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 校庭の花壇や、飼育されている額から鼻梁にかけて白いラインが入った猫のような動物を眺めているた。

「珍しい動物でしょ?ハクビシンと言うんです」

 その声に振り向くと、柔和な笑顔を浮かべて、ジャージ姿の男が立っていた。

 男は飼育小屋から丁寧にハクビシンを取り出して、久美ちゃんに抱かせた。

「かわいぃ」

 彼女の胸で戯れるハクビシン。

「きみたちは卒業生かな?」

「卒業はしていないんです。転校したもので。ぼくは小学1年から4年まで在籍していました。彼女は小学4年のときに」

「そうですか。ようこそ花谷小学校へ。わたしはこの学校で教師をしている田中と言います」

 簡単な自己紹介を交わす。

 田中さんは飼育小屋にハクビシンを戻して、お茶でもどうですかと校内へ案内してくれた。

 校舎に入ってみると、意外に懐かしさがこみ上げてくることはなかった。

 小学生の頃とは目線の高さが違うからだろうか。

 足の歩幅が大きくなったからだろうか。

 手の届く距離が近くなったからだろうか。

 それとも、その頃のぼくには今、懐かしむような思い出がないからだろうか。

 そんなぼくとは対照的に、久美ちゃんは見るもの全てに感嘆し、目を輝かせている。

 教室。体育館。視聴覚室。音楽室。調理室。図書室。プール。そして、天文室。

 天文室?ああ、最初にこの学校の概観を見たときに見えた銀色のドームか。

 ぼくらの頃にはそんなのあったけ?

 天文室は屋上にあり、ドーム型の屋根が開閉するようになっていて反射望遠鏡が置かれている。天文台を小学生サイズにしたような大きさで、屋根を閉じているとぼくらの体のサイズだと多少、圧迫感がある。

「天文室は、我が校の名物です。お2人もこの反射望遠鏡を覗かれたことがあるかと思いますが」

「すいません。記憶にないんです」

「わたしも、使ったことがない気がする」

「そうですか。もったいないですね」

 と田中さんは本当に残念そうな表情を浮かべた。

「あっ、そうだ」

 そして何かを思い付いたのか、「ちょっと待っててくださいね」と階下へと降りていき、刷られた藁半紙をそれぞれ1枚ずつぼくらに手渡した。

 そこには「七夕の日に天の川を覗いて見ませんか?」と書かれていて、7月6日の夜9時から7月7日の早朝にかけて、この天文室で一般開放の星の観察会があるということだ。無料だが、予約が必要らしい。

「よかったら、参加していただければ嬉しいのですが」

 そう言われても7月7日にはぼくは存在しないんだよな。

「残念な――」

「是非!!参加させてください!!」

 ぼくの断りの言葉はものの見事に久美ちゃんの声に掻き消された。

「遼太郎くん、どうせ暇なんでしょ?」

「どうせって、ひどい言われようだな」

「何か用事でもあるの?」

「そうじゃないけれど」

 用事はないよ。用事をこなせるような状態じゃないから。

「じゃあ、決定!!」

 と言うとさっさと藁半紙の切り取り線の下の申込用紙に久美ちゃんとぼくの名前を書いて田中さんに渡してしまった。

「では、お待ちしていますので」

 田中さんの含みのない微笑みを見ていると文句を言う気にもなれず、「よろしくお願いします」とぼくは頭を垂れていた。


 ぼくらは結局、花谷小学校内を田中さんに全て案内させてしまった。

「お忙しい中、案内していただいてありがとうございました」

「いえいえ。在校していた方が訪れてくれることほど教師冥利に尽きることはありませんから」

 ぼくらはもう一度お礼を言って、学校を出た。

 田中さんなら生徒と同じ空気を吸うことが出来そうだと、教壇と生徒の机の間にあるように思える透明なアクリル板の壁を思い出す。

 あなたとぼくの間に在るモノ。

 そもそも教師とこういう関係で話したことなどなかった。

 教師の前に一人間であるということなんて考えたのは初めてのことだった。

 だから、何?

 そう思うと、何も変わらないな。

 ひとりごちて空を見上げれば、空は赤から藍色に変わりつつあった。

 隣りを歩く久美ちゃんの影は細長く、淡い。

 ぼくはきみのことを1人の人格を持った存在として考えているだろうか。

 自分のように死ぬことを考えたり、体面を気にしたりするかもしれないと考えたことがあるだろうか。

 そんなことを考える必要はない。

 考えたところで無駄な行為で、気にする分だけ傷ついてしまうだろう。

 ぼくはおそらくぼく自身もその他の人間も利用価値があるかどうかで判断している。

 そのまま生きていけばいい。

 ぼく自身に利用価値がないと判断したから、ぼくはぼくをいらないと考えたんだろう。

 それは17年間、自分というものを使ってきて、出した結論であってゆるぎないもの。

 だったはずなのに。

 ヘッドフォンから微弱な電流が漏れているように、体がちくちくとする。それは痛みには遠すぎて、痒みとも違う。

 きみの存在に怯えているのか?乞うているのか?

 なぜこんなことを考えているかも理解できない。

 母の死のせいなのかな?

 知らないうちに必要としていたんだろうか。

 ああ、もどかしいとぼくは吐息を漏らした。

「どうしたの?」

 久美ちゃんが心配そうに顔を傾ける。髪の毛が頬にかかる。

「ううん。何でもないよ」

 ぼくは微笑んでみせる。

「帰ろうか」

「うん」



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