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アクナス修練堂の日々 2

 走り出したウマの背の上、片手に腰の短タルツをにぎり、うまく行った今日の成果にエルガーの心は躍る。


「やっぱりおじい様は凄い」


 エルガーの佩刀は、父から贈られたこの大脇差『バイカ』の一振りしかない。


黒鞘の先端から刃側、両側面、背側のそれぞれには見知らぬ異国風の花が彫金された丈夫な金属板が鋲打されている。重く頑丈なこの短タツは、どれほど手荒く扱っても傷ひとつつかない。これまでエルガーはこのバイカを抜く必要を感じたことはない。というか、このバイカという大脇差は鞘から抜くことが出来ない。タルツのつばを黒鞘の爪がガッチリと掴んでおり、これを調べた幾人もの刀匠でさえ抜くこと叶わず匙を投げた。


故にエルガーの腰にはこのバイカを鞘ごと収める外鞘が差してある。左手で外鞘の側面を触れワールを流せば止金が外れ、内鞘ごとバイカを抜くことができる。

 今日の一撃はこれまでにない手応えを持っていた。



踏み込みから生じる動きの流れを足から脚、腰、充分に力の抜けた肩を通し、バイカの重みのみに任せて振り切る。

この半年ほどは人知れずそればかりを鍛錬してきた。何も思わず出たトカゲへの一振りは、地面と自分が直につながったような不思議な打ち込みだった。


 半年前、エルガーは祖父エンテスの打ち込みを見た。


愛用のヨールを持って祖父がその日も現れた。素振りを修練生に見せるのが恒例となっている。


初めてヨールを手に握った時をエルガーは思い出した。言われた通り柄にレイワールを流すと、それは刃を形成せず、竹刀の形状に沿って面となり広がった。そしてその打撃が起こす衝撃で自分が壁際まで吹き飛ばされた嫌な記憶も思い出し、眉がちょっとひくついた。


いつもと変わらぬ祖父の歩み。巨大な飛鯨がゆっくりと床の上を滑らかに進み、姿を表したかのようであった。何物も逃さぬようなその鋭い打ち込みにエルガーを含む修練生たちはただ驚いていたばかりだった。


しかし、その時エルガーの目が捉えたのは違うものだった。祖父のその日の素振りはエルガーに衝撃を与えた。突然見えたのだ。祖父の体は輝くハチミツに包まれていた。その中を祖父が踏み込んだ足元に生じたさらに眩い光、それは祖父の体を駆け上がり、ヨールに達した。実際に起こったのは、修練堂が響き渡るほどの床の踏み鳴らし音だけであった。が、祖父の動作が起こした衝撃はエルガーの身体全体を激しく打った。それは忘れようにも忘れられぬほど少年の胸に深く刻まれた。


その後、エルガーは取り憑かれたように祖父の動きばかりを脳裏で反芻していた。この貴重な体験を忘れるものかと、何十、何百、何千回も祖父の動きを頭の中で繰り返し、それを欠かすことのない日々が半年続いた。


すると、頭に刻まれたエンテスの動きはエルガーの身体を刺激し、身体はそれに従って動き始めた。身体が少年に動きを教えていた。この不思議な作用に少年は興奮し、それを自分の身体で体現することが何より楽しかった。修練堂での稽古が終わると人目のない森の中、ひたすら重いタルツを振り続けた。稽古のない日は朝から始め、釣った魚を炙り腹を満たすと1ティーヌ(30分ほど)眠り、またタルツを振る。そんな日々を送った。


灼熱トカゲを相手に、初めて己の思った通りの一撃を加えることができた。自分のしてきたことが正しかった、と腰の辺りから頭の天辺まで打ち震える喜びが湧き上がるのをエルガーは感じた。


 アクナス修練堂西翼の南側、低い円錐台の塔がある。石積みは苔むし、蔦が絡み、そこを棲家とする小動物、鳥は数知れない。通り名は「魔女の塔」。エルガーを乗せたウマは、これに一番近い西門に着いた。ポンっと飛び降りると手綱を引き、門番に丁寧にお辞儀をして門を通る。エルガーが勝手にウマと呼んでいるその動物を塔に隣接する納屋へ返す。納屋に飼われている奇妙な動物たちの一頭だから、本当に馬なのかどうかわからない。植物の種や汚れが毛並みに残らないよう、念入りにブラシで擦っておかないと。伯母のアーネルにばれると後がうるさい。

