夢の中でも温泉に入れないのか
ずぶぬれのホームレスを引き連れ、村までたどり着いた二人は数人の村人から歓迎されていた。
ずぶぬれのホームレスはあんまり歓迎されていないようだった。夕暮れが近づいており気温的にも寒々しくなってきた。
この夢いったい季節はいつ設定なんだ。しかしまあこの反応は仕方がない。帰り道でまた二匹ほど虫をやった際に謎液を頭から浴びている。
風呂に入りたい。おまけにできないくらい臭い。なんか意識すると鼻と目が痛くなってきた。
生乾き状態になって二人はさらに距離を離し、俺も幽体離脱を試みたいほど臭みを増している。
俺はどんな顔をしているのだろうか。表情は言うまでもなくしかめっつらだろうが、素体自体がイケメンなことはこれっぽっちも期待できそうにもない。
なんならひげもじゃ過ぎて肌が見えているのかすら怪しい。今のところ自分の姿をまともに見れていないし認めたくないのでなんだが、頭からおでこも全て黒に近いような濃い茶色のもじゃ髪、半ば埋もれているがなんか太くて分厚そうな眉に続いて唯一毛量が無い目が出ている。
そこからやたらとしっかりしている鼻からぼさぼさでもじゃもじゃしたひげがある。唇を触るのも一苦労だ。水面にゆらゆらと映っていた姿と手触りからするとほぼ確定している。これあれでは。ドワーフなのでは。
ハンマーをもってがははと笑うちっさいおじさん。だいたい筋肉質でお酒が好きそうでおじさんばかりの種族が思い浮かんだ。
視線の高さがいつもとそう変わらないのでなんか違う気もするがドワーフ姿の自分ことユマルのイメージが酷く固定されてしまった。
「あの、ユマルさんもお疲れさまでした」
「あっはい」
話しかけられると思っていなかったのに話しかけられるとこうなる。
最近いつもこんな話し方しかしてなかったような気もしてきた。
村人はやっぱり青い髪の毛だった。今話しかけてくれた親切なかわいい娘さんも、若く見える青年もおじさんもおばさんもみんな青い。
目も揃ってカラーコンタクトを入れている。これが世間の流行なのだろうか。そんなわけないよね。
村人はひと声かけてくれただけでまた二人の方へ行ってしまった。
声をかけてくれただけ感謝。俺なら近寄りすらしない。幽体離脱はまだできていない。
仕方がないので村の様子を観察していると、家々の様子も明らかに日本ではなかった。
全部ナゾノキづくりに見える。窓もガラスなどはまっておらず木の板でふたをするような構造。
屋根の上からは煙突が立っていて灰色の煙が見えた。舗装された道などは一メートルも見えず家々の間にたまに木の棒が立てられている。先端を見る限り夜になると火をともすのだろうか。
つまりこの村の明かりは松明なのか。電灯は、電気はないのか。風呂は?
「風呂に入りたい」
ついしみじみと言ってしまった。できれば温泉がいい。
その瞬間、周りが一斉にこっちを見た。こっちみんな。
ちょっと驚く。自分の一言で全員が振り向くのはホラーな光景だ。
「どっ、どうかしたのか?」
「風呂に入りたいって言ったのか?」
恐る恐る村のおじさんが聞いてきた。
軽くうなづいてみるとおじさんは目を見開いてきた。おじさん同士で見つめあっても得るものがない。
アーやイルが何度か内緒話をしていたが村人たちは全く隠さない状態でざわざわしだした。
「ユマルが風呂に入りたいって?」
「これはいよいよおかしいぞ、森がおかしくなってる影響か?」
「ああ、ユモリーン様」
「あの世界一の風呂嫌いが」
「いや、これはもしかしてめでたいことでは? 異教徒すれすれのユマルが正しい道に戻ろうとしているのでは?」
「流れ者のユマルもようやく村に馴染んできたんだ」
「何年かかってるんだよ。三年も経ったぞ」
「精霊たちも踊りだすよ」
ユマルは流れ者だった。てんでんばらばらに好きなことを言っている。
もういいわかった。だいたいわかっていたが、ユマルはとんでもない風呂嫌いで不潔な男だ。信じられない。
周囲から腫物を扱うようにされるレベルの風呂嫌いってどういうことだ。変態だぞユマルは。臭くないのか、かゆくないのか?
俺はかなり今臭いしかゆいんだがこれを何とも思わなかったドワーフ顔なのか?
