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 その場でもいいかなぁと考えていると、パンッ!!パンッ!!パンッ!!と乾いた音が三回して、僕から見て左のパーテーションが何か重いものがぶつかってぐらりと揺れるのが分かった。

 女性職員は、

「どうやら、隣りの方は”その場で”をご希望されたようですね。鈴木さまもそうなさいますか?」と笑顔を向ける。

 ぼくは、左のパーテーションの下の隙間からどす黒い液体が滲み出てくるのを見て反射的に、

「ぼ、ぼくは1月後でお願いします」と上ずった声で答えた。

 女性職員は「そうですか」と残念そうな表情を浮かべ、机の引き出しに何かを閉まった。

「”その場で”を選ぶとあなたに殺されるんですか?」

 ぼくの額を汗が伝う。

「はい。わたしたち職員も介錯士の資格を持っていますので、責任を持って”その場で”こちらを使ってお手伝いさせていただいています」と一度、引き出しに閉まったものを机の上に出した。

 黒光りして、重量感のある物体。ぼくは前世紀的な偏見を持っているわけではないが、少なくとも、彼女がそれを使うなんて、その愛くるしい笑顔からは想像できなかった。

 が、間違いなくそれは拳銃だった。

「これで……この場で……バーンですか?」

 我ながら絶望的な語彙の少なさだ。普段ならもうちょっとましな言葉が出てくると思うけれど、この場のぼくはこの言葉を真っ白な頭の中から必死に掻き集めた。

「はい」

 彼女は今にも語尾が踊りだしそうな返事をして、ぼくに銃口を向ける。

「この場でパンッとお手伝いさせていただいてます。これはこれで死に方をどうしようかとか、いつ死のうかとか考えないですむのでお勧めですよ」

 カチッと音がする。

 撃鉄を引く音だ。

「一月後でお願いします!!……まだ心の準備とか家族とか友人とか学校とかに報告してないんで」ぼくは慌てて言う。

「かしこまりました。7月6日ということで承ります」と彼女は残念そうを通り越して、ふて腐れながら銃を引き出しに閉まった。

「それより”介錯士”って何なんですか?」

「失望保険を初めてご利用される方は皆さん、疑問に思われますね。介錯士というのは受給希望者さまの自死をお手伝いさせていただくことを職務としています。今、お隣の方が自死された際には介錯士の国家資格を持つ窓口担当者が”その場で”お手伝いさせていただいたようにです。本来、医師がこの業務を行うことができますが、ご存知のように慢性的な医師不足や自死希望者の急増、医師の介錯方法の未熟な技術とヒポクラテスの誓いを基にした医療行為などによって、自死を手伝うつまり”介錯”ですね。その介錯行為を行う医師の不足が予想されました。そこで医師だけではなく、新しく介錯士という国家資格を作り、介錯を滞りなく行えるようこの保険制度と同時にスタートさせました。まあ、看護師や臨床検査技師などの医療従事者として考えていただければ分かりやすいと思います」

 心なしかより事務的な口調だったような気はしたが、介錯士が自殺を手伝ってくれる職業ということぐらいは理解できた。

「介錯士って具体的にはどういうことをするんですか?」

「そうですね。鈴木さまのケースですと、自死方法は未定、期間は1月後ということだけ決まっていますから、まずは鈴木さまがどういう自死をされたいのかということを介錯士と詰めていくことになりますね。その際、様々な介錯士に見積もりをさせて、その中から、介錯士をお選びになることも出来ますし、SNS内で漠然としたもので結構ですので、鈴木さまなりの希望を掲載して、それを介錯士それぞれが解釈して、1月後に鈴木さまのお手伝いをすることも可能です。この場合は介錯士を指定していただく必要はございません。だからといって、鈴木さまが不利益を被るような介錯方法は行われませんのでご安心ください。介錯士に支払われる報酬は顧客満足度によって大幅に変わります。ですから、如何に満足して自死していただくかを第一に考え介錯は行われます。ただ、そのためには鈴木さまについて多くの情報が必要になります。基本的な個人情報や先程、ご案内した、漠然とした自死の希望以外に鈴木さまの思想や性向など多岐にわたる情報を介錯士と共有していただくために鈴木様にはSNS内で日記や掲示板に書き込んでいただいたり、個人情報が公開されます」

「ちょ、ちょっと待ってください。介錯士はぼくを直接、殺したり、自殺を手伝ったりするってことですよね?」

 このまま一方的に話しを続けさせると、ほとんど理解できずに終わってしまいそうだったので話を遮った。

「そうなりますね。それは鈴木さまのご選択次第です」

「それで、その介錯士はぼくの希望に沿うような自殺をさせてくれると」

「はい。自死ですが」

「そのためにはSNS内で、ぼくが日記や掲示板に書き込む必要があるということですが、SNSってなんです?ソーシャル・ネットワーキング・サービスのことですか?」

「そうですね。会員制のコミュニティという点では同じですね。失望保険受給者と介錯士しか参加できませんので。ただ、SNSとはスゥーサイド・ネットワーキング・サービスの略ですが」

「スゥーサイドってシャレですか?」

 suicide――自殺。

「はい。いかにもお役所的なネーミングセンスですよね」

 彼女はくすりと笑う。

「そして、こちらが失望保険受給証になります」

 ぼくに見えるよう長机の上にカードが置かれる。

「これは……」

 カードを手にとって見ると、クレジットカードのような体裁をしていた。『SP』と記されたそのカードは左側の真ん中にICチップが埋め込まれ、そのすぐ下には4桁ごとに区切られた全部で16桁の番号がふられていた。

