医者は穏やかに、それでいてはっきりと告げた。余命宣告というには些かロマンチックな表現のそれは紛れもなく自分に向けられたもの。そんなことはわかりきっているのに、まだ他人事のように思えてしまう。一通り病気の内容を話したあと、延命治療の有無を聞いてくる医者にこう答えた。
「延命治療の変わりに痛みを軽減する薬を寿命分いただきたいです。」
ずっとどこかへ旅をしてみたかった。
あてもなくふらふらと気の向くままに、
自分を苦しませる悩みの種もしがらみも全部忘れて。
まるで自分という存在を探すかのように。
そうできたら、どんなにいいだろう。
盲目的にそして目的もなく朝早くから夜遅くまで働いて、ご飯は生きるために摂取する。夜は痛む頭を抑え無理やり目を閉じ眠り、朝は動かすのも億劫な体を起き上がらせる。こんな生活が原因で倒れ、検査をしたら病気が見つかった。
感情のない生き方をずっとしていた。その為、今こうやって余命宣告をされても心が揺らぐことは全くない。人生の終点が明確になっただけ。あとはそこに向かい、敷かれたレールに沿って自分という列車を走らせるだけ。そう思っていた。だから数秒前の自分が発した言葉に驚いてしまっている自分がいる。
しかし、残された時間で窮屈な生活を抜け出して生きてみたい、見たことのない美しい景色を見てみたいといった想いも芽生えているのも感じている。だから残りの時間を自分の好きなように、自分がしたいことのためだけに使おうと決めた。
痛み止めの薬を三ヶ月分、処方してもらった。どうやら街の薬草屋の薬でも十分効果があるらしい。これなら旅に行った先で買うことも出来そうで安心した。錠剤の入った小瓶を片手に診療所の扉を開け外へ出た。
その瞬間、少し強い風が吹き桜の花びらが舞い踊るように散っていく。自分に勢いよく吹き込んでくる花びらにきゅっと目をつむる。そうしてそっと目を開いた。
温かな春風に吹かれながらひらひらと舞い散る花びら
満開の桜の木を通して感じる穏やかな陽の光
そしてこの小路の両脇にある圧倒的な存在感を放つ桜が咲き誇る木々
そんなこの世の中のものとは思えない幻想的で、それでいてどこか儚さを感じる景色に見とれてしまう。美しいという一言で表すことができないような、言葉ごときが表していいものかと躊躇うようなそんな光景だ。しかし、この景色に儚さを感じてしまうのは先ほどの医者の言葉を聞いたためであろうか。儚く散ってゆく花びらに自分を無意識に重ねていたのかもしれない。花を咲かせるという職務を全うし、自分の運命をただただ受け入れて散ってゆく花びらの事を他人事に思えなかったのだろうか。それゆえに抗う術もなく決まった運命に従い、散っている花びらを純粋に景色の一部として見ることができなかったのかもしれない。
以前は花にここまで感情移入するなんてことはなかったはずなのに。余命宣告とはここまで人を変えてしまうのだろうか。
否、余命宣告を利用して今までの自分から変わろうとしているのかもしれない。いつの間にか色々な事を考えてしまっていたが、今は純粋にこの景色を楽しもう。そう思うことにした。
ただ、来年、生きていることはできないのだからこれが桜の見納めとなるのは間違いない。こうして心穏やかに桜を見ることができるのは最初で最後なのであろう。そう思うと何故か胸がひどく締め付けられるような気がした。この世に今まで未練という存在を持つことはなかったはずなのに。そんな気持ちとは裏腹に、息苦しくなるかのように締め付けられた胸の痛みはしばらくおさまることはなかった。
お日様の光はこんなにも温かいものであっただろうか
日向ぼっこはこんなにも気持ちの良いものであっただろうか
桜はこんなにも儚く美しく散るものであっただろうか
そんな今までの自分の感性と今の感性の違いに思いを馳せながら帰路に着いた。
先程の幻想的な桜並木に思いを馳せながら歩いていると街に着いていた。
日曜日の午後という事もあって石畳の大通りを大勢の人が行き交い、それぞれの店の店員が忙しなく働いている。左右にある建物は薬草屋、服屋、雑貨屋、八百屋、魚屋、肉屋…と数え始めたらきりがないくらい様々なお店が並んでいる。街へやって来たのは、仕事を辞めそして仕事の給料が入金される口座を解約するためだ。余命1年で症状が悪化すれば周りの人に迷惑をかけてしまうかもしれない。そう思って仕事は辞めることにした。そうなると今まで使っていた仕事用の口座は必要なくなる。そのために銀行へ行かねばならない。しかし、街の至る所からする美味しそうな香りに本来の目的を忘れそうになり始めている。急いでしなくてはならないことを終わらせてしまおう。どんな食べ物を買うかはそれらを終わらせてからでも遅くはないはずだ。そう思ってまずは仕事場へと向かった。急に倒れたことに加え、急に仕事を辞めることで上司はかなり驚いていたが、寿命の事を話すと少し寂しげな表情を浮かべながらも送り出してくれた。
次に銀行に向かった。窓口へ行き、氏名や現在の住所を受付の人に渡された紙に記入し、窓口の女の人へ渡した。そうしてエントランスのソファに座って待っていると先程の受付の人が慌てながらこちらへ走ってきた。
