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 どこかで、というかつい最近聞いた覚えのあるおさなごえ幼声。

 ツインテールの女の子が入口の脇の試聴コーナーでヘッドフォンを片耳に掛けながら、こちらに手をひらひらさせている。

 久美ちゃんだ。

 昨日、胸に抱いた気持ち……。

 ひとは自分のために生きる。

 事実。真理。原理。本質。

 ぼくだって自分のために生きているのに。昔の同級生にぼくと違うことを求めたって、不条理だけれど、ぼくはそのことに期待して、結果、ぼくと同じように人間は生きているんだって突きつけられて、裏切られた気分になって失望した。

 失望?

 あっ、だから、ぼくは失業保険のコールセンターに電話したのかな。

 短絡的な動機だな。

 そう思ったら、笑えてきた。

「遼太郎くん、何か楽しいことでもあったの?」

「えっ!?」

 ぼくを見上げて、微笑む久美ちゃんに思わずびくっとなる。

「楽しく……見えた?」

「うん」

 昨日、飛び込む前、ぼくは同じように笑って、女子高生たちには嘲られたけれど、久美ちゃんにはぼくが厭らしいことを考えているようには見えないのかな。

「あのね。わたしが覚えてる昨日の遼太郎くんの表情はね、最初はすっごいびっくりした顔でね、次は困った顔で、その次はええっと、ほっとしてる顔!!最後は疲れた顔だったよ」

 久美ちゃんの怪力に驚き、久美ちゃんの名前が出てこなくて困って、死ぬつもりだったのに生きていることにほっとして……。

 最後は……失望した顔か。

 久美ちゃんは何も悪いことしていないのに、帰り際にシカトしてしまった。

「昨日は、ごめん」

 ぼくは頭を下げた。

 久美ちゃんの動機が自己本位だったとしても、命を助けてくれたことは事実。有り体に言えば、彼女は良いことをしたことに違いはないわけだし。

 それに、ああいう方法では死ぬべきじゃなかったんだ。

「遼太郎くんに謝ってもらわなきゃいけないことなんてあったっけ?」

 シカトされていたという自覚がないらしい。黙っておけば良かったかも。でも、後悔先に立たず。

「昨日、帰り際、待っていてくれたのに無視しちゃったから」

「えっ、無視されてたの!?ヒドイ……。遼太郎くん、疲れてて声が聞こえなかったんだと思ってた」

 あれってシカトだったんだと久美ちゃんはうなだれる。

「だから、ごめんね」

 久美ちゃんはうなだれたまましゃくりあげはじめた。子供みたいに両手で目を擦っている。

「いやっ、ほんと悪いと思ってるよ!!命の恩人にシカトなんかしてさ。つ、償わせてよ。ねっ、お願いだから」

「ほんとうに反省してる?」

「本当に」

「ほんとうのほんとうに?」

「本当の本当に」

「償うって?」

「えっと、そうだな、久美ちゃんが許してくれるなら何か奢らせてよ。何でもいいよ」

 それで済むなら安いもの。持ち金は3億円だし。

 うなだれたまま久美ちゃんがすうっと、棚に並んでいるCDを指差した。

「このCDが欲しいの?」

 こっくりとうなずく。

「ぼくを許してくれる?」

 とぼくは久美ちゃんの表情を見ようと覗き込むと、久美ちゃんは企み笑顔を浮かべていた。

「やったぁ!」と吹き出す久美ちゃん。

 えっとよく見ると久美ちゃんの顔には涙の痕跡もなかった。

「もしかして……嘘泣き?」

「さあ!?約束は約束だからね」

 飛び跳ねるように喜ぶ久美ちゃん。

 芝居だったのか。

 ぼくはうなだれる。

「遼太郎くんの命を救っといて良かった」

 と嬉しそうにぼくにCDを差し出した。

 ぼくは受け取ったCDをレジに持って行きながら、やっぱり人間は自分のためにしか生きないことを再確認した。

 けれど、不思議と昨日抱いた失望感は湧いてこなくて、こういうふうに自己本位同士が上手く噛み合って、世の中は動いているのかもしれないと思った。

 十七年間生きてきて、そんなことに初めて気づいたことに改めて、自分がどんなに浅はかな人間か思い知らされたのだけれど、こうして落ち着いていられるのは1月後に全てを終わらせることに決めたからなのかもしれない。

