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 詰所に着いて、ぼくは、久美ちゃんに振り返り、ありがとうと目礼して中に入った。

擦りガラスのパーテーション二枚で挟まれたソファに腰を下ろすよう言われた。

ちょうどパーテーションで外側から、そして詰所の奥がソファに座っている人間から見えないように仕切られていた。

 向かいのソファには五十近くだろうか、白髪交じりの警官が座っていた。

 一目で合皮と分かるソファは固く、端々が擦り切れて中のクッションが見え隠れしている。

 ソファに掛けると、テーブルにお茶が出された。

 見るからに出がらしといった薄い色だったけれど、ぼくは何だか喉が渇いていて、すぐに手をつける。

 やっぱり、ただのお湯に色をつけただけじゃないだろうかと思うような味だった。

 ぼくが一口飲み、茶碗をテーブルに戻すと、警官が苦笑いを浮かべ、首筋を掻きながら話を切り出した。

「自殺しようとしたんじゃないよね?」

 最初の言葉がこれか・・・・・・。単刀直入というのはこういうことを言うんだろうな。

 自殺するつもりだったんです。と正直に答えようかと思ったが、警官の表情を見ると、単刀直入に切り出した割には、どうやらそんな答えは望んでなさそうだ。

 『自殺しようとしたのか?』ではなく、『しようとしたんじゃないよね?』否定から入るということはそういうことだろう。

 でも、何を動機としたら、ひとは急行電車の前にホームから飛び込もうとするんだろうか。ぼくはどう答えていいか逡巡していると、警官は同じ質問を繰り返した。

「まさか、自殺しようとしたわけじゃないでしょ?」

「えっ・・・・・・」

 いやっ、どう考えても自殺でしょ。と思ったが、明らかに自殺を否定するような誘導尋問だ。ぼくは何故、そうまでして自殺を否定したがっているのか計りかねたけれど、警官が望む答えを口に出した。こういう最初から答えが決まっている質問には受験勉強で慣れている。

「はい。自殺しようなんて思っていません」

 警官は安堵ともとれる吐息を出すと、それまで浅く腰掛けていたソファに、深く身を預けた。

「きみも誰かに後ろから押されたのかな?最近、そういう悪戯流行ってるみたいなんだよねぇ。ほんと困ってるんだ。こないだもうちの駅で突き落とされたひとがいてさ、幸い一命は取り留めたんだけど、電車は遅れるし、お客さんから苦情は出るし、代替輸送を手配したりとか大変なんだよ。ほんと近頃のガキは何を考えてるんだか。きみの背中を押した人間が誰か何て覚えてないよね?いやっ、覚えてなくていいんだよ。きみも咄嗟のことだったろうし。今も、混乱してるんじゃないかな?そうだよね。うんうん。全く迷惑な悪戯に巻き込まれたよねぇ」

 一人で話を進めて、納得している。ぼくか何か不味いことでも口走るんじゃないかと警戒しているかのようだ。

 警官がパーテーションで仕切られて見る事が出来ない詰所の奥にちらりと視線を送る。

 ぼくも気になってパーテーションの方を振り返る。

 すると、擦りガラスの向こうの人影がこちらに動いてきた。

 警官は立ち上がり、パーテーションの向こうから出てきた男に深々とお辞儀をする。

 細身の黒い三つボタンスーツに身を包んでいる男が現れ、警官に一瞥をくれるとそのままソファの脇を通り過ぎ、部屋を出て行った。

 警官はその男が部屋から出て行ったのが分かると、ふぅと大きく息を吐き、操り人形の糸が切れたように、ソファに座り込む。お茶を一気に飲み干すと、胸ポケットからタバコを取り出して、火をつけた。

 眼を閉じて、煙を大きく吐き出すと、さっきまでとは打って変わった真剣な口調で、

「自殺はいけないよ」と言った。

 ぼくはさっきまで警官は自殺を否定したがっていたのに、今度はぼくが自殺しようとしたと断定するような言葉に変わったことをいぶかしんだ。

「きみは学生だから知らないのかもしれないけれど、自殺は死に方としては最低だよ」

 ・・・・・・。

ぼくはこの手の言い方は嫌いだ。

 きみみたいな将来性のある若者が自殺なんて選んじゃいけないとか、残された家族の気持ちを考えろとか、くどくどと道徳的な話でも持ち出すのだろう。

「自殺の何が悪いってね、きみは死んで終わりかもしれないけれど、周囲の人間にどんだけ迷惑かけることか。まして電車に飛び込みで自殺なんて、多額のお金がかかるしね。それにうちの管轄で自殺者が出ると、われわれの給料や人事の査定にまで響くんだよ。あの法律が出来てからはね」