 

 納屋に入っていくと、来客用の柵に亜竜馬が繋がれている。見覚えのある館の馬だ。ウマを柵に仮繋ぎし、来客の亜竜馬をよく見ようと柵の隙間に頭を突っ込んだ。この距離をわざわざ馬できたのだからよほどのことが起こったのか。


 「うわっ、これは」


思わず声が出てしまった。エルガーは慌てて頭を柵から引っこ抜こうとすると、後ろからグワッと強烈な力で抱き抱えられた。


「わぁー離せっ、ナイサ。緊急事態だ」


ナイサ。小さなエルガーと比べると余計にその巨大さが引き立ってしまう。巨人族にしては小さいのだろうか、それでも背の高い人族を遥かに超える身長である。

抱えたエルガーを宙に放り投げくるりと半転させると、少年の顔はその豊かな胸乳に埋められた。草原を吹き渡る風のようなこの女の匂いを嗅ぐと、フッと我を忘れ穏やかさに包まれてしまいそうになる。

 

「わかった、わかった、逃げないから、そんなに強く抱きしめないで」


力は弱まったが、それでも警戒しているのかワイナは少年を地面へ下ろさず抱き抱えたまま大きな歩幅で塔へ向かう。


「ナイサ、今日灼熱トカゲをやっつけた」


その言葉を聞いたナイサはビクッと歩みをとめ、エルガーの両脇を支え怖い顔で少年を睨んだ。怒っているのだ。エルガーは分かっていた。分かっていた上でそれを言った。ナイサの怖い顔の裏には違う感情が隠れているのも少年には分かっていた。


塔の東、ナイサも通れるアーチ型の扉、木肌が痩せ減り木目が浮き出ている古びた木製の扉が開いた。そこから姿勢の良いこれもやはり大柄な男が姿を現した。叔母の従僕ドワンジ爺だ。抱き抱えられたエルガーへ向かって手招きする。

扉から溢れてきた室内の空気を、風が運ぶ。

“この匂いは、期待できるぞ“

エルガーが内心に喜びを隠し、何も気づいていない風を装う。ドワンジはエルガーを驚かすことを生き甲斐にしているようだ。

「戻ったかエルガー、聞いたぞ。ようやった」


すかさずナイサはドワンジに向かって、唇を上下からつまむ、黙って、のサインを送る。


「何を言うとる、さっきまで喜んどっただろが。おまえさんだってエル坊の気持ちが嬉しいはずだ」


ドワンジの言葉を聞いたエルガーは、ナイサの顔を見つめる。ナイサは自分の顔を見せまいとエルガーの顔を自分の胸に押し付けた。


「さあて、爺がエル坊に喰わせようとしとるのはなんじゃ」


茹でたのは嫌いだが、衣で揚げたカリカリ食感、少し苦くて甘い味が口の中に湧き上がって来た。両手でナイサから顔を引き離すと、エルガーは


「春菜の天ぷらでしょ」


「なんじゃ、ばれとったか」


その時、バンっと扉がさらに開き、奥から女性が飛び出してきた。ナイサの腕から奪い取るようにエルガーを引き離すと、強烈に抱きしめ、頬を擦り寄せた。


「エルガー、どこも怪我はない。大丈夫なの」


そう言うと、この女性はエルガーを立たせ、体の隅々まで見回した。スカートが汚れるもの気にせずひざまずき、女性は少年の顔をよく見ると、再び抱きしめた。


「危ないことはしないって約束したでしょ。わたくしがどれほど心配したと思っているの。もう、この子は」


他の誰が何を言おうとあまり気にしないエルガーであったが、この女性に言われると心の中から罪悪感という小さな泡が浮かび、弾けた。


「母上、もうそのくらいにしてあげて下さい。エルガーの顔が変になってます」


女性の後ろから声がした。従兄弟のタナスが、母親の陰からひょこっと顔をのぞかせエルガーに片手を挙げて見せた。


「いいんです。わたくしとの約束を破ったのだから、これくらいのことはされて当然です」


約束を破ったのに罰を受けず、甘やかされるのはどうなんだろう、とエルガーは思った。エルガーは今年で十歳になる。流石に皆の前で、まして実の子供の前でこれほど子供扱いされるのが恥ずかしかったが、無理に押しのけることもできずにいるうち、注がれる想いエルガーは胸が熱くなった。

