第87話 蛇足:その夜
「あ〜、まずい、動けない…」
「わ、私も、ちょっと食べすぎちゃったかな…えへへ」
互いの想いをぶつけ、無事に恋人同士となった、その日の夜にて。
遅くなった俺たちが家に帰ると、食卓には豪勢な食事が所狭しと並んでいた。
そして、咲桜の目がまだ腫れていた事もあり、美桜子さんは心配し、健蔵さんは包丁を準備したが、咲桜自身が説明し、誤解は解いた。
と、同時に、俺と咲桜が恋人になったのも知られた訳で…
「イュタベラくん、ありがとうね、咲桜をもらってくれて。やっぱり僕も、咲桜には誠実な人と付き合って欲しかったからね」
「サクったら、前まで『彼氏なんて欲しくない』とか『アニメがあればそれでいい〜』とか言ってたのに…立派になって…」
「ちょ、お母さん!うっ、お腹が…」
先程から二人は調子で、祝福してくれてはいるが、流石に恥ずかしくなってくる。
ゲートの件には全然触れてない──というか、どうでもいいと思ってそうなあたり、親バカっぷりが感じられる。
──にしても、お腹が苦しい。これはあれだ、動いたら流れ星が出る。
「──あ、そうそう、忘れてた」
空になった食卓、その傍で己の腹の中と戦う最中、ふと美桜子さんが思い出したように手を叩く。
「今日はサクとイュタベラくん、一緒に寝る?あ、一緒の部屋にする?とりあえず布団動かしときなさいよ。あ、でも夜は寝なさい?流石に初日でベッド揺らさ──」
「わー!わー!寝ないから!お母さん、いっつも話飛びすぎだから!隣見て!お父さんめっちゃ悲しそう!この話やめて!」
満腹から来る腹痛をいち早く克服した咲桜が、美桜子さんの暴走を止める。隣のお父さんは、咲桜の親離れが今になって寂しくなっているようだ。正直面白い。
美桜子さん、その先の発言は十八禁だ。これは十五禁、健全な小説だから、発言は控えてもらいたい。
そんな、他愛のない会話で、今夜の夕食はお開きとなった。
──その日の夜。
いつものように、咲桜から借りた本を三冊ほど読み終わり、ベッドに入った後。
照明のない部屋、その扉が、静かな音を立てて開いた。
「ベラ…?寝ちゃったの?」
静まり返った室内で、透き通るような、少し声量を抑えた声──咲桜の声が、響く。
丁度扉の方を向いていたので、目が合った。薄い桃色のパジャマが、部屋にぼんやりと浮かんでいる。
「一応起きてるが、どうした?珍しいな」
布団をベッドの隅に押しやり、片膝を立てて座る。
こんな時間に何の用だろうか。
「その…えっと…」
顔を赤らめ(たように見える)、俯きながら呟く。
静かな部屋だが、辛うじて聞き取れるかどうかの声量で、次の言葉を紡ぐ。
「さ、ささ、さっき、ていうか、あの、お母さんが言ってた、こと…」
そう、語尾を小さくしながら、恥ずかしそうに言う。
美桜子さんが言ってたこと…?
「あ、もしかして…え?ほんとに来たの?」
俺の考えが正しければ、咲桜が言っているのは、美桜子さんの同衾の事だろう。本当に来るとは思っていなかった…。
俺がそう問いかけると、咲桜は暗闇の中でも分かるほど赤面し、片腕に持った枕を顔に押し付ける。
「いや、そうだよね、流石に気が早いよね。ごめん、ちょっと浮かれてた。いや、ほんとごめん。おやすみ!」
『おやすみ』だけはっきりと聞こえる声で言うと、背後のドアを開けようと手をかける。
寂しそうな声だったな。というか、長崎に行った時も一緒に寝たから、別にいいんだけど…。
というか、咲桜さえ良ければ、俺はいつでも…いや、これは無しだ。取り敢えず──
「はい、待とうか」
「ひゃんっ!」
腕を掴んで退室を止めると、変な声を出してその場にへたり込んだ。
びっくりしたんだろうが、俺もその声でびっくりした…。
「別に、一緒に寝るくらいならいいぞ。ベッド狭いから俺は床に寝るけど」
手を貸して立ち上がらせながら、そう提案する。
と、咲桜は驚いたように目を丸くして、
「え、ちょ、そんなあっさり?いや嬉しいけど、流石に床はないでしょ。一緒のベッドで寝るから。狭くてもいいです。はい」
なぜか若干怒りながら、ベッドへ向かう。
あれ、このままだと十八禁にならないか?大丈夫か?
「そ、それじゃあ、おやすみ。てか、スペース足りたな」
「それ、私がチビって言いたいの?怒るよ?」
背中合わせでベッドに入り、そんな軽口を交わす。あぁ、そういえば、長崎でもこうやって、何の実りもない会話をしたな。
それで、俺が唐突に眠くなって──
「──ベラ?寝ちゃった?」
「ん?まだ起きてるぞ」
今日は目が冴えている。疲労感で直ぐに夢の中へ飛び込むかと思ったのだが。
背中でごそごそと、咲桜が動いているのがわかる。
何をしているのかと振り返れば、咲桜と目が合った。体の向きを変えたのか。
「あの、ね?長崎でのこと、覚えてる?私がベラに、弱点を言いふらさない代わりにお願い事したの」
「あぁ、覚えてるよ。内容は──」
そこまで言って、はっとする。
俺も体の向きを変え、咲桜と向かい合った。
そうだ、咲桜は俺に、一目惚れだったと言っていた。それが正しいのなら──
「もしかして、あの約束はそういう──」
「ふふっ、鈍感だね。乙女心はいち早く察しなきゃ──今も、ね」
恥ずかしそうに、囁くように言う。
あの時、咲桜は言った。『ベラと、ずっと一緒にいたい』と。あの時は眠過ぎて脳の機能が全く働かず、俺の咲桜への気持ちも自分自身気づいていなかった。だから、その言葉の意味が分からなかった。
その時から、ずっと──
「今も…?」
「ほら、察してみて。彼氏さんっ」
目を細め、赤面しながらクスクスと笑う。
察する──彼氏──
あぁ、そうか。恋人同士、まずは一歩、か。
「ほら、分からないからさっさと寝るぞ。目を閉じろ」
「もうっ!意地悪。分かってるくせに」
不満げにそう言いながら、夢の世界へ入ろうとする咲桜。
あぁ、分かってるさ。でも、目を開けてたら恥ずかしいからな。どんな顔してるか見られたら、恥ずか死ぬ。
だから──
「ベラ、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
そう言いながら、向かいあった二人は近づき──
柔らかな感触が、その唇に触れた。