俺がユマルについて考え立ぼうけていると、アーとイルが村人に”魂喰い”にやられて、などと説明していた。
それで納得したのかどうかわからないが村人たちはとにかく解散し、アーとイルだけが残った。
「とりあえず、風呂の準備をしてくるってさ」
「そうか!」
なんてこったありがたい。思わず力強く返事してしまった。
風呂はあった。神は死んでない。
「本当に人が変わっちゃったみたいね」
人が変わっちゃってるのは確かだ。イルは少しうれしそうに言った。
身近かどうかわからないが、この世から風呂に入らなかった男が一人消えるのだ。
今日からユマルは風呂に入ることのできる清潔なおじさんだ。臭くも汚くもない。
「いったいどうしちゃったんだ? 精霊にでも会ったのか?」
精霊もいるらしい。アーもおどけた様子で声をかけてきた。
人が変わっちゃってるんだがそう言うわけにもいかない。いかないよな?
「さすがに臭すぎた」
なんといったものか迷った俺が素直にそうつぶやくと、二人はおかしそうに「今更過ぎる」とつっこんできた。
俺も突っ込む立場でありたかった。
**********
アーが、泉から汲んできた水を井戸に注いでいる。
井戸の底でジャボジャボと音がするあたり、特に枯れている様子もなく、注ぎきった後も特に変わりはない。
「精霊の水か」
少しでも情報が欲しくてつぶやいてみた。お返事をくれるとうれしい。
「ええ、これで夏までの間は大丈夫」
夏があった。日本には四季があるがこの夢の世界にもあるのだろうか。俺が見ている夢なのだからあると信じたい。
人によって夏が嫌い、冬が嫌いというだろうが俺は四季それぞれを楽しみたい。
春はあけぼの、ようよう桜が咲く下で露天風呂には入れれば最高だ。
夏なら緑のあふれる中、滝でも眺めながら汗を流したい。冷たすぎない水風呂との交互浴もすっきりするだろう。
まあそれはともかくあの泉の水は浄化の水として使われているらしいことが分かった。
精霊信仰があるらしいことも。ええい面倒だな、いっそ記憶が飛んでしまったことにして一から十まで教えてもらえばいいんじゃないか?
正直ここはどこ、ワタシハダレ? という状態なんだ。
幸い”魂喰い”とやらのせいかおかげか、頭がやられたことになっているのは間違いなさそうだし多少は怪しまれずに済むだろう。
「森の中じゃいいだせなかったんだが」
「なんだ?」
「実は記憶が大分なくなっている」
「やっぱりか」
納得された。いけそうだ。しかし何もかも覚えてないのもおかしいから加減していこう。
「自分の名前やお前たちのことはなんとなく覚えているが、この村に来た記憶なんかはさっぱりとない」
「本当なら死んでてもおかしくないっていうから、まだいい方なのかも」
イルが慰めるような声をかけてくれている。やさしい。
「精霊……様もいることは覚えているが、名前とか怪しい」
もしかすると狂った信者の方々かもしれないので言い方に気を付けた。
「四大精霊様?」
「しだいせいれいさま」
ははん、分かったぞ。四大元素だろう。火・水・土・風だな。
「ユモーリンすら覚えてないのかよ?」
「様をつけなさいよ」
様はつけなくてもセーフラインか。一番近しいらしい二人が狂った信者の方でなくて良かった。
ユモーリンね。一番先に出てくるなら一番有名ってことだな。そういえばイルが魔法を使った時によく口に出していた。
ユモーリン。湯守ん。湯守は温泉を管理する役職で日々変わる源泉の温度を管理し俺たちに心地よい温泉を提供してくれるありがたい方々だ。
いい名前だ。気に入った。様を付けてもいい。
「ユモリン様も覚えていない」
「微妙に違うんだけど」
「なんか親しみが増したな」
ユモリンとよぶことにしよう。
俺が勝手な決断をしている間に説明は進む。
「水の精霊様ね。四大湯霊の筆頭で」
「ゆーれー?」
「四大湯霊、お湯の湯」
「お湯の湯?」
本当に湯守なのでは? ますます気に入った。その神信じてもいいぞ。精霊か。
俺は温泉旅行が出来たら絶対各地の神社とかも一緒に参拝すると決めていたんだ。
小銭程度なら捧げる覚悟もある。面倒くさいのはいやだ。俺は癒されに行くんだ。
「水霊ユモーリン、火霊クァザ、土霊ティソウ、あとは風霊キイプンセ」
なんだろう、なにかもやもやした。違う、分かった。
風の精霊で分かった。そうだった、これは俺の夢だ。道理で馬鹿馬鹿しい名前をしている。
湯守に火山、地層、扇風機。どいつもこいつも温泉に関連ばかり。馬鹿なのは俺だ。
「何かあったか?」
「いや、何か思い出しそうでな、歯がゆかった」
他もあれだが扇風機はないだろ。すると、イルがまるで勘づいたかのように言った。
「馬鹿にするわけじゃないけどキイプンセ様は一番信仰も少ないし、このあたりだとあんまり関係ないかもね」
扇風機だしな。いや、俺は扇風機もすきだけど。
子供のころ飯の次に風呂が好きだった爺様はよく日帰り、泊りを問わず温泉や銭湯に連れて行ってくれた。
その脱衣場ではだいたい扇風機が置いてあり、腰にタオル姿で涼んだものだ。あの瞬間は神っている。
コーヒー牛乳も欲しい。大手の市販品じゃなくて地元の乳業会社が出してるようなローカル品が飲みたい。
そういえばユマルは何か信仰していたのだろうか。異教徒すれすれと呼ばれていたが。
「俺は、どの精霊を信仰していたんだろう」
「うーん」
「一年ばかし一緒にいるけどあんたからそういう話は聞いたことなかったな」
二人は考え込んだが、特別ユマルは信仰を持たなかったのか。
「でも、髪や目の色からするとティソウ様か、もしかしたらクァザ様もちょっとだけ可能性はあるかも」
髪や目? どういうことだろうか。信仰すると髪を染めるのか? 目もコンタクト入れるのか?