 そして、そっと右端に有効期限が書かれている。

 ちょうど1月後の日付だった。

「説明させていただきますと、受給期間中、鈴木さまの住民基本台帳カードはこちらで預からせていただき、かわりにこちらの受給証が発行されます。この受給証は鈴木さまの身分証明証になります。そして、この16桁の番号はSNSのIDにもなります。また、ETCや乗車カード、電子マネーとしても機能し、日本全国の交通機関、デパート、スーパー、コンビニなど全ての小売店で使用することができます。これ一枚あれば、どこへでも行けますし、一部のものを除いて購入することができます」

「一部のものってなんですか?」

「鈴木さまの私有財産は受給期間前に回収され、受給期間中は受給証を使用することによって、自死準備のための資金、生活費などとして支給されます。そして、受給期間後に残った、あなたが購入されたものは回収されます。鈴木さまの場合、受給金額はざっと計算すると域内通貨で30万元。日本円で3億円ですね。例えばこれを全額、株に投資した場合、場合によっては株価が急激に上がる可能性があります。そして受給期間終了時に投資された全額が回収されますので、株は売りに出され、急激に上がった株はその分、もしくは投資家が食いついた場合、それ以上の影響が出る可能性がありますので、株や証券の購入は受給証では行えません。3億円ぐらいならそんなに心配するような額ではないですけれどね。証券や土地、家屋なども同じような理由で購入することは出来ません。本来、失望保険が作られたのは自死によっての周囲への影響を最小限に止めることにありますので。ですが、そのような社会的影響が著しい場合を除いて、鈴木さまが受給期間中に相当な額を使用されても3億円は保証されていますので、使い切ってしまうということはまずないでしょう」

「……3億円ですか。考えたこともない金額ですね」

 ぼくの月々の小遣いは3万円だ。

「先程も少しご案内させていただきましたが、鈴木さまの今後予想されうる生涯賃金やCO2排出量、水、食料の消費量などにおおよそ0.4掛けした金額ですから、鈴木さまの年齢や学歴を考えると妥当な金額です。つまり政府が鈴木さまの残りの人生を買い取らせていただくということです。ですので、受給期間決定後は変更や停止などは出来なくなりますのでご了承ください。以上で大まかな説明をさせていただきましたが、何か質問はございますか?」

 人生を買い取るか、簡単に言うな。簡単なのかな。

死ぬことに変わりないんだしどうでもいいか。

「色々と説明していただいて有難いんですけど、正直、ちょっと混乱しています」

「まだ一月ございますから、おいおいお分かりになっていくかと思います。それに、鈴木さまに最低限していただくことは、SNS内で日記や掲示板、コミュニティに参加していただくこと、そして何を購入されても支払いは受給証で行えるということを覚えていただければ。それと……」

 彼女はぼくに名刺を手渡した。

 名前は大久保らいかと書いてあった。これだけ説明を受けていて名前を知らなかったことに気づく。彼女の左胸には名札がぶら下がっているというのに。

「仮名の名前ってめずらしいですね」

 一時期、平仮名や片仮名を使うことが流行ったらしいが、今は域内では名前は漢字表記で統一されていて平仮名や片仮名を名前に用いることは禁止されていた。

「これは介錯士のコードネームみたいなもので、介錯士の名前は平仮名か片仮名しか使用が許されていません。でも、平仮名の名前って一昔前のアニメのキャラみたいで気に入ってつけていますけど」

 はにかみながらそう答える。

「はぁ……」

「何かございましたら、この名刺の連絡先までお問い合わせ願えれば。わたくしに介錯を頼んでいただいても結構ですし。むしろ大歓迎です。駆け出しなので顧客満足度は低いですけれど、精一杯、介錯させていただきますから」

 彼女の満面の笑みを見ながら、彼女に殺されるのも悪くないかなと思ったけれど、ぼくの次にこの窓口に来る希望者にも同じ笑顔で接するんだろうなぁとか、殺すことをそんな嬉しそうに喋ることに何だか違和感を覚えたが、ぼくの連絡先も教えるのが礼儀かなと思いアドレスを教えて、ぼくは引き攣り気味の愛想笑いを浮かべて公共精神安定所を後にした。

 

 公共精神安定所を出ると十時を過ぎていた。

 時間がかかった気もするし、二時間で自分の人生を決めてしまったことを考えれば短い気もする。

 これから学校に行く気にはなれず、何とはなしに自転車を駅の方へ走らせていると、外資系のCDショップが目に入った。

 以前はこの街にもCDショップが何軒かあったらしいが、ぼくが物心ついた頃にはここだけになっていた。

 小学校高学年の頃、まだ離婚していなかった父親がこのCDショップでジャケットを見ながら、楽しげに試聴していたのを憶えている。それを見てぼくは音楽なんてネットで試聴出来るし、歌詞だって検索すれば出てくるし、ダウンロードした方が安価だし、だいたい在庫だってネットの方が豊富なのに、なぜわざわざCDショップに来て、音楽を選んでいるんだろうと不思議に思った。現にぼくは一度もCDを購入したことがない。だから、父親と来て以来このCDショップに入ったことはなかった。

 今なら、父親の気持ちが少しは理解できるかもしれないと思ったわけではないが暇を持て余していたので、店の中に入った。

 店内をあてどもなくぶらぶらしていると、

「遼太郎くん!!」


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