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おなかが減ったので、受給証を使って、駅前のファーストフードで昼飯を食べていると、ケータイの着信音が鳴る。
ケータイを開くと、百合からメールが着ていた。
智寛に対してとは違う、こそばゆさを感じる。
ぼくは智寛が勘違いしているような男じゃない。友達なんていないし、澄ましてはいないし、勉強だってそれなりの努力をしてきた。
最大の勘違いは、ぼくが女にモテるということだ。SNSで誘った女の子とオフ会をしたこともあるが、一回、会ったきり彼女は行方不明になった。警察に届けた方がいいかと考えたけれど、彼女の住所も名前も知らない。ハンドルネームは分かっていたけれど、ハンドルネームで捜索願いを出したって見つかるわけがないし、だいいち、警察がまともに取り合ってくれるはずがない。
ぼくは、彼女が今、生きていることだけを願っている。
何が彼女をそうさせたのかは分からない。
一緒にカラオケをしているときにポケットからポロりとコンドームが落ち、ぎこちない笑顔を浮かべて彼女はコンドームを返してくれた。その後、彼女はぼくにトイレに行くと告げ、部屋を出て行ったきり帰ってこなかった。
どこまでトイレに行ったのだろう?
家のトイレでないと用を足せない子だったのか。
ぼくらの部屋がどこにあるのか分からなくなり、辿り着けなかったのか。
女は地図が読めないらしいから。
それっきり、女の子と接する機会がなかった。
女運が向上するとスピリチュアルカウンセラーが言っていたコンドームをいつも持ち歩いているのに。
そんなぼくにとって久美ちゃんとメルアドを交換したのが久しぶりの女の子との遭遇だった。
人生でやるべきことはやった。もしくはやるべきことはないという結論に至りながらも、久美ちゃんとの再会や、そのまた再会や、ここ2、3日の間に、失望保険受給を機に加速度的に増えていった女性の知り合いの数を思うと、ぼくはその方面に関して遣り残しているんじゃないかと考えがよぎる。
女の子とメールしたり、遊んだりというのは幾ら努力しても辿りつけない、いわば巡り合わせのようなものもある。女の子と30歳まで出会わなければ人間から魔法使いにジョブチェンジ出来るゲームが以前、あったし。
ぼくはスコップを使っていろんなところを掘って、どれも自分にとって意味のない、つまらないものだと結論付けたわけだが、立ち入り禁止の看板のある、杭で囲まれた土地でスコップを使っていないことに気づいた。
看板には『不細工男子禁制』と書いてあった気がする。
それにひるんで思いつめて自死を選んでしまう人間もいるだろう。
魔法使いという常人なら誰もが、夢見る職業を捨ててまでも、女の子と出逢いたい人間は意外に多い。
「おれ、二次元にしか興味ないんだよね」と言っていた智寛のような人間でさえ、歳を重ねるごとに3次元の存在の人間が2次元を愛するというメビウスの輪的命題に心身が蝕まれてゆき、そして、吹上みあと介錯契約を結ぶのかもしれない。
悔いのない性生活を余生に過ごすために。
百合のメールを開くと、明日、百合のスゥーフレが自死をするので一緒に立ち会わないかという内容だった。場所はここからそう遠くない駅で時間は下りの終電後、すぐとのことだった。終電が終わったら交通手段がないなと思ったが、すぐにタクシーで帰ればいいと考えが及んだ。受給証さえあれば17歳だってタクシーの深夜料金なんて気にする必要はない。
けれどタクシーなんて部活の大会で割り勘をして乗って以来だ。
そういえば、わざわざファーストフードを食べる必要もないのだけれど、レストランとか焼肉屋で一人で食べるのは何だか気が引ける。今度、久美ちゃんを誘ってみようかな。
百合に行く旨をメールで伝えると、今度は久美ちゃんからメールが着ていた。
『件名;おはよう
買ってくれたCDを早速、ヘビロテで聴いてるよ♪
昨日はなんだか、催促しちゃったみたいでゴメンね。
反省してます。ちょっとだけ(笑)
厚かましいよね。
厚かましいついでに、頼みごとがあるんだけどいいかなぁ?
今日、学校、終わってからでいいんだけど、遊びに付き合ってくれたら嬉しいな。
お返事待ってるね♪』
昼頃のメールなのに「おはよう」とはお前は業界人かと突っ込みたくなったが、暇を持て余している上に、自分史上、類を見ない可愛さを誇る彼女の誘いを断るという選択肢はぼくにはなかった。
『件名;おはよう
大丈夫だよー。
何時くらいにしよっか?』
送信してすぐメールが返ってきた。
『件名;ほんと!?