ぼくは話が思わぬ方向に行ったことに拍子抜けし、同時にその『法律』に興味を抱いた。

「『あの法律』ってなんですか?」

「ん?やっぱり知らないのか。まっ、法律が新しく出来ても、報道されない限り知られることは少ないから当たり前といえば当たり前か。正式名称は忘れたが、通称『自殺禁止法』と言ってね。分かりやすいだろ?たしか三、四年前だったと記憶しているが、それまで日本の死亡原因の第一位を自殺が十年間連続で占めてね。その数も三十万人を行ったり来たりしていたんだ。そのことを危惧した本土は日本に状況を改善するよう強く求めた。今までだって自殺幇助や自殺教唆は禁じられていたんだけれど、それをもっと広範囲に拡大したんだよ。簡単に言うと『止めることが出来なかった』というのも罰せられる対象になったんだ」

「・・・・・・」

 ぼくは言葉を失う。

 警官は頷き、

「そう、無茶苦茶な話だよ。例えば、きみがこの駅で飛び込み自殺をしたとする。そうなると、我々が自殺を防げなかった管理責任を追及されるんだ。ホームに配置されている駅員が足りないとか、放送で注意を呼びかけるべきだとか、警告するポスターを貼れだとか。言いがかりと言ってもいいくらいなね。それだけじゃないんだよ。きみが自殺した現場に居合わせた人間も止めることが出来なかったとして罪を問われる。なぜ、飛び込もうとしていたのに気づかなかったのか。なんてさ」

 そう言って、警官は灰皿に灰を落とす。

 全く関係のない周囲の人間まで罪を負うのか。

何もしないことが罪だと。

・・・・・・そうか。

だから、久美ちゃんはぼくを助けたのか。

善意ではなく、罰せられると困るから。

なんだか虚しさがこみ上げた。

おかしいな。死のうとして、それを邪魔されたことに怒ってるんじゃなく、邪魔した動機に、やるかたない気持ちになるなんて。

やっぱり、死ぬという選択肢は間違っていなかったんだ。

十七年間の人生の末に出した結論が、一人の人の親切心でぐらつくなんてどこまで、ぼくは浅はかな奴だったんだろう。

そう、死のう。と改めて思った。

でも、どうやったら死ねるんだ?

どんな死に方をしたとしても、周りの人間には迷惑はかかる。

本人は死んで終わり。

今更、誰に気兼ねする必要もないかもしれない。

けれど、出来るなら心置きなく死にたい。

いったいどうすれば?

最適な死に方ってなんだろう?

あれだけ死に方について考えていたのに。

富士の樹海で死ぬ?

樹海を管理していた人間の責任が問われる。

首を吊る?

首を吊ったロープを作ったメーカーの責任が問われる。

感電死?

電気会社の責任が問われる。

薬物の大量摂取死?

製薬会社が責任を問われる。

他にも幾らでも死に方はあるけれど、どの死に方をしても誰かが責任を問われなきゃいけないのか。

ゴホ、ゴホ。

警官の咳払いで我に返った。

ぼくは向かいに座っている警官のことなんてすっかり忘れていた。

「何が何でも生きろとは言わないよ。わたしはきみの人生にそこまで責任持てないし、きみの倍は生きているけれど、生きるべきだなんて言える根拠を未だに見出せてないしね」

 警官は自嘲気味に笑いながら、一枚のパンフレットを取り出した。

「きみの悩みをわたしはきみじゃないんで分からないが、ここなら手助けしてくれるかもしれない」

 渡されたパンフレットを覗くと表紙に『失望保険のご案内』と書かれていた。

 パンフレットの裏には『お気軽にお近くの公共精神安定所までご相談ください』と書かれていた。最寄の公共精神安定所の所在地は思いの外近く、自転車で家から10分位走れば行けるところだった。

「ここがどういうところなのか、詳しいことは分からないんだけれど、自殺する可能性がある人間にはこのパンフレットを渡せという上からの命令でね。これをしとかないと万が一、自殺者が出たときに言い訳が出来ないからさ。まっ、必要なかったら捨ててもらって構わないよ」

 警官は新しくタバコに火をつけた。

「あ、捨てるときはちゃんと資源ごみにね。そういうのも煩いんだよ。わたしが若かったころに比べると決まりごとが多くてやりにくい世の中になったもんだね。何ていうのかな、生きにくいっていうかさ」

 わたしもいつかここに相談する日が来るかもな、と警官は苦笑いを浮かべた。

 ぼくはパンフレットをもう一度見て、隅のリサイクル識別表示マークをなんとはなしに眺めた。

 その後、氏名、生年月日、住所やら一通り訊かれ、この駅では自殺しないと約束させられて、詰所を出た。


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