「このお名前で間違いありませんか?」と記入した紙に書かれた名前を指しながらそう尋ねられたので、
「はい。間違いありません。」と答えた。
「申し訳ありませんが、奥の部屋へ来ていただけませんか?」
「わ、わかりました。」
動揺しながらもそう答えると奥の部屋に案内された。普段なら入ることのできない部屋に通され、出された紅茶を飲みながらソファに座って待っていると先程の人が書類を抱えて戻ってきた。彼女は向かいのソファに腰を降ろし、自分との間にある机に書類をこちらに向けて置いた。向けられた書類に目を通すと、そこには見覚えのある両親のサインが書かれていた。動揺していると、彼女は封筒を手渡してきた。薄いベージュの封筒に赤色のシーリングワックスで封をしてある。
「こちらはご両親からになります。お客様がこの銀行に直接いらっしゃるまでは預かっておいてほしいということで、お渡しするのが今になってしまいました。」
そう言った彼女から封筒とペーパーナイフを受け取り、丁寧に封を開けた。中には一枚、便箋が入っていた。
手紙の内容を要約すると、両親は二人とも先天性の持病の影響で長く生きられない。もしかしたら自分にも受け継がれていて自分自身も早く死んでしまうかもしれない。両親は早く死んでしまって迷惑をかけてしまうかもしれない。だからこのお金は全てあげるから好きなものやもし病気が遺伝してしまっていたら治療費にでも使いなさい。ということだった。
両親に持病があったなんて知らなかった。もしかしたら自分の知らないところで苦しんでいたのかもしれない。そう考えると、どこか申し訳なく思って胸が苦しくなった。ただ、私の病気も両親の遺伝によるものだとしたら先日倒れたことにも納得がいく。せっかく残してくれたお金を使わないのももったいないが、使うのも気が引けてしまう。ただ、やっと自分の生きる目的を見つけたのだからきっと旅に使っても怒られないはずだ。そう思って渡された紙にサインをし、遺産を引き継ぐことを決めた。引き継ぐにはまだ手続きがいるみたいでその女性は必要な物を取りに部屋を出ていった。契約の更新に必要な道具とはおそらく魔導具であろう。今、左手首に身に着けているこの細い金色の腕輪もその一つだ。
この世界には魔導具と呼ばれる魔法の道具が存在する。木、火、土、金、水の五つの属性を必要に応じて組み合わせることで出来ており、魔導具を作ることができるのは魔法使いしかいない。しかし魔法使いでなくとも、魔導具を使うことはできる。もちろん一人一つずつ支給されるこの金色の腕輪はかなり頻繁に使うことがある。例えば、この腕輪は証明書の他に、銀行の口座とつながっているためお店での支払いや、職場で別の魔導具にこの腕輪をかざし勤務時間を測ることに使ったりする。このように便利で個人情報の詰まっているこの腕輪は窃盗に遭ってもおかしくはない。だが、取り外しも使用することも血液登録をした本人にしか使えないため盗難に遭う可能性は全くないと言っても過言ではない。部屋のソファに座って五分程度待っていると、先程の女性の職員がアンティーク調の焦げ茶の木目がある、両手に収まりそうな大きさの木箱と革製のカバーのついた帳簿を手にして部屋に戻ってきた。これからこの口座に今身に着けている魔導具を登録するのだろう。目の前のソファに座り木箱の中身を丁寧に取り出した。中から出てきたのは、羽ペンだった。羽の部分はふわふわとしていて、ペンの書く部分は黒地に金色で模様が彫られている。箱のデザインに加え、ペンの装飾によってその荘厳さが引き立てられている。職員の人はそっとそのペンを手に取り、両親のサインが書かれた紙の上で円を書くように動かし始めた。すると、ペン先からきらきらとした白の光が飛び出し、魔法陣の様な模様が書かれていく。
あまりの美しさに思わず息をのんでしまった。
そんな自分をよそに円の内部に模様や文字が書き込まれていく。
魔法使い特有の言葉なのだろうか、はたまた魔導具の契約に必要な言語なのだろうか…
そんな公用語ではない言語に首を傾げていると、ペンの動きが止まった。そうしてペン先をこちらへ向けると左手首の金の腕輪にはめ込まれた白色の小石が光り、書類の上の魔法陣と同じものが浮かび上がった。
それぞれに浮かび上がった魔法陣が近づいて一つになるとくるくると小さな竜巻のように回り始め一つの丸い玉になった。きらきらと光るそれは勢いよく天井へと昇っていき、天井にぶつかるかぶつからないかの所で花火のように弾けた。きらきらとした金色の雨が部屋中に降り注ぐ。ただの契約のはずがエフェクトの美しさに驚いてしまった。きらきらとした雨が降り終わっても、言葉を発せずにいると、契約の更新をしてくださった職員の方が話しかけてきた。
「契約の更新は以上になります。お疲れ様でございました。今まで通りそちらの腕輪で貯金の残高を確認することができます。」
そう言われはっとしてお礼を言い銀行の外へと出てきた。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
遅筆ですが、連載していくので、更新されたら見てくださると嬉しいです。