第1話 始まりのヒト
俺の目には今、何も見えない。
今の視界、いや、世界に色はない。
ただただ、黒があるだけだ。
五感も機能していない。
見えない。聞こえない。匂いもしない。味もない。触れない。何も出来ない。出来ない。させてくれない。
――どれくらい経っただろうか。
1分?1時間?もしかすると1日経っていたのかもしれない。
何も無い空間から、一筋の『光』が差し込んできた。
俺は必死に『それ』に追い縋る。
辿って、手繰って、引き寄せて、手を伸ばして、もうすぐ『光』に届く。
近づくにつれ、光は次第に大きくなっていく。
世界が、色付き始める。
世界が、現れ始める。
そして、まだ見ぬ『セカイ』が、立ちはだかる。
『光』はそんな『セカイ』を映し出していた。
『黒』から『セカイ』が、映し出されていた。
そんな『セカイ』に手を伸ばして。
―俺は、未知の『セカイ』への道を、縋るように抱きしめた。
――――――――――――――――――――――
「─。」
意識が、体内に再び宿り始める。
「──。」
五感が、再び宿り始める。
「───。」
見える。聞こえる。色々なものが混じった匂い。酸素を吸って、二酸化炭素を吐く。地面を触る。なんでも出来る。うん、出来る。させてくれる。
「────ぁ。」
完全な意識を、この身に宿した。
目を開けると、見知らぬ風景が広がっていた。
見たことの無い建物。見たことの無い植物。見たことの無い空。見たことの無い『セカイ』。
見たことの無い、『セカイ』。
「あぁ、これが異世界召喚ってやつか…」
どうやら、俺は無事に父の魔法の実験台になったらしい。
あの「クイック・サモン」は、おそらく父が言っていた異世界召喚の魔法だろう。
俺の許可なく使いやがって。このやろ。
と、父への恨みはそのままに、俺はその場で起き上がる。そして、周りを見渡した。
「ふむ…。辺り一面森か…。まるでゴルバ森林みたいだな。」
辺り一面木が埋めつくしている。耳を澄ませば木々のさざめき、小鳥の囀りが聞こえてきた。
「ここが異世界…。森しかない世界なのか…?」
ここでは、元いた世界の常識は通用しない。故に、何が起きるのか、全くもって想像がつかない。
しかし、この場に立ち止まっていても、いずれ餓死するのみ。
「…あまり歩きたくないんだが、流石に食料になりそうなものは探すか。」
そういえば、そもそもここに人か亜人はいるのだろうか。存在するなら良いが、もししなかった場合、俺は父から勝手に異世界に飛ばされ、目的も果たさずに戻って行くことになる。
それに、この世界に人や亜人がいたとして、言葉は通じるだろうか。文字は元の世界と同じだろうか。不安は尽きない。
まずは住人が存在するかを調べなければ。お腹はまだ空いていないし、食料調達も後でやろう。
─と、考えていた時だ。
その『声』は確かに聞こえた。
「……て………さぃ…。」
「ん?声…?」
酷くか細い声ではあったが、『それ』は確かに聞こえた。
「人がいるのか。よかった。ひとまず声のする方へ行ってみるか」
――――――――――――――――――――――
声の方へ近づいて行くと、やがて『何』を声にしていたのかがはっきりと聞こえるようになった。
「やめて…くださぃ…。ごめんなさぃ…。」
「あ?なんだよ、こんなフィギュア1個に泣きじゃくって。お前頭イカれてんな?あ、元からか」
「「「あはははは」」」
元いた世界と同じ言葉が聞こえる。ということは、コミュニケーションは取れそうだ。しかし─。
これは、虐めの現場だろうか。虐められっ子1人に対して、虐めっ子は3人ほどだと、遠目からみてとれた。虐めっ子は3人とも背が高い男子で、一方虐められっ子は背の低い女の子。4人とも、多分俺と同じ14歳くらいに見えた。人目のない森でわざわざこんなことするとは。
イュタベラのこの世界の評価ががくっと下がった。
しかし、これは困った。
ひとまず話を聞きたかったのだが、これは流石に会話ができる場面じゃない。かといって、他の人を見つけるにも、おそらく街があるのだろうが、全くもって場所の検討がつかない。
それに─
「虐めはどこの世界でも、許されないもんなぁ」
俺は音を消して、まずは虐めっ子3人に近づいた。こちらに気づいていないようだ。
そして、虐められている女の子に見えるように手を振った。女の子がこちらに気づく。その目は涙で濡れており、赤く腫れていた。
女の子は、俺に助けを求めているのか、じっとこちらを見つめてくる。虐めっ子たちにバレそうなので、視線は背けて欲しい。
