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6月13日 a

 6月13日


「わざわざ説明してくれなくてもよかったのにぃ」

 明らかにご立腹な久美ちゃんとどうにか会う約束を取り付けるまでに1週間程費やした。

 はじめの三日間電話をしても繋がらず。ケータイは車なんて運転しないはずなのにドライブモードになり、全く連絡は取れず。四日目にようやくメールで返事が着た。

 メールが着てすぐ電話したが出てはもらえず、メールにて事の経過を事細かに説明せよ。とのお達し。

 それも、ケータイの最大文字数を指定。

 ケータイのテンキーで最大文字数を打てとは鬼か悪魔か閻魔さまかと思ったが、あの日のぼくのピンク色の視界を思い出すと殊勝に粛々と打つしかなかった。

 もちろん、自死や介錯を連想するような言葉を避けながら。

 そして今日、江田駅前のカフェでみあちゃんとぼくと久美ちゃんの3人で会ったのである。

 一触即発か!?と会うまではビンタの1つや2つや3つや4つ5つ、いや、どんだけぶたれても我慢しようと腹を括っていたのだが、いざ会ってみると、ぼくに対する眼差しは相変わらずバナナで釘が打てるくらいの温度だったが、みあちゃんとは何故だか意気投合し、冒頭のありえない科白が久美ちゃんの口から出たのである。

 ほんと女の子は分からない。

 そして、今も目の前で繰り広げられている2人の世界。

 既に時計の長針は3周ほどし終わったところ。

 ぼくはただ、傍観しているしかなかった。

 それはサンクチュアリというか、バイオハザードマークのようにぼくが話に入るのを拒んでいるように思えてならない。

 けれども、こうして久美ちゃんの笑顔が見れて良かった。

 もう、会うことも叶わないかもしれないと覚悟もしていたのだから。


 それから、時計の長針は2回ほど回り、どうやら久美ちゃんの家にみあちゃんが泊めて貰うことが決まったらしい。今更、知ったことだが久美ちゃんは1人暮らしをしていて、部屋が余っているようで、みあちゃん1人泊めたところで支障もなく、かえって賑やかになるのが嬉しいとのこと。

 ぼくの家も部屋は余っていたが、それを口にするほど、ぼくは鈍感ではなかった。

 駅のロッカーに預けているみあちゃんの荷物はもちろんぼくが持ち、久美ちゃん家は駅から近いからと、タクシーは使わずに歩いて行くことにした。

 歩いてみると、確かに駅から近く、歩いて10分もかからずに久美ちゃんの家に着いた。

 それにぼくはここに久美ちゃんが住んでいることは知らなかったがこのマンションの存在は知っていた。なにせ、駅のホームからも見え、その高さは江田市内でも1,2を争う高層マンションだったからだ。

 こんな高級マンションに1人暮らしなんて、どっちが金持ちなんだよとぼくはひとりごちた。

 エントランスに入ると、総大理石の床を照らす、LEDとスワロフスキーで作られたシャンデリアに迎えられ、網膜認証のオートロックのドアを抜けるとエレベーターが8機。西側に4機、東側に4機並んでいた。

 エレベーターに乗り込むと、耳が痛くなるほどのスピードで駆け上がり、最上階でドアが開いた。最上階には部屋が4つあり、久美ちゃんの部屋は南西に面している。

 部屋に入ると、必要最低限の家具が並び、広い室内はより広く見えた。女の子の部屋にあると思っていた石景山游楽園のネズミのぬいぐるみや、お洒落な調度品は一切なく、へんな言い方かもしれないけれど、殺伐としていた。

