私を平成に連れてって
とある平成時代の秋の日。
先月まで働いていた運送会社から転職をした。
理由は家に近いから、ただそれだけ。
志も何もない。
規模はかなり縮小された親子経営の会社であり、トラックも数台しかないとは聞いていた。
トラックを150台以上抱えていた前職よりかなり楽だろう、そう思っていたのだった。
私は20代、どこにでもいる子供を2人抱えるシングルマザー。
以前の勤務先が遠かったために、運送会社繋がりで転職先を探していたのだが、狙っていた会社とは若干違う会社から声がかかり、ここも近いからまぁいいやと軽い気持ちで転職したのだ。
それが、間違いだったのか、全く予期せぬ意味で成功だったのかはまだわからない。
「おはようございます」
私は会社の従業員用の階段を上り声をかけた。
まず驚いた。
ドアがない!
階段を上がりきった目の前は廊下だった。
吹き抜け?
え?
事務所の真下はトラックが数台入るような車庫になっている。
剥き出しの鉄骨の階段を上ると、そこは廊下。
こういう造りなのか。
面接は表から来たからわからなかった。
入ってすぐ、左のガラスの引戸の部屋は湯沸かし室、ではなく家族のキッチンだった。
いや、キッチンというより昭和の台所。
今さっきまで朝ごはん食べていました、というように重ねられた食器類、海苔や佃煮の瓶が並ぶ。
右を見るとそこは運転手の休憩室になっており、そこは少しほっとした。
しかし、台所と続きになっている事務所。
応接室とは名ばかりの家族のリビング、会社なのか自宅なのか、聞かないとわからない場所にやたらと昭和の家族経営を感じていた。
そして、更に平成からしか働いたことの私にショックを与えたのは仕事道具だった。
「はい、これ。貴方のね。」
そう渡された物は、算盤だったのだ。
「算盤?」
思わず聞き返した私に、先代の奥さんは訝しげな顔をした。
「もしかして、使えない?」
小学生の頃に算盤塾に通っていたから使えないわけではない。
でも驚いたのは使えないからじゃない。
平成の世の中に算盤で経理事務を行う会社があったことへの驚きなのだ。
「あ、明日から電卓持参します...」
奥さまは不満であるようで、無言で私のデスクの引き出しに算盤を突っ込んでいた。
「貴方にやってほしい仕事はね。」
と、無理矢理空気を変えるように続けた奥さまは、棚からなにやら一見カラフルな紙の束を取り出して広げた。
私はまたそこでも目を剥いた。
「運転手の給料計算がこれね。」
カラフルだったのは『給与台帳』と厚紙に書かれた表紙に束ねられた広告だったからだった。
裏が白紙の広告を取って置き、そこに手書きしていたのだ。
もう私の頭はショート寸前。
ドアのない事務所。
算盤。
広告の裏の書類。
昭和へのタイムスリップ?
衝撃的な始まりだったことに間違いはなさそうだ。