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 久美ちゃんを家までハイヤーで自転車ごと送り届け、家に帰った。

 結局、今日はなんだったんだろうか。

 誘われたのはぼくの方なのに、彼女は全てぼくまかせ。何を分からせようとしていたのか皆目見当がつかない。

 ただ、ちくちくしただけだ。

 ぼくはPCの電源を入れ、SNSに接続した。

 読む気もなくすほどメッセージが溜まっている。

 そこで村山百合とした約束を思い出した。

 昨日、会うはずだったのに。

 何も連絡していない。

 謝っておくべきだな。

 ぼくは教わった連絡先に電話した。

 呼び出し音代わりに歌が流れる。

 重厚なギターの速弾き、何かを叫び喚き立てるヴォーカルが受話口から耳が痛いくらい響く。

 村山百合はこういう音楽が好きなのか。

 そして同じバンドが好きな知渡れいも。

 どんな人なのだろう。

 メールやチャットで幾ら話しても、こうして肉声で会話すると思うと緊張する。

 呼び出し音が途切れ、

「もしもし村山ですけれど」

 落ち着いた飾り気のない声だ。

 声の向こうからは鼓膜を殴りつけるような重低音が響いている。

「あの、鈴木遼太郎です。昨日は約束をすっぽかしてすいませんでした」

「あっ、遼太郎!?どうしたの?昨日は心配したんだよ」

 彼女の声のトーンが一つ高くなった。

「うっかりしちゃいまして。百合さん、本当にすいません」

「そっかあ、詮索はしないけれど。それに百合さんじゃなくて百合で良いって言ったでしょ。敬語だし」

 百合の明るい声に緊張が取れた。

「謝るべきときは敬語を使わないといけないかなと思って」

「そうだね。そう言われてみれば。ん!?ちょっと待ってて」

 百合の声が途切れて、重低音が耳に溢れる。

 電話の向こうで誰かと話しているらしい。

 5分ほどして、百合さんの声が聞こえた。

「ごめんね。ちょっと店の人と話してたの。突然だけど遼太郎、今、空いてる?」

「今?予定はないけど」

 時計を見ると針は9時を回っていた。

「それなら、遊びに来ない?江田にいるSNSの仲間とオフ会してるの。遼太郎が来てくれると嬉しいな」 

「分かった。で、場所はどこなの?」

 ぼくは昨夜のすっぽかしの件もあり、駅前にあるクラブへ向かった。

 ネオン管の看板を目印に地下に入って行くと、扉を開ける前から腹に響くような重低音がリズムを打っているのが聞こえてくる。

 扉はライブハウスみたいに分厚く、開けると冷蔵庫を開く瞬間のように夜気が室内へ吸い込まれてゆくのが分かった。

 室内の照明は暗く、仄かに蒼い。

 店員に受給証を見せると、ダンスフロアから階段を上がった中2階に案内された。

 色とりどりのLEDが明滅を繰り返すダンスフロアとは打って変わって、暖色系の間接照明とゆったりと体を包むような白いソファが落ち着いた時間を演出している。

 周囲の音はケータイ越しに聞こえたように大音量でクラブミュージックが流れているけれど。

 その1番奥でひらひらと手を振る女性が一人。

「遼太郎!!こっち!!」

 声で百合だと気づく。

 暖色の間接照明の中でも、百合の髪は黒く、長く、百合の体に寄り添うように垂れていた。髪に縁取られている小さい顎の上でぷっくりと膨れたくちびるがぼくの名前を形作っている。

「どうも」

 ぼくは会釈をすると、彼女は周りで談笑している7月6日会のメンバーと介錯士を紹介してくれた。

「この子は吹上みあ。まだ介錯士はじめて半年ぐらいなんだって」

「あっ」

 そこには暗くて本来、栗色であるはずの瞳は黒く見えたが、写真のままの吹上みあがいた。

 吹上みあは顔の横で手をひらひらと揺らして、愛想のよい笑顔を向ける。

「みあちゃんのこと知ってるの?」

 百合が隣りに座るように示す。

 百合の隣りで吹上みあの隣りでもある。

「うん。スゥーフレ」

 ぼくはソファに腰掛けながら、差し出されたメニューから勧められるままにアブサンを注文した。アルコールが成人しか飲めなかったこともあったらしいが、今は学校の自販機にだって入っている。ただ、ぼくは好き好んでは飲まない。

