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b

 店を出ると、さっきのタクシーの運転手が待っていた。

 けれど彼の後ろの車は、さっきまでのタクシーではなく、本土産の超高級車が止まっている。

 どうやら、さっき言っていたハイヤーらしい。

 運転手はさっきとは打って変わった慇懃な態度で後部座席のドアを開いて待っている。

「頼んでましたっけ?」

 記憶にない。

「このお店から他の交通手段を使って移動されるのは不便かと思いまして」

「はぁ」

 と運転手が白手袋を向ける後部座席に座る。

 体を包み込むようで、且つ適度な硬さで体をサポートする本皮シートに、手足をゆったり伸ばせる前後のスペース。リクライニングすると惰眠をむさぼるには丁度良い角度になり、シートはほんのり冷たく、エンジン音や外の音はほとんど聞こえない静粛性。そして、マッサージ機能まで装備されている。普段、この車を利用するひとのニーズに最大限応えている。

 なんて、雑誌に書いてありそうだ。

 つまり、やっぱり今食べた広東料理みたいにぼくの肌には合わない。

「ねえ、久美ちゃん」

 隣りの彼女に視線を向けると、彼女は舟を漕ぎ始めていた。

 ……。

 彼女の言うとおり、鋼鉄の女なのかもしれない。

 ぼくは彼女の眠りを妨げないように、運転手にそっと行き先を告げる。

 彼女と出会った日から、なんとなく行きたかったところへ。

 彼女と最初に出会った場所へ。


 ぼくと久美ちゃんが通った花谷小学校は江田市内からクルマでは2時間ぐらいだが、ケータイで調べると乗り継ぎが悪く、ぐるりと回り道をして電車の路線が走っているせいで公共の交通機関を使うと3時間ぐらいかかる。クルマなんて滅多に乗る機会がないから、卒業してから1度も訪れたことがなかった。

 もっとも近くても、行く必要性を感じることはおそらくないだろう。

 道は驚くほど空いていた。昔はクルマで移動すると『渋滞』というものに巻き込まれて、時期や場所によっては歩いたほうが速いこともあったらしい。昔のクルマは二酸化炭素を吐き出していたらしいし、そんな代物にわざわざ乗ってまで移動する必要があるのだろうか。今はクルマが二酸化炭素を吐き出すことはないし、個人で所有しているのは金持ちか本土の人間ぐらいだというのもあるのだろうけれど理解に苦しむ。

 けれど、久美ちゃん越しに見える流れる車窓の風景は電車のように遠くなく、バスよりも低く、軽快でこの変化は今まで味わったことがなくて、なんだか驚きや期待でそわそわしてしまう。


 そうこうしているうちに、クルマは制動力を感じさせないほど穏やかで静かに停車した。

 ぼくは受給証を運転手に渡して精算を済まし、辺りを見回した。

 丘の斜面に建てられ、石垣に囲まれた4階建ての白い校舎が見える。

 屋上にはドーム状の屋根を持つ銀色の建物があった。

 石垣の周りにはつつじの花が生け垣を作っている。

 花の谷に思えなくもないかもしれない。

 重厚なドアを開けられると甘い涼んだ空気が車内に入ってきた。

「くぅう」

 目覚めた久美ちゃんが右手で目を擦りながら伸びをした。

 ぼくが先に降り、彼女の左手を掴んで外に出るのを手伝った。

「久美ちゃん、覚えてる?」

 彼女は水分が薄っすらと膜を作っている眠気の残った瞳をしばたかせ、当たりを見回した。

「花……谷、花谷小学校!?」

 と目を見開く。

「そう。何年振りかな」

 ぼくは8年ぶりだ。

「小5のときに転校したから、7年振りだと思う」

 僕がこの学校を出て、すぐに彼女も転校したのか。

「じゃあ、ぼくが転校してすぐ?」

「そう。でも、他の学校のことより花谷小学校のことは良く覚えてる気がする」

「ぼくは、あんまり覚えてないけど」

 苦笑いを浮かべるぼくにお構いなく、

「ねえ、入ってみようよ」

 目を輝かせる久美ちゃん。

「えっ、無理だよ。授業中でしょ」

「もう放課後だよ」

 得意げに微笑む。

 時計を見ると確かに四時を過ぎていた。

 影は東のほうに伸びてきている。

 校門をくぐると校庭が広がり、西側には遊具が置かれている。

 ジャングルジム、ブランコ、鉄棒や名前の分からない吊り輪みたいなものなど。

 そういえばクラスでぼくだけだった。逆上がりが出来なかったのは。

 あれは努力すれば出来るものだろうか。

 コツがあるのだろうか。

 どう頑張っても出来ない人間がいるなら、なんで、練習したりするんだろう。

 鉄棒で、ぼくが教わったのは諦めるたほうが楽に生きられるということぐらい。

 久美ちゃんがぼくの視線の先にある鉄棒に気づく。

「逆上がり、わたし出来なかったんだ。でも、悔しくて放課後、みんなが帰った後、練習した。色んなところ擦りむいて尻餅ついたり。それで出来るようになったの。嬉しかった。でも、誰にも言わなかったし、授業中は出来ない振りを続けてた」

「なんで?」

 逆上がりが出来なかったのは、ぼくだけじゃなかったんだ。記憶違いかな。それとも、花谷小学校の前の学校の話なのかもしれない。

 久美ちゃんが一瞬、薄く笑う。

「だって、悔しいじゃない?人より努力しないと出来ないなんて。それにそうやって、ようやく仲間入りした人間を見る目が嫌いだった」

 と彼女は鉄棒に体重を預け、逆上がりをしてみせた。

 すごい!やれば出来るじゃない!という努力しなくても出来る人間の目ならぼくも知っている。

 嫌いだ。すごく。

 でも、ぼくも自分が勝ち組の立場だったら、そういう目をするだろう。

 されたくないことは大概、する方は気持ちがいい。

 じゃないと、人間は全て善人だろう。

 それはもう人間とは言わない。

 石とか植物とかそんな類だ。

 他のものに干渉するということや社会生活とやらはヒエラルキーなしでは成立しない。

 どっちが上か。下か。

 ぼくと母はどうだったのだろう。

 ぼくと久美ちゃんは、久美ちゃんが上かな。


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