 リビングからは江田市内の夜景が一望でき、昼間には富士山も眺望できるらしい。

 みあちゃんはリビングから見える夜景に嬌声をあげていた。

 都会といわれるには気後れし、かと言って田舎扱いされるのは嫌な江田市の街並みも確かにそれなりに煌びやかに見える。

「飛び降りたら気持ちよさそうー、今度、お客さんに勧めてみようかな」

 みあちゃん……。

 職業病だね。それに……。

「そういえば、みあさんってなんの仕事してるの?」

 久美ちゃんがリビングテーブルにお茶を並べながら言う。

「あっ」

 みあちゃんがバツの悪そうな笑顔をぼくに向ける。

 『あっ』じゃないよ。介錯や自死を匂わせるような言葉は久美ちゃんの前では出さないでって打ち合わせしたのに。

 あれだけカフェで話してて、口を滑らせなかったのにここで言うかな。

 ぼくの表情を伺うみあちゃんに話していいよと合図を送った。

 ここで嘘を取り繕っても、みあちゃんの動揺具合から察するにすぐにボロが出るだろうし。傷は浅いうちに。

 できるだけ久美ちゃんには心配を掛けたくなかったのにな。

「わたし、介錯士をしてるの。今は休業中だけれど」

「ふーん。で、介錯士ってなに?」

 ソファに腰を掛けて、お茶を飲んでいる久美ちゃんの姿を見る限り、全く見当が付かないらしい。

「平たく言うと、自殺を手伝う仕事だよ」

「自殺かぁ……自殺!?」

 声が裏返り、お茶が気管支に入ったのか咳き込んでいる。

「そんな、お仕事があるの?」

 介錯士という職業の話題をどういうふうに扱ったらいいか計りかねているみたいだ。

「うん」

 久美ちゃんの背中を心配げに擦るみあちゃん。

「政府は大々的に公にはしていないけれど、自殺が適正に行われるのを手伝い、見届ける国家資格なの」

「大変そう」

「うん。でも、やりがいがある仕事だよ。そのひとが人生をちゃんと終わらせられるように。思い残すことがないようにね」

「みあちゃんはすごいんだね。わたしはまだ死を身近に感じたことないもん。あっ、でも、この間、遼太郎くんがね……」

 と言いかけて、息を大きく吸い込む久美ちゃん。

 ようやく気づいたみたいだ。

「それで、遼太郎くんとみあちゃんは知り合ったの?」

 怒ってはいない。

 寂しそうな表情だった。

 ぼくらは2人とも黙って頷く。

「隠すつもりじゃなかったんだ。たださ、久美ちゃんに話すべき時が分からなくて……」

 言い訳にしか聞こえないだろうな。

「わたしに言ったことは嘘だったんだ」

 みあちゃんの目から涙が零れ落ちる。

「あのときの気持ちは本当だよ。でも、決まっていたことなんだ。死ぬことは」

「そんなおかしな話があるはずないじゃない。死ぬことが決まっているなんて死刑囚じゃないんだから!!」

 そう語気を強める久美ちゃんにぼくは何を言っても言い訳に過ぎないと思った。

 でも、一生懸命に話すことがぼくの義務だとは分かっていた。

 ぼくは手元にあったお茶を一口飲む。砂地に水を注ぐように喉が渇く。

「ぼくは、あのとき死ぬことが決まっていたんだ。そして、一度決めたことは二度と覆すことは出来ないんだよ」

「なんで?」

「ぼくは、もう残りの人生を政府に売ったんだ。これを見て」

 ぼくはみあちゃんに失望保険受給証に渡した。

「これが何なの?これって、遼太郎くんが使ってるクレジットカードじゃない」

「クレジットカードじゃないんだ。これは失望保険受給証といって、失望保険を受給した人間に渡されるカードなんだよ。といっても失望保険なんていきなり言われても分からないよね?失望保険というのは人生に失望した人間が人生を止めるのを手助けしてくれる制度なんだ。自殺することは禁止されているだろ?だから、死にたいと考えた人間はこの制度の下で計画的に死ぬことが出来る。そして、一度、受給を決めたらやめることは出来ない。つまり、死ぬことを回避することは出来ないんだよ。ぼくは久美ちゃんに助けられた日に人生に対する失望感が拭えなくて、次の日、失望保険を受給することに決めたんだ。7月6日に終わらせるって。それがぼくの人生の答えだと思った。それしかないと。でも、変なんだ。久美ちゃんを前にすると、ぼくが決めたことは間違ってたんじゃないかって思ってしまいそうになる」

「間違ってるに決まってるじゃない」

 久美ちゃんは俯いたまま、肩を強ばらせ、こぶしを強く握っている。

 自分の命を自分で決めたときに終わらせる。突然の病気や事故なんかで死ぬより、理にかなっているんじゃないかとぼくは思っていた。今でも、そう思っている。けれど、なぜぼくはそう久美ちゃんに胸を張って言えない?示せない?