「みあちゃんは介錯士の中でもスゥーフレの多さでは5本の指に入るものね。営業努力には感心させられてるよ」

 ぼくの右で百合がそう笑う。

「そんなぁ、それじゃぁ、わたしが誰にでも申し込んでるみたいじゃないですかぁ。わたしはちゃんと“このひと”ってひとにスゥーフレ申請してるんですよぉ」

 遼太郎さん誤解しないでくださいね。遼太郎さんのこと本気で介錯してあげたいと思ってたんですから。とぼくの左耳に息がかかる距離で囁く。

「か、考えとくよ」

「遼太郎、悪いことは言わないから、みあちゃんだけは止めといたほうがいいよ。それに昨日、遼太郎に見せようと思った介錯現場って、みあちゃんが介錯したんだけどさ――」

「ストップ!!ストーップ!!」

 吹上みあが両手で百合の口を塞ごうとして、ぼくに胸が押し付けられた。

 ……柔らかい。

「みあちゃん、判定したらドーピングしたのがバレて、6ヶ月間の資格停止と1ランク降格処分受けちゃったんだよね」

「もう、言わないでくださいよ。結構落ち込んでるんですからあ。遼太郎さんの介錯したくても出来なくなっちゃうし」

「そうだよねぇ。他にも何百人と狙ってたのが水の泡だものね」

「またそういう誤解を招くような言い方をしてー」

「ちょっと、聞いてもいいですか」

「なあに?」「なんですか?」

 2人が同時にぼくの顔を見る。

 ぼくは同時に2人と視線を合わせることは出来ないので、交互に伺いながら、

「ドーピングってなんですか?」

「そっか、分からないよね。介錯現場見たことないし」

「見たことはあります」

 見たことはある。母の。

「そうなの?それじゃ話は早いんだけど、介錯し終わると判定士が、自死者の頭蓋骨に穴開けて脳内物質を検査するじゃない?その検査で不正薬物が発見されたのよ。あれって脳内物質の分泌内容が判定に結構大きな影響を及ぼすんだけど、ある種の薬物を摂取すると分泌を促進するの。で、そういう薬物を自死希望者に摂取させるのは違法行為なんだけど、それをやったのがみあちゃんバレちゃったみたいで。昨日から不貞腐れててさ、それで今日、誘ったのもあるんだけどね」

「そうなんだ」

 人の命って軽いなぁと、まぁ、今に始まったことじゃないかとぼくはウェイターが持ってきたアブサンを一口飲む。

「うっ」

 思わず声を漏らした。

「甘苦でしょ」

 と、みあちゃんが悪戯な笑みを浮かべている。

「あんまりおいしいものじゃないね」

「でも、お酒でリセットしたいときにはいいんだ。強いし、ちょっと気持ちいいしね」

「そう?」

「飲んでるうちに気持ちよくなってくるよー。なにせ“飲む麻薬”っていうぐらいだし」

 みあちゃんはぼくのグラスに残っているアブサンを一気に飲み干した。

「ほうら」

 とろんとした瞳を向けてけらけら笑う。

 ほうらと言われても、ぼくは一口しか飲んでないんだけれど。

「別に、アブサンで気持ち良くならなくても、阿片だってあるのにね」

 と百合が7月6日会のメンバーの1人が涎を垂らしながら、阿片をパイプで吸っている姿に目をやる。

「まあね」

 阿片も以前は法律で禁止されていたらしいけれど、併合によって本土からの輸入が解禁され、誰でも気軽に手に入れることが出来る。

 ぼくも1回吸ったことがあるが、上手く吸えなくて煙に咳き込み、気持ち良くはなれなかった。

「そういえば、どこで介錯現場見たの?」

 と百合が言う。

 本当のことを言うべきか逡巡したけれど、隠してもしょうがないと思い、母が自死したことを話した。

「そっか」

 百合も、みあちゃんも押し黙ってしまった。

「でも、母が死んだところを見ても実感が沸かなくてさ。それに辛いとか悲しいとかそういう気持ちも分からなくて困っちゃったよ。だって、死ぬまで母の存在なんてどうでもいいと思ってたのに死んだ途端、寂寞感なんて抱くわけもないし」

 この空気が嫌で、ぼくはおどけてみせた。

「きっと、遼太郎の母さんはきみが居なくなるってことに耐えられなかったんじゃないかな。大事に思われてたんだよ。血の繋がりなんて普段は空気より希薄だったり、実感するときって大抵、嫌なことだったりすることも多いけれど、逃げられなくてずっと付き纏うものだけれど、最後に拠り所になるのはそういう繋がりだったりするんだよ」

 百合は髪を掻き揚げ、タバコに火をつけた。ライターの火が揺れる。

「そういう面倒くさいこと考えずに死にたかったな」

 そう言うと、百合は、

「“死にたかった”ってまだ死んでないでしょ」

 と微笑んだ。

「だけど、もう死ぬときを決めたんだから、そう言ってもおかしくないでしょ」

「誰だって何時かは死ぬことは決まってるけれど、だからと言って、生まれたときから死んでるのかってことにはならないでしょ?それにきみにはまだ1月弱、命の期限はあるんだから。公共精神安定所で、その場で死ぬことを選ばなかったのは何か関係があるんじゃない?」