視線で訴えてしまったのか、イルが言葉を続ける。
「私もアズライトスも、青い髪に青い目でしょ?」
アー君の本名が発覚。アズライトスか。格好いい名前じゃないか。
「ユモリーン様の影響が強いとこうなりやすいの。なりやすいっていうか、この村なんか私の知っている限り全員そうよ」
「全員」
「全員」
思わず口に出してしまうと、イルは肯定するように繰り返してくれた。
「お爺ちゃんもお祖母ちゃんも」
「生まれたばかりの赤んぼもな。死にかけてるの以外は」
こんどはアー君も教えてくれた。なんか不穏なのが聞こえた。イルがこら、とアー君を小突くような真似をしている。
「死にかけてるの以外は?」
「死にかけてるっていうか……精霊様が与えてくれる力が少なくなってくると、髪も、目からも色が抜けて白くなるわ」
「白くなって、死ぬのか」
「ええ、まあ――そう。だいたい長い人でも一年くらいかな」
ある程度死期が分かるのか。ありがたいようなつらいような。
ひとまず俺の髪は無事だ。ハゲはどうなるんだろうか。いや目で分かるからいいのかハゲてても。
ハゲたくない。話題をずらすことにしよう。聞きたいことはたくさんある。
「俺はなぜ冒険をしているんだ?」
「むしろそれは俺たちが聞きてえよ。ユマル、あんた全く何も教えてくれなかったぞ」
「喋り方もなんか微妙に変わってるんだけど」
ユマルは秘密主義者だった。このやろうお前馬鹿野郎人付き合い位しておけ。
いや、この場合はナイスなのだろうか。人付き合いしてなければユマル本人の行動を模索しなくても齟齬は出にくそうだな。
「そうか、悪かった」
「謝ってるのも一年付き合ってきて初めて聞いた」
「本当にね」
ユマルは間違いを犯さないパーフェクトヒューマンだったのか。いやドワーフなのか。これも謎。
それとも自分が間違っても引かず媚びず顧みない帝王の精神だったのだろうか。それはイヤだな。
「お前たち、よく一年もユマルに付き合ったな」
しまった、うっかり痛い言い方になってしまった。自分のことを名前で呼んでいいのは可愛い女の子だけだ。
イルでギリギリ赦されるレベルだと思う。俺は殺されても文句が言えない。
「? まあ、大変だったけどな」
「こんな田舎の村じゃ冒険者なんて来ないし、ユマルが来ただけでも数年ぶりだったのに」
ここは田舎なのか。まあ都会でなくて良かった。これで都会とか言われたらこの夢の世界はかなり人間が少なそうだ。
まあ都会に嫌気がさしている俺が見る夢だからそれはそれでありそうな話でもあったが。
「正直あんたに教わるのは不安しかなかったけど、まあ一応俺たちでも戦える程度に教えてくれたのは感謝するよ」
「今も全くやっていける自信はないけれどね。アーと二人で森に入ってもクモに食べられて死んじゃいそう」
自分で言いながら恐ろしくなったのかイルは身震いした。そうだよこいつら結局一年も教わった割に弱すぎるだろ。
敵が強すぎるのか? ユマルが強かったのか? いや、違うな。違う気がする。
ずぶの素人が精々一週間ほど訓練して挑む、ゲームなら一番最初のクエスト、そんな雰囲気を感じる。
ユマルは何を教えていたんだ。
「お前たちだけではまだ無理だと思うぞ」
「俺もそう思うわ」
「私はさっきそういったつもり」
素直なのはいいことなのだろうか。反応に困るよ。
「仕方ねえだろ。前は森もこんな怖い場所じゃなかったし、水の濁りもこんな早くなかったんだから」
「外から冒険者を雇うと高いし、村に居る中で冒険者目指せそうな年頃って私とアーだけだったし」
成程、そこまで功名心があるような背景じゃなくて必要に迫られてのようだ。
腕自慢とかでもなく消去法で選ばれた二人だったのか。それならまあ許せる。