エルガーは叔母カムナの首に優しく腕を回すと


「叔母さん、ごめん。約束は難しいけど気をつけます」


「そう、そう言ってくれるだけで嬉しいわ」


エルガーには見えなかったが、カムナは実に幸せそうな顔になっていた。


「アーネル叔母さんにも今日のことを・・・」


「もう聞いているし、叔母さんでもない。何度も言ってるがアーネル」


右手を腰に当て、左脚を交差させ、左手で扉に寄りかかる人物。オレンジ色と赤色のちょうど中間色をした髪をギュッと一つにまとめている。閉じていた目を開いて、ため息をつきながら頭を振ると、その髪の束が馬の尻尾のようにゆったりと揺れた。


「お義姉さんは甘やかし過ぎです。少しきついことも言ってやらないと」


「いいんです。わたくしはこの子を甘やかすと決めたんですから。子供達だって承知です」


そう言うとカムナはエルガーの手を引いて、さっさと塔の中へ入っていった。


「お義姉さん、ここは私の塔なんですけど」


アーネルはそうは言いながらも、エルガーの無事な姿に安堵の色を隠しきれないでいた


ニヤニヤしているドワンジとナイサに


「何をしてるんだい。ナイサは兄上とエルメを連れてきな。今晩はどうせこちらで食事をするんだろうからね。ついでに父上のところへ寄ってね、ピナ酒をもらって来なさい。飲みきれなくて溜まる一方じゃあ、作った人に申し訳ない。ドワンジは天ぷら揚げてるんだろ。厨房の材料使ってしまっていいから、内弟子、使用人の賄い含めてどんどん揚げてしまいな」


 修練のない日ではあったが、公爵補佐としてのクリスイン・ダンガスは公務に追われない日はない。彼の執務室に隣接する伝書室には、公都パラリスより間断なく伝書竜が飛来する。その中には、デンス・ケンスから放たれた燕竜も混じっていた。

 春霞のかかった空が桃色へと変わる。そこへ懐かしい面影が映し出された。


「兄上、やはりあの子は兄上の子ですよ」


執務室へナイサが通されてきた。しばらくするとダンガスはナイサに伴われ娘のエルメと共にアーネルの塔へ姿を現した。

 春の山菜、キノコたちが天ぷらに姿を変え、テーブルに山々を作り出している。香ばしい香りがダイニングに充満する。

扉を開いたダンガスへ皆が口々に

「あなた」「父上」「兄上」「こんばんは、叔父上」

ダンガスはそれぞれに片手をあげて挨拶を返す。エルガーの後ろに回るとその両肩に手を乗せた。

「聞いたぞエルガー、無傷であったそうだな。褒めておこう。だが、無茶はしてくれるなよ」

 

「はい、ご心配をおかけして申し訳ございません」


向かいのカムナの下座へ着こうとしていたエルメは


「随分と殊勝なのね、私への態度もそうあってほしいわ」


「朝からずっと追いかけてたアイツを、横取りされたと思ったから。でも悪かった。ごめん」


「何よ、そんな急に素直になられても、」


あたふたと視線を斜め下へ逸らしたエルメを見てタナスが


「姉上、なんか顔が赤くないですか」


「うるさいわよ、タナス。その口は大好物のキノコを食べるためだけに使って」

「はいはい、姉上の仰せのままに」


ダンガスが席につくと

「では、いただくとしようか」


こうして賑やかにして、和やかが夕食が始まった。


ピナ酒は穀物を原料とする醸造酒と蒸留酒のブレンドに燻煙成分を加えた、ベグナ国の特産品である。ダンガスは少量の水で割ったものを時間をかけてゆっくりと嗜む。カムナは果実のシロップで割り、アーネルは炭酸水で割ったものをグビグビと飲んでいる。既に子供たちはそれぞれの部屋へと引き上げ、心地より夢の世界へ旅立っていることだろう。


