第45話 名残惜しい帰宅
──夜中。
背面には咲桜、前方には夜景が広がっている。実は、眠れないのだ。先程温泉の前で寝たからだろうか?
にしても、今日でここともお別れか。
思えば、一日で色々あったな。
ホテルに荷物を置いて、そのままホームテンボスに行って。
牢獄病棟での咲桜、可愛いのは変わらないけど、少しかっこよかったな。
ジェットコースターは…二度と乗りたくない…。
咲桜の名前の由来、凄く素敵だったな。
土産もいっぱい買ったし、枕投げも楽しかった。
「また、ここへ来たいな」
漆黒の闇に呑まれた部屋の中で、一人そう呟いた。
その声は、静かにこの部屋に木霊し、やがて音は消える。
さて、そろそろ寝ないと、明日起きれなくなるな。
そうして、ぎゅっと目を瞑った、その時。
「うん、また来ようね」
ひそひそと、先程の俺の独り言に返答する声が、またこの部屋に響く。声の出処は、俺の背中、咲桜だ。
「起きてたのか?早く寝よう」
「寝れなくて。──もう少し話さない?」
後方で、もぞもぞと動く気配がする。参ったな。今眠気が襲ってきたのだが。
まぁ、美少女と、それも咲桜と一緒に寝る機会なんてそうそう無い。頑張って起きとくか。
「咲桜って、他の男子とこうして寝たことあるのか?」
「ななな!?そんな事な──」
「健蔵さんたちが起きるぞ。もう少し声量落とそう」
「あぁ、ごめん…。って、ベラもベラだよ。いきなり何言ってんの!?」
「すまんすまん、どんな反応するかなって」
布団の中で俺の背中がポカポカと叩かれる。不思議と、どんな表情をしているのかが分かる。
脳内の咲桜の表情を愛おしく思いながら、俺は話を続ける。
「明日で帰るのか。色々あったが、いざとなるとあっという間だな」
「そうだね。ベラが意外とジェットコースター苦手なのも分かったし、今後ずっとこのこといじるね。手始めに夏休みが終わったらクラスの全員に言おうかな」
「やめてください」
クラスの皆が俺の事をどう思っているかは分からないが、少なくとも俺への印象がガラリと変わることは目に見えてわかる。
「──。」
「ベラ?寝ちゃった?」
「──んぁ、あぁ、どうした?」
まずい、さっきまでは寝たくても寝れなかったのに、寝たくない時に限って眠くなる。この現象に名前をつけてやりたい。
「もう、今寝たらほんとにクラスの人に言うから」
「マジでやめてくださいお願いします」
「じゃあ、一つだけ言うこと聞いてくれる?」
「──」
「ベラ?」
「──んぁい、寝てないっす寝てないっす」
「よろしい。それで、お願いだけど──」
まずい、眠すぎる。今にも寝てしまいそ──
「──」
「──ベラ?」
「──」
「寝ちゃったの…?」
「──」
「私のお願いはね」
睡魔によって朧気な意識。その掠れた意識の隅で、咲桜の声がやけに響いて聞こえる。
既に声は出ない。あと数秒で眠りにつく。はて、咲桜のお願いとは…。
「ベラと、ずっと一緒にいたい」
そして背中に感じる、暖かく、柔らかな感触。これは、どういう事だ?一体何が──。
そこでぷつりと、意識が途切れた。
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「あ〜、長崎とももうお別れかぁ。早かったなぁ」
「あなた、それもう朝にして五回くらい聞いたわよ」
目が覚めると、健蔵さんと美桜子はもう起きているらしく、何やら他愛ない会話をしている。
「──」
一方咲桜は、まだ寝ているようだ。
──昨夜のアレは、何だったのだろうか?
後ろから抱きしめられたかと思ったが、起きた時点で咲桜は離れている。それに、あの言葉…。
夢だったのだろうか?だとすれば、随分と気の抜けた夢だ。ずっと一緒にいたい、なんて、咲桜が言うと思うか?いや、少なくとも俺に対してはそんな事言うはずがない。
咲桜は優しくて、気配りもできて、可愛い。俺も一緒にいることが出来るのなら、そうしたいところだが。現実的に考えて、アレは夢だと考えるのが妥当だろう。
そう結論付け、朝の支度を済ませる。
「んぁ…」
着替え終え、朝食をとるために咲桜を起こそうとすると、不意に咲桜が目覚めた。健蔵さんと美桜子さんは、窓からの風景を堪能するため、咲桜が起きる間椅子に座っている。
「あ、おはよう咲桜」
「んぁ、おあぉ…」
「うん、おはよう」
やはり、昨日の事は夢だったのだ。咲桜は何も気にしていない様子で上体を起こし、目を擦る。
「んぁ〜。あ、あ、あ?」
と、咲桜が当然、ゼンマイの壊れた機械のように同じ音を口から漏らす。
「あ、あー、あ…」
途端、赤く染る顔。どうしたのだ?
「あのぉ…」
上目遣いにこちらを見る咲桜。その表情は、羞恥心を映し出していて。
「昨日の夜、何かあった?」
と、おずおずとそう尋ねたのだった。
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先程の咲桜の質問ははぐらかし、朝食を済ませた俺たちは、帰る支度をしていた。とはいっても、俺はもう終わったので、今は外の風景を見ている。
「はぁ、今日で終わりとは、少し名残惜しいな」
海の見える、美しい長崎の風景を堪能しつつ、そう零す。すると、窓にこちらに近づく影。咲桜だ。
「ベラのそんな表情、初めて見たかも」
「ん?どんな顔?」
「なんか、寂しそうな顔」
「あー、確かにな」
確かに、日本に来てから寂しいと思ったことはない。それも、咲桜たちのお陰なのだが。
帰る場所があって、いつも咲桜がそばに居てくれる。だから、寂しいとは思ったことは一度もない。
──なるほど、ということは、俺は長崎を離れるのが寂しいと思っていたのか。
「もうここを出るとなると、寂しい気持ちはある」
「うん」
「でも、いつかまたここに来たいな」
「──!うん、うん!」
表情を明るくした咲桜が、ぶんぶんと頷く。
「サク、イュタベラくん、準備出来たわよ。帰りましょう」
美桜子さんたちも、準備が終わったようだ。
「わかったー」
「分かりました」
それに返事をして、もう一度、窓の方を振り向く。
この風景は、必ずカリステアで伝えよう。
そう、心に決めた。
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そして、これは帰宅後の余談なのだが。
フラワーロードで買った、二輪のバラ。日本では、花には花言葉というものがあるらしい。花の一つ一つに意味があると、咲桜は教えてくれた。
咲桜に渡した、一輪の赤いバラ。
その花言葉を教えてはくれなかったが。
咲桜は顔を赤くしつつ、とびきりの笑顔で、
「…ありがと」
そう言った。