ところで俺なんかキモい虫は死ぬべしの精神だけでこれだけデカい虫を退治したのもこんなに大きな生き物を殺したのも初めてだったんだが。
罪悪感はないがもっと労ってほしい。いや、自分の夢の中で労われても結局自分で自分をねぎらうことになるのだろうか。
むなしいな、それ。やっぱいいわ。温泉に入れれば。そうだ、温泉。
「あの泉、温泉か?」
「え?」
「あの泉、温泉か?」
「温泉?」
いやそこは伝われ。俺の夢の登場人物の癖に理解が遅いぞ。
仕事のこと以外は何の感動もなく食事をして最低限の眠りをとり、クソ狭い湯舟に体を折り曲げて入っては
温泉旅行の情報ばかりスマホで見ていた俺だぞ。もっと温泉に興味を持てよ。
「精霊の泉は、温泉じゃないのか?」
「ああ……多分そうじゃね? でもあそこに入ってる人はみたことがないな」
やっぱ入っては駄目な温泉だったのか。ちとぬるすぎるが100%源泉かけ流しなのに。
「入りたいならフロマエがあるしね」
フロマエ。風呂前? マエはよくわからないが風呂のことか? 気になるぞ。
「そういえばユマル、精霊の泉に直接入って大丈夫だったのか? 精霊様の力が強いから弱い奴だとヤバいらしいんだけど」
そうなの? しいて言うならもっとゆっくりおちついて入りたかったんだが。
「波もどきが居るくらいだったし、精霊様の力も弱まって平気なんじゃない?」
「ああ、そっかあ」
「ルール的には入っても平気なのか?」
「え?」
「平気なのか?」
「ええ……と」
A子さん改めAA子さんが戸惑っている。やっぱりルール的にも入っては駄目なのか。
ダメなら仕方がない。俺はルールは出来るだけ守りたい方だ。現地のルールに従うとも。
代わりの風呂が、フロマエとかいう謎のキーワードが風呂なのか知らないがそこが入れる温泉っぽいしな。
そこでいいよ。そこがダメならルールは破るよ。
「そんなルールはなかったと思うけど」
「けど?」
「ううん、なんでもない」
なにか異常者を見ている目つきでイルは俺を見ていた。なんでだよ。
別に熱くて入れないとかそういうことはなかったぞ。分からん。
あっ、あれか。スライムが泳いでいるような温泉に入りたいのという心か。確かにな。
それはあるかもしれない。入りたいけど。落ち着けないのでスライムには死んでもらう。
「あんた、そんなに風呂入りたかったのになんで今まで風呂嫌いだなんてやってたんだよ。こっちは毎日吐きそうだったんだぞ」
「それは本当にすまん。どうかしていた」
「いいけどさあ……」
良くない顔だ。気持ちは痛いほどわかる。生まれて嗅いできた中でも相当な部類だ。
少なくとも排泄物とか汚泥とか放置された生ごみとかそういうものと比べるレベルだ。
それを自分が発しているというのだからこれはもう謝るしかない。ユマルにも謝ってほしい。
「それにしても精霊温泉か、泉質が分かればな」
「精霊温泉、じゃなかった。精霊の泉の泉質が気になるなんて、ユマルって本当は信心深かったの?」
「そうだったのかもな」
何気なく返事をしつつ、思考に空白が生まれた。ちょっと待て、泉質分かるのか?
流石俺の夢だな。こんな若い子が温泉の泉質まで分かるなら世の温泉旅館は安心だぞ。
「単純温泉か?」
「え?」
またA子さんモードか。俺の質問はそんなに聞き取りにくいのか。
「もしかしてナトリウム系か?」
「ナトリウム? ナトリムのこと?」
「温泉の泉質だよ、ナトリウムでもないなら」
「泉質なら単純ユモリーン泉に決まってるでしょ」
単純ユモリーン泉。
なんだそりゃ。
単純温泉は日本で最も多い泉質でその多くは強い効能を持たず老若男女におすすめする優しい温泉です。
本当にただのお湯のようなものから肌触りが違うようなものまでいろんな単純温泉があります。
あなたの街の単純温泉を探して入りましょう。




