第42話 温泉と言えば...
「ふぃ〜、さっぱりした〜」
温泉を堪能し、浴衣姿に着替えた俺は現在、咲桜を待っている。カリステアにも温泉はあったが、日本の温泉は格別だった。カリステアの温泉、あれは温泉じゃないな…。
まだ冷めない体で、温泉のすぐ側にある椅子に座る。足を組み、背もたれに両腕を預け、天井を眺める。上には黄色く、淡く光る光源体が、等間隔に設置されていた。
「あー、なんか随分日本に染まってる気がするな…」
日本へやって来て早三ヶ月。すっかり日本に慣れ、カリステアの生活様式を忘れそうになっている。あぁ、あっちには魔獣いるもんな…。日本は平和だ…。
だが、未だに日本とカリステアの違いを完全には把握出来ていない。ここでの常識は、カリステアとほとんど一致するが、魔獣がおらず、魔法も使えないせいか、少し生活にズレがある。魔獣などがいないので当然日本人の戦闘能力は低い。しかし、その分娯楽などが群を抜いて成長している。
今日訪れたホームテンボスもそうだし、今行った温泉もそうだ。カリステアにも取り入れたい物が沢山ある。これなら、父さんが言ってた『異世界の文化の視察』も達成できるだろう。あぁでも、父さんはもう楽しんでこいって言ってたな。夏休み前だったか?つい最近のように感じる。
あぁ、こんな平和がカリステアに訪れたら、どれだけいいか。
魔獣が居なければなぁ。まぁ、焼いたら美味いから、そこら辺はアレとして。
そういえば、温泉もそうだけど、周りに人が誰もいないな…。ここって人気ないのかな?いや、流石に無いとは思うが…。
にしても、咲桜はまだかなぁ。俺の体もいい感じに冷めてきてる。浴衣って結構風通すなぁ。動きやすいけど。
あぁ、なんかこう考え事してると、眠くなってくるなぁ。
今日は目一杯遊んだし、そりゃ疲れるか…。
そういえば、バラを買ったんだったなぁ。咲桜、気に入ってくれるといいなぁ。
それと、土産でお揃いの物も買ったか。『夢の世界で、もう一度』。咲桜は『ゆめいち』って言ってるな…。
咲桜の話についていけるように、俺も…。
「がんば…らない…と……」
――――――――――――――――――――――
「──ラ」
「────て!」
「ベラ、起きて!」
「んゃい!?」
目を覚ますと、目の前には咲桜の顔が。どうやら寝てしまったらしい。
「咲桜、戻ったのか」
咲桜も温泉に入り、桃色の浴衣を身にまとっている。体温が上がり、少し赤らんでいる頬は、女性らしい、艶やかな雰囲気に包まれていた。
俺も咄嗟に上体を起こし、椅子に座り直す。寝起きの為、まだ少し思考がぼんやりとする。また寝てしまいそうだ。
「ベラ、部屋行くよ。お父さんもお母さんも待ってるから」
そう言って、咲桜は手を差し出す。
「んぁ…んん…」
まずい、瞼が猛烈に重い。寝そう。眠たい。寝たい。
あれ、この手は何だっけ?あぁ、咲桜の手だ。なんで手を出してるんだ?部屋?えっと…。
あぁ、この手に掴まれと。
「ん…」
「わ、ベラ力強…わっ!!」
手を引いた瞬間、その手はあっさりとこちら側へ。何が起こったのか、睡眠をとることを推奨している脳が理解に勤しむ。そして、気がついた──俺の体に、ナニかが覆いかぶさっている。
そして、その瞬間から鼻腔に侵入する、甘い、柔らかな香り。これは…。えっと…。
「べ、ベラ!?寝ぼけてるの!?起きて!早く手離して!恥ずかしいってば!」
先程とは異なり、至近距離で咲桜の声がする。それでやっと理解した。
咲桜が、俺の上に乗っかっている。
その事に驚き、目を見張る。と、すぐ目の前には、咲桜の首元。白くしっとりとした肌が目前に迫る。目を逸らそうと下を向けば、少しはだけた浴衣に隠れた胸部、女性らしく膨らんだ、二つの…
「っと!ごめん、寝ぼけてた!咲桜怪我はないか!?」
危うく男の本能が目覚めるところだった…。思春期男子が見てはいけないものトップに君臨するであろう危険物だ。少し視界に入っただけなので、セーフセーフ。
慌てて咲桜を支え、俺も一緒に椅子から起立。少しはだけた浴衣をお互い整え、気まずい雰囲気のまま部屋へと向かう。
「──ベラ」
道中、咲桜が俯いたまま口を開く。
「は、はい」
どことなく剣呑な雰囲気が咲桜から漂い、思わず姿勢を正す。そして、次の言葉を待ち──
「──見た?」
そう、一言だけ。恐らく、先程の事故のアレだろう。浴衣から少しだけ見えた、危険物。ここで見たとか言ってみろ。殺されるぞ、確実に。日本は危険だ…。
「いえ!何も!」
右手を額にビシッとやり、咲桜の質問にそう返す。本当のことを言うと、ろくな事にあわない。
「本当は?」
「視界に少し!」
「──」
あ──。
言ってしまった。つい流れで。俺のバカ!
しかし、咲桜は俯いたまま、殺そうともしなければ、怒りもしない。俯いたまま、立ち止まっている。緊張で、廊下の空気が張り詰める。
「──」
「あの、咲桜さん?悪いとは思ってまして、流石に寝ぼけていたとはいえ──」
「──まぁ、見ちゃったのは仕方ないね…」
そう言って、肩を落とす咲桜。本当にすまないと思っている…。
「まぁでも、ベラは何もしなかったし、良いってことにしてあげる」
そう言って顔を上げ、ニコリとスマイル。あぁ、可愛い。
「その、このような事がないよう今後気をつけます…」
「あ、え……あ、うん」
反省で頭が上がらない。そのまま、いつの間にか着いていた部屋の前へ。
「ほらベラ、着いたから元気出して」
「あ、はい…」
「もう…じゃあ今度美味しいお菓子作ってあげるから!ね?」
「元気百倍」
「あれ、なんで私が慰めてるんだろ…」
扉の前で茶番が一段落し、ドアノブに手をかけ、ドアを開く。
「──ベラなら、別に良かったのに」
ぼそりと呟いたその声は、俺の耳には届かなかったが。