6月6日 a
6月6日
ぼくは瞼の裏に光を感じて目が覚めた。
いつのまにか眠っていたらしい。窓からまだ赤い太陽が差してくる。
ぼくの部屋は東側に面していて、隣家は平屋だから年中、朝日が差し込む。
太陽が東から昇って西へ沈む。そんな当たり前のことを当たり前に実感してほしいと、この家を建てるときにぼくの部屋を此処にすると親が決めたらしい。
時計を見ると6時を差していた。いつもより随分早い目覚めだ。
ベッドに転がっていたケータイを充電台に繋いで、机の上に昨日の夕飯が手を付けずにいたことに気づく。お腹は減っていなかったれど、冷め切ったカレーを残さずに食べた。一晩寝かせるとカレーはおいしいらしいけれど、ご飯にカレーが染み込みすぎてふやけて、いつもなら一口、口に含んでキッチンの流しに置いておくところだけれど、今 日はなぜだか食べきった。
階下では母が朝の支度をしている音がする。
ぼくより遅く帰ってきて、ぼくより早く家を出る。
それが離婚してからずっと母の生活リズムだった。
元々、ぼくが生まれてからの半年以外は仕事していた母だったが、父と別れてからはふっきれたように仕事に打ち込み始めた。
だから、週日、母と会話することはなかったし、会話する必要も感じなかった。ときたま一緒に食事していると、お互い何をしていいのか、話したらいいのか分からなくて結局、ぼくはケータイを弄りながら、母は今どき、貴重な紙の新聞をぱらぱらと捲りながら食事を終える。
玄関のドアが開く音で、母が家を出たのを確認してからぼくは一階に降りた。
昨夜、制服のまま寝てしまったので、Yシャツは皺くちゃだし、風呂に入ってないせいで汗が体に纏わりついて心地悪かったので、シャワーを浴びる。
蛇口を捻って、最初の三十秒くらい、そのまま排水溝に水を捨て、温かくなってからお湯を頭からかぶった。手早く洗い、体を拭く。昔、烏の行水だと親に揶揄されたことがあったけれど何時のことだったか。
死のうと考える人間が風邪を気にしてどうすると言われればそれまでだけど、死にたいときに自分の望んだ死に方で死にたい。風邪で朦朧として分からないうちに死ぬなんてまっぴらだ。
タオルでまだ濡れている頭を拭きながら、冷蔵庫の中のアイソトニック飲料を取り出して、グラスに注ぐ。
寝起きに朝からカレーを食べたり、シャワーを浴びたりで、乾ききっていた喉に一気に流し込む。
リビングのソファに座って、テレビをつけると七時半を過ぎていた。
家から公共精神安定所まで自転車で一〇分ぐらいの距離だから、まだ十分間に合うけれど、遅れるのも悪いので、すぐにテレビを消して、着替えることにした。
私服にしようか、制服にしようか一瞬迷ったが、平日に私服で出歩くのも変だし、クローゼットからクリーニングの袋に包まれたYシャツとブレザー、ズボンを取り出す。
母はほとんど洗濯をせず、毎日、クリーニングに出していた。洗濯する暇があるなら、仕事をしていたいんだろう。
ぼくは学校に行くのと変わらない格好と時間に家を出た。
洗濯物を干している隣りのおばさんにいつもどおり挨拶をする。
自分で決めたことなのだから、後ろめたい気持ちなどあるはずはないんだけれど、何かを企むときのように不自然なくらい平静を装っている自分がいる。
駅へと向かう方角に家の前の通りを走り、家から十分離れたところで、十字路を駅とは逆の方角に逸れた。