ドワンジ、ナイサも加わり、くつろいだ雰囲気が広がっていた。会話が途切れたのを見計らい、カムナは切り出そうとしていたことを話題に乗せた。


「あの子の様子が知りたいの。ナイサ、最近はどうなの」


ナイサの大きな手と指がヒラヒラと宙を舞う。


『エルガーは寝汗 言ってた濡れた枕、私の鼻が言った。涙。今、もう無くなった。

夜中、私の耳が言う。エルガー、父親と母親の名前を叫ぶ声。今、もう無くなった』


カムナはナイサをしばらくじっと見つめていた。喉がヒクヒクと動き、小鼻が小さく震えるとカムナは唇を振るわせ、目頭を押さえた。ドワンジも堪えきれず手の甲で目を拭う。


ナイサの手がまた話し出した。


『エルガー、ここ来てよかった。みんな優しい。エルガー、鋼の心、育ってる。強くなってる』


グラスをテーブルに置き、腕組みをしたダンガスは


「良いことを聞いた。技の冴え始めかもしれぬ。エルメの話ではエルガーが落葉の剣を使ったそうだ。修練堂では、試合どころかヨールさえ握らせず、ひたすら端座しかさせぬと言うのに」


アーネルは火床で炙られていた串魚をつかむと、パクりと一口噛みちぎる。


「見取り稽古していると、見えた動きがそのまま自分の体を動かすんだそうですよ。ピクリピクリと全身の筋肉が動きたがるんだ、と言ってたかな。我が家系にはそういった面白い子が現れるものも不思議ではないでしょう」


春が訪れたと言っても夜は冷え込む。ストールを巻き直しながらカムナは悪戯っぽい笑みを浮かべ


「そうですよ、剣技を誇る当家にあってワーレイスでもある逸材の剣士が生まれたというのに、タルツや防具の研究に没頭する変わった人もいるんですから。どんな面白い子が現れても驚きはしませんわ」


これに全く動ずることもなくアーネルは


「あー、その人なら知ってます。変わり者扱いされるのをむしろ喜ぶような人ですから、それを聞いたら嬉しがることでしょう。それに、剣一筋で面白みのない男に嫁いでくるような変わった女性も当家におりましたね。我が家は変わり者の集まりというわけです」


「そんなことないわよ。その面白みのないとあなたが言った男性のことよ。出かけた時は必ず花を持ってきてくれるし、私の誕生日には・・・まぁ、他人の態で話していたのに、崩しちゃったわね」


一同の顔に微笑みが浮かぶ。幾つになっても愛らしいカムナは、どこにいても場を和ませる。



ダンガスは静かに目を閉じ、何かを思案しているようだった。


「あの子がちょくちょく修練堂の周辺を見回っているのをずいぶん前から知っていた。皆、気にしていたな。修練堂で稽古を積めば益々腕を上げて、より危険なものへ立ち向かおうとするだろう、と思っていたのだが。皆を守る、というあの子の信念はどうやら変えられそうにない。放っておいても勝手に剣位を上げてゆくだろう。皆、どうだ、父上とも相談の上だが、近々修練に参加させようと思うが」


カムナ、アーネルはドワンジとナイサを見た。カムナは言った。


「あの子の二親から託されたのはあなたたちなのだから、」


ドワンジが答えた。

「ここにおいでの皆様、同じ思いでしょう。ナイサ、お前から言いなさい」


巨人族の女性は居住いを正し、厳かに手のひらを踊らせた。


『エルガー心の炎、父、母から受け継いだ。消すことはできない。正しく導いてほしい」



1話、2話に変更を加えたものが  小説投稿サイト アルファポリス へ投稿する予定です。

また、3話以降は アルファポリス 投稿予定です。 ご了承ください。



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