「お会計は6000円になります」

「はい。これでお願いします」

 とぼくは店員に受給証を差し出す。

 CDってけっこうするんだな。まっ、受給証さえあればこれぐらいどうってことないけれど。

「遼太郎くんってクレジットカード持ってるの?すごいね」

 久美ちゃんが脇から覗き込んでくる。

「ま、まあね」

「SPって何の略?」

「さあ!?」

 多分、SUCIDE-PASSの略じゃないかなと思うけれど。そんなことは言えない。

 ぼくは店員から慌てて受給証を受け取ると、定期入れに閉まった。住民基本台帳カードがあったところに、ぼくは代わりに受給証を入れていた。そして、店員からCDを受け取り、そのまま久美ちゃんに渡す。

「ありがとう。今日、このCDの発売日で、どうしても早く聴きたくて学校さぼってお店来ちゃったの」

 そう言って、ちょっと舌を出し、悪戯がばれたみたいな照れ笑いを浮かべる。

「CD、わざわざ買わなくても、ネットで落とせば、早く聴けるし、お金もあまり掛からなくない?」

 分かってないなぁと言いたげな表情で、

「いい?CDって中身の曲ももちろんだけれど、ジャケットや歌詞カード、それにCDの盤面のコーティング、あとは帯にだってアーティストの考え抜かれたこだわりや天才的な閃きが詰まっているの。いわば、CD全体でアーティストは表現したいことを体現させているわけ。だから、ほとんどのひとがCDを買わずにダウンロードして音楽を聴く今になってもCDはなくならないの。多分、多くのアーティストは印税収入が変わらなくても、ファンにはCDを手にとってもらいたいと思っているはず。特にわたしの大好きな、この夜叉はね」

 そう久美ちゃんがぼくの目の前に掲げたCDのジャケットには見るものを凍りつかせる吊りあがった三白眼と、今にも喰いちぎらんとする耳元まで裂かれた口と、その口からそそり出る牙のある能の鬼面が描かれていた。帯には『金の亡者どもに悪の鉄槌を喰らわす、地獄のヘビーメタルサウンド!!最強最後の闇金融ここに見参!!』と書かれている。意味が分からない。

「ぼ、くも今度からCD買うようにしようかな」

 ぼくは久美ちゃんの熱意とおどろおどろしいジャケットに気押されて、そう答えた。

「うん。分かればよろしい」

 満足そうに微笑んで大事そうにCDを鞄に入れる久美ちゃんを見ながら、ぼくは父親も同じよう気持ちでCDショップに通ったのだろうかと考えていた。

「ところで遼太郎くんは今日、学校は?」

「ん?ちょっと、さぼり」

 命を救ってくれた人間にまさか1月後に死ぬ手続きをしてきましたなんて言えない。

「久美ちゃんの学校は近いの?」

「園北だよ」

「うっそ。うちの高校に一番近い高校だね」

「遼太郎くんはもしかして、園西?」

「うん」

「頭良いんだぁ」

「そんなことないよ」

 もう勉強なんて興味ないし。する必要もない。

「学校近いし、また会えるかな」

「うん。会えるよ」

 こんな可愛い子と会いたくない奴なんているんだろうか。

 けれども、昨日のぼくはこんな可愛い子ともう会いたくないと思っていたんだ。

 贅沢な奴だ。

 でも、ぼくはあと1月後には死ぬ。1月なんてあっという間だからもう会えないかもしれないな。

 ひょっとしたらこういうときにひとは生きていたいと思うのだろうか。

「メアド教えて」

 久美ちゃんが照れくさそうにケータイを取り出しながら言う。

「えっ!?なに?」

 女の子からメアド教えて欲しいなんて言われるのが初めてで思わず聞き返した。

「だーかーらー、遼太郎くんのメアド教えてっていってるの」

 拗ねたような、はにかんでいるような顔だ。

「う、うん」

 ぼくらはケータイのメアドを交換して、別れた。久美ちゃんはこれから遅刻して学校に行くらしい。

 ぼくは知らず知らずケータイを握り締めていた。

 大事なものおもちゃを誰にも取られたくなくて握り締めている子供のように。


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