 ぼくは突然君の前から消えるわけじゃない。定められたときに消える。

「だから、決められたときまで精一杯生きる。永遠なんていうまやかしの言葉に騙されるより、よっぽど良い人生じゃないかと思うんだ」

 精一杯に生きるなんて、ぼくが7月6日に死ぬと決めたときには思いもしなかった。けれど、久美ちゃんと出会って、笑って、泣いて、過ごした時間が生きたいと言う。冗談半分で介錯希望方法に書いた曖昧な『生きる』という言葉が次第にはっきりと輪郭をもって、ぼくが久美ちゃんに会うまで、存在さえ知らなかった価値を教えてくれた。

 でも、1度決めたことは覆すことは出来ない。誰かが7月6日ぼくを殺すだろう。だったら、その日まで久美ちゃんと過ごしたい。生きていることを実感できるきみと。我侭かもしれないけれど。

「逃げようよ」

 えっ!?

「決められていない時まで精一杯生きてはダメなの?永遠なんてまやかしだとしても、そこに思いを馳せてはダメなの?ねえ、逃げようよ。そんな政府との約束なんて破って。7月6日を越えて、決められていない日まで生きようよ、結局、短い時間になったとしても、いつ終わるかもしれないから精一杯生きることが出来るんじゃないかな?」

 考えもしなかった。そこまでして生きるなんて。

「そんなこと出来るわけないよ」

 ぼくは諦めを零す。

「かなり難しいと思う」

 それまで黙っていたみあちゃんが口を開いた。

「失望保険受給者が介錯を逃れることは明確な法律違反なの。違反者は即刻、見つけ次第殺される。だって、政府が受給者の残りの人生を買い取ったんだから。介錯予定日を過ぎれば受給者の命は政府のもの。なにより違反者で生き残ったひとは一人もいないの。なんでか分かる?」

「なんで?」

「介錯予定日を過ぎても生きている時点で、介錯報酬は判定結果の倍は超えるといわれているの」

「そんなの知らなかった」

 そんなこと誰も教えてくれなかった。

「聞けば教えてくれるよ」

「知らないのに聞くわけないじゃないか!!それじゃ、介錯士がわざと予定日を越えて受給者を介錯することが出来るってことじゃない?」

「ううん。受給者が予め契約していた介錯士は予定日を越えてしまった場合、介錯報酬は減額されるの。だから、そういう心配はまずないよ。契約した介錯士が責任を持って自死予定日に介錯してくれるから。でも……」

「でも?」

「遼太郎くんが逃げるとしたら、予定日を越えた途端に、介錯士が殺到する恐れがある。増額された介錯報酬目当てにね。でも、そういう介錯士は事前に遼太郎くんの要望に沿った介錯を提供していないわけだから、当然、判定結果は低くなる。脳内物質の分泌も少ないはずだからね。そうなると元になる介錯報酬が少なくて、それでも狙ってくる介錯士がどんなタイプかは自ずと分かるでしょ?」

 ぼくはつばを呑み込む。

「ランクが低いってこと?」

「そう。わたしみたいね」

 みあちゃんが自嘲気味に笑う。

「安心して。わたしは資格停止中だから。けれど、そういう輩はドーピングなんて平気でやるでしょうね」

 ぞっとしないな。

「逃げ切った人間はいないの?」

「いないよ」

 みあちゃんは即答した。

「自由入札なんてしなければよかったな」

「でも、自由入札の方が本来は良い自死が出来るの。だって、予定日を過ぎて突然介錯するより、競争に勝った介錯士が受給者の希望に沿う介錯をした判定結果の方が、幾ら介錯報酬が倍になったって全然届かないから」

 百合が自由入札を勧めてきたのもそういった理由を知っていたからなのだろうか。

「どちらにせよ、逃げるなんて考えないほうが懸命だよ。どうしても逃げるっていうなら止めはしないけれど」

 みあちゃんはちらっと久美ちゃんの方を伺う。

 ぼくも久美ちゃんを見る。

 涙は流れてはいなかった。

「わたしは7月6日を越えても遼太郎くんと一緒にいたい」

 静かに、ゆっくりと、けれど、凛として久美ちゃんは言う。


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