じゃあ、6時に江田駅で待ち合わせね。
またね』
それとほぼ同時に大久保らいかからメールが届いていた。
思わず、顔がにやける。別に彼女からメールが着ているのが嬉しいわけではなかった。
立て続けに、女の子からメールが着ていることぐらいで浮かれているのだ。
後で、メールの内容は見ればいいと中味を見ずに画面を閉じる。
大久保らいかの優先順位は久美ちゃんよりは下だった。
6時までにまだ時間がある。
久美ちゃんと会う前に、私服を揃えようと駅ビルの中にある、今までウィンドウを眺めるだけで一度も入ったことのなかったセレクトショップに入る。
制服姿のぼくを見て、店員が訝しげな視線を一瞬向けて、すぐに「いらっしゃいませ」と作り慣れた笑顔を浮かべた。
ぼくはぎこちなく笑顔で返した。店の中に入ると何から選べばいいか分からず、夏物が並べられていたが、あまりに夏を意識すぎる服は7月6日までしかこの世にいないのだから、買ってもしょうがない。けれど、一つ一つ手に取るとどれもセレクトされているだけあって、良いなと思うのだけれど、センスを持ち合わせていないぼくはどうやって組み合わせていいのか分からない。しょうがなく、次々と服を広げるのだが、気になるのはデザインではなく悲しいかなプライスタグだった。お金の心配なんていらない今、気に入った服を選べばいいのに……。変な汗まで出てくる始末だ。
「気になる商品がございましたら、どうぞ遠慮なさらずご試着なさってください」斜め後ろから店員が気遣うように声を掛けてきた。
気遣っているのだろうけれど、服を選んでいるときに声をかけられることのないウニクロやヤマムラにしか訪れたことのないぼくには余計な緊張感を強いた。
ええい!お金はあるんだ。この際、全部この笑顔を浮かべるセンスのいい店員にまかせてしまえばいいではないかと意を決して、
「店員さん、この服に合うようなのを全身揃えて欲しいんですけれど」とぼくは目の前にある服を取り敢えず掴んで店員に渡した。
「かしこまりました。ご予算はどのくらいでしょうか?」
「予算は考えないでいいです」
「かしこまりました」
慇懃な受け答えをして服を手際よく並べていく。「本当にこの高校生、お金持っているのか?」と頭の中で思っても、顔に出さないところがさすがプロだ。
決して、ぼくが卑屈なのではない。
平日のこんな時間帯に、制服姿のおどおどした高校生を相手にしたらどんな人間だってそう思うだろう。
「こちらなどどうでしょう?」
幾つか、服を重ねて並べて、合わせてゆく。
「全部ください。他に合うのないですかね?」
とぼくが答えると「えっ」という表情を束の間浮かべ、すぐにまた慇懃な表情に戻して「かしこまりました」と今度はパンツを並べ始めた。
「シューズとかも欲しいんですけど、というか全身コーディネートして欲しいんです。金に糸目はつけませんから」
「は、はい」店員の額に汗が伝いだした。
そんなやりとりをして、最後にレジで受給証を見せると狐に摘まれたような表情からようやく得心した表情に変わった。そして、スキャンした受給証を返却するときの憐憫を含んだ笑顔。
受給証はどうやら見慣れたものらしい。
ぼくはセレクトショップのロゴが入った袋を幾つも抱え店を出る。
駅前の時計台を見上げるとまだ四時半過ぎだったので一旦、家に帰ることにした。
買った服を早速着替えたいし。
それにまだ暇な時間を有効に使うことに慣れていない。始まったばかりの夏休みのような感覚。夏休みは長いようであっという間に終わる。ぼくの受給期間も1月あるけれど、そうなるのだろうか。
ぼくは駅前の駐輪場に置いてある自転車を取りに行き、籠に入りきらない荷物をサドルの左右にかけ、不安定に家へと走らせた。
回り道もせずに、家に帰ると、ポストに新聞の夕刊が刺さっていた。ぼくは普段、そんなこと気にもとめず、家に入るのだが、今朝、新聞を何年かぶりに読んだためか、ポストから夕刊を取り出した。
はらりと、紙切れが落ちる。
夕刊と一緒にポストに刺さっていたらしい。
ぼくは両手いっぱいの荷物を置き、地面から拾い上げた。
おそらく、電気代や、ガス代なんかの公共料金の領収書だと思い、拾い上げるとそこには『国有化のお知らせ』と書かれていた。
何のことだか分からず、どうせ母の仕事の関係だろうと夕刊に挟んで玄関のドアを開けるようと鍵を取り出す。
ドアの三箇所の鍵を開けて入ろうとすると、ドアが開かない。1箇所かけ忘れのたかもしれないと思い、1箇所ずつ逆に回して開けようとしても開かず、しようがなく、一旦、鍵を元の位置に戻して、試しにドアノブを回してみると何の抵抗もなくドアは開いた。
鍵を全部かけ忘れるなんて、そんなこと一度もしたことがなかったが現実としてそうなのだから、かけ忘れたのだろう。
中に入ると、見かけない男物の革靴が2足と黒いパンプスが1足、綺麗に並べられていた。
お客?
誰に?
母もいない時間に誰が?
逡巡していると玄関から見て、右に位置するリビングから物音がした。