 百合は薄く煙りを吐く。

「何でだろう?死にたいと思っていたし、1回は死のうともした。けれど、いざ死が確実なものだって構えたとき、心の準備が出来てなかったのかな。怯んだっていうか。おかしいよね。このまま生きていてもしょうがないと思ってあそこに行ったのに」

 百合はそう言ったぼくを見、その後、しばらくタバコの煙の先を見ていた。

 みあちゃんは舟を漕いでいる。ぼくが来る前からけっこうな量を飲んでいたみたいだ。

「もしかして死にたくなくなった?」

 百合が視線はそのままに、何気ないような口ぶりでぼくに問いかける。

 ぼくの頭にはなぜだか久美ちゃんの寝顔が過ぎった。

 花谷小学校へと向かうハイヤーの中の寝顔だ。

「死にたいことには変わりないよ。そんな簡単に答えが変わるような気持ちで出した結論じゃないし。でも……」

「でも?」

 百合が先を促す。

「でも、この先、1月をちゃんと生きてみようかなと思った。今まで、ちゃんと生きてこなかったわけじゃないけれど、じゃあ、どういう生き方がちゃんとした生き方かって聞かれても正直、分からない。だけど、死ぬことを決めて、初めて生きるということを考えた気がする」

「だから、生きたいって希望を出したわけ?」

 百合は口角を上げた。

「そういうつもりじゃなかったんだけどね。ただ、天邪鬼に介錯士は死に関してプロなんだろうけれど、じゃあ、こういう真逆な希望を出したらどうなるんだろうって、軽い気持ちでね」

「そっか。なんか面白そう。自由入札に向いている希望かもね」

「そう?」

「うん。下手な介錯士をもし指名したら、テキトーな介錯されかねないお題だもの。みあちゃんみたいに、ドーピングで済まそうとするかもしれないよ。どうなるか楽しみだね」

「楽しみにしても、お互い結果が分かるときには死んでるでしょ。百合はどうなの?れいちゃんだっけ?」

「結構楽しいよ。今はまだ具体的な介錯方法とか決めてないけど、失望保険の受給期間を有意義に過ごしてるよ」

 とちらりとぼくに視線を向けて微笑む。

「今日は来てないんだ?」

「多分、来てないと思う」

「多分?」

「れいくらいの高ランクの介錯士が、受給者のオフ会になんて来たらどうなると思う?」

「うーん。依頼が殺到?」

「そう。遼太郎もSNSでれいのデータ見て知ってると思うけれど、数をこなす方じゃないし、受給者を選ぶタイプだから余計にね。それに、彼女って怪人二十面相みたいなの」

「二十面相って、江戸川乱歩の?」

「そう、神出鬼没にして、変装の名人。わたしも何度か彼女かどうか見た目で分からなかったことあるもの」

「へえ。それって介錯するのに必要なのかな?」

「詳しくは分からないけれど、高評価を得るには、サービス業なら何でもそうだと思うけれど、お客さんの求めていることを知るために心を許してもらわなきゃいけないじゃない?」

「まあね」

「れいは、受給者にとって、1番受け入れられる存在になって介錯をするのかもしれない。例えば、些細なことかもしれないけれど、わたしの場合は、元々、友達の関係から始まってるんだし。そういうこと考えると、れいをれいとして意識させないように今だって、わたしを観察してるかもしれないよ」

 百合は辺りを見回して、

「この中にれいはいるかもね。もしかしてきみだったり」

 と笑みを浮かべた。

「考えすぎだよ」

 ぼくは一笑にふした。

 友達の関係さえ知渡れいが作った設定なのかもしれないという考えが一瞬、よぎったけれど口には出さなかった。

 それこそ、考えすぎだし、例えそうだとしても知らないほうがいいこともある。

「そうね。なにせ死に向かうこの期間を楽しめばいいの。何も考えず。自然が人間に与えてくれたあらゆる賜物の中で、時宜を得た死ということに勝るものは何ものもないってプリニウスだって言ってるんだしさ」

 プリニウスが誰だかは知らないけれど、ぼくらは時宜を得た死を選んでここにいる。それだけは確かだ。

「ふんにゅ」

 隣を見ると、みあちゃんが握った右手で瞼を擦っていた。

 目を覚ましたらしい。

「遼太郎、飲め」

 でも、酔いは抜けてないのか、元々の性格なのか、有無を言わさずアブサンを並々と注いだグラスをぼくの口元に持ってくる。

「ちょ、ちょっと」



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