そして、音を消して男子に、─3人の中で1人だけ、何かを持っている男子に近づき、耳元で叫んだ。
「あのっここってどこですかっ!!!」
「「「うわぁ!?!?」」」
ようやくこちらに気づいた鈍感な3人は、思わず手に持っていた物を空へ放り投げてしまう。
俺はそれを華麗な(自分では結構上手かったと思う)仕草で手に収めると、、女の子の隣に並び、3人に立ちはだかった。
「どこの世界でも、虐めは良くないぞ!こんなことやめとけ!」
俺がそう言うと、3人は互いに顔を合わせ、頷く。
そして、俺の顔を見ると、不敵な笑みを浮かべた。
「お前誰だ?もしかしてそいつの『おともだち』か?悪いけど、邪魔するならぶん殴るぞ?」
「悪いと思ってるなら殴るな、大馬鹿が」
おそらく、3人の中のリーダーであろう男子にそう言われ、俺は咄嗟に返答した。
その言葉が気に食わなかったのか、リーダーは顔を赤く染め、右手の拳を振り上げる。
「お前、ふざけんなよ!?ぶん殴る!」
そう言った直後、振り上げた拳が俺に向かって振り下ろされた。
なるほど、これでひとつ分かったことがある。
「この世界に、魔物はいないんだな。」
そう呟くと俺は、咄嗟にその拳を回避─しようとしたが、女の子を庇っているためその拳を受け止める。案の定、鍛えられていないその鉄拳は、俺には容易に受け止めることが出来た。
俺の世界では、魔物という奴がいた。大方家畜やその辺の動物たちに似ているが、魔物は俺たちに危害を加える、悪そのものだ。
その魔物に対抗すべく、俺らの国の人々は誰から言うまでもなく自らを鍛え始めた。
それは、俺も例外ではない。
「んなっ!?こいっつ、力がバカ強い…!!」
と、殴りかかってきたリーダーの顔が驚きと恐怖で強ばる。
やはり、この程度で力が強いと言うという事は、この世界はやはりそれほど戦闘が起きないということか。
こいつの動きは、明らかに戦闘慣れしていない。
周りの2人はそもそも戦闘出来ないのか、黙って俺らのことを見ていた。
3人がかりでないことに安堵しつつ、受け止めた拳を捻り、力の限り握り潰す。
「あぁぁぁぁ!!痛い痛い痛い!!降参!!降参するから!!謝るから!!」
余程痛かったのか、悲痛な叫び声を上げながら、リーダーは俺に懇願する。
その言葉を信じ、俺は握った拳を解放すると、リーダーとその他2人は俺の前で横に並んだ。
「「「すみませんでした!もうこんなことしません!」」」
…なるほど、意外と素直で助かった。
しかし…
「お前らが謝るべきは俺か?後ろの子じゃないのか?」
俺に謝られても、俺は別に何もされていないからいい。
しかし、後ろの女の子は違う。
何があったかは知らないが、この3人から虐められていたのはこの子だ。謝るべきは、俺ではなくこの子だ。
「あ、うっ…それは…」
リーダーが少し言葉を躊躇う。
その間に俺は、後ろで庇っていた女の子を、リーダーの目の前に立たせる。
「えっ…と、その…」
ようやくリーダーが口を開いた。
「「「ご、ごめんなさい!!」」」
3人が同時に頭を下げた。うん、素直に謝れるいい子たちだ。いや、虐めとかしてるからいい子ではないか。
と、謝罪を受けた女の子は、その場に立ち尽くしている。
「どうした?許すのか?許さないのか?」
と、俺が女の子にそう声をかけると、女の子はリーダーと顔を見合わせた。
「ゆ、許し…ます…から、もうこんな事しないで…」
まだどこか、3人に恐怖心があるのか、怯えた様子で重い口を開く。
一方3人は、許してもらった事に安堵し、「じ、じゃあな」と一声掛けてから、森を出ていった。
「あ、あの…」
「ん?」
3人が立ち去り、目の前にいた女の子が振り返る。
目が合った。
さっきまでよく見てはいなかったが、彼女の子はメガネを掛けており(この世界でもメガネと言うというのかは不明)、顔の下半分を何やら白い布のようなもので覆っていた。
「助けてくれて、ありがとうございます…」
「ん?あぁ、いいよいいよ。俺もあれ見逃してたら気分悪いし、聞きたいこともあったし」
女の子が俺にお礼を言ってきた。掠れるような声だが、とても綺麗な声だった。
女の子のお礼に返答すると、女の子は「聞きたいこと?」と首を傾げた。
そして、俺は本来の目的を女の子に告げる。
「ここってどこで、今何時なのかな?異世界召喚してきたから分かんなくて…」
その直後、女の子は驚いた顔をした後、クスッと笑った。
これが俺の、異世界での初めの1歩だった。