エピローグ
「っかー!終わった!やっと、終わった!」
「分かったから、家の中でそんなに叫ばないで」
活動を開始して約一年、パソコンに向かった時間を思うと、今までの疲れがどっと出てくる。
しかし同時に、初めて執筆した物語を完結させたということに、大きな達成感と、嬉しさが込み上げるのもまた、事実だ。
疲れから来る喉の乾きを、コーヒーを飲むことで潤す──
「っ!ごほっごほっ!にがっ!」
だが、まだまだ舌は子供のようだ。俺にブラックコーヒーは早すぎた。
大人しく、リンゴジュースをコップに注ぎ、先の苦味と共に流し込む。甘い=美味しい。
「もう、調子に乗ってブラックなんて飲むから──まぁ、お疲れ様」
そう、先の一連の行動を呆れた様子で見ていたのは、この世界では珍しくもなんともない、長く艶やかな黒髪と、大きな丸い黒瞳。
しかし、その整った愛らしい顔立ちからは、神からの最大級の祝福を受けていると一目見ただけで理解できる。
女性特有の柔らかな身体を普段着で包んだ彼女こそ、俺──イュタベラ・カリステアの嫁、サクラ・カリステアだ。
サクラは、俺への嫌味かのようにブラックコーヒーを啜りながら、しかしやはり、俺の行動を労ってくれた。
「あぁ、やっと終わったんだな──。あ、どうだった?同時進行で読んでもらってたけど、おかしい所なかったか?」
リビングのテーブルに向かいたって座り、今度はオレンジジュースを飲みながら、目の前のサクラに問いかける。
俺が執筆している間、同時進行で各話ごとに、サクラに読んでもらっていたのだが、感想をまだ貰っていない。
質問を受けたサクラは、一度思案するように顎に手を添え、俯く。
そうして直ぐにこちらへ再び顔を向けると、
「久しぶりの日本語としてはまぁまぁだけど、まだまだだったかなぁ。なんか、文章が幼稚。ていうか、これ物語じゃなくて日記じゃん」
「仕方ないだろ、皆からの希望で慌てて書いたんだから。この『小説家になろう』ってサイトの勝手も分からなかっったんだし」
と、早口に捲し立てる。
『皆から』とは、俺が書いている──いや、書いていた小説は、実は俺とサクラの馴れ初めを描いたものなのだ。
というのも、実は俺は、カリステア国の王族の息子であり、父さんの人望も相まって、よくサクラとの馴れ初めを聞かれるのだ。
よく、とは言うが、その次元が想像以上で、一日に五人ほどに同じ話をしなければならないくらいだ。
実際は長くなるので言わないが、それでも皆の残念そうな顔を見ると、何となく罪悪感に蝕まれていた。
そこで、偉人の伝記のように、俺とサクラの物語を、小説として投稿しようとしたのだ。
もちろん、サクラの許可もとってある。サクラの方も日本で、カリステアの国王の息子と結婚したということで、俺と同じように何度も馴れ初めを尋ねられたらしい。
そうして、昔の記憶を綴ったものが、今俺のパソコンに写っている小説だ。
「にしても、ベラの能力には驚いたなぁ」
「俺も、自分で驚いたよ。──完全記憶能力だっけか。兄さんが教えてくれなかったら、俺はこの記憶力が常識だと思ってたよ」
「その日にした会話全部覚えてる時点で十分やばいよ」
話題を変え、俺の能力について話すサクラ。
それは、数年前、初めてこの日本へやってきた時の正月に、兄さんが仄めかしていたものだ。
「お前は多分、カリステア家の誰よりも優秀」とは、その時に兄さんが俺に言ったことだ。
まさかその正体が完全記憶能力で、こんな形で役に立つとは思わなかったが。
ともかく、これで今日の予定を達成することが出来る。
ジト目で見てくるサクラに「まぁまぁ」と言いながら近づき、頭を撫でる。
そして、行こうか、と用意した荷物を持って、サクラへ言った。
「行こうかって、私が待ってたんだけど──まぁ、いっか。早く行こ!初めてだから楽しみ!」
最初は不満げに小言を言うサクラも、この後のことを考えるとテンションが上がったようで、傍に置いていた小さなバッグを提げて、玄関へと向かう。
今日は、サクラにとって初めて、カリステアへ行く日だ。
あの計画が実現してからというもの、日本人の異世界への憧れが形となり、その利用者するは増加傾向にある。
そのゲートをくぐって、今日から数日間、カリステアへ旅行に行くことになっているのだ。
胸をときめかせるサクラを微笑ましく思いながら、玄関の扉を開ける。
真上からの日差しは眩しく、しかし絶好の旅行日和だと安心する。
「あ、そうだベラ」
とそこへ、サクラが不意に俺の名前を呼んだ。
どうした、と隣の愛しい姿を視界に収めると、サクラは悪戯っぽく笑いながら、
「私に常識、教えてね」
「漠然としすぎてどこから教えればいいのやら」
いつかも交わした会話を繰り返して、ゲートへ向かう。
「お、今日は空いてるな」
「そりゃベラが予約したからね」
「なんでゲートが予約制なんだ...!」
ゲートへ到着したが、人は疎らで、増加傾向にあるといった先のことが疑われる。
が、人の有無はこの際どうでもいい。
今日の目的は、あの日にした約束通り、サクラを俺の実家に招待すること。
それはカリステアでは『私と恋人になりましょう』と同じ意味なのだが、結婚して夫婦となった今では、それは無意味だ。
しかし、サクラの家に滞在していた時期があるし、今は新居に住んでいるが、カリステアには行っていない。
それは流石に良くないし、サクラも行きたいと言っていたので、その願いを叶える。
そうして手続きを済ませて、紫色の靄がかかるゲートを目前に、お互いの手を繋ぐ。
「じゃあ、行くか」
「うん!ずっと楽しみにしてたの!早く早く!」
無邪気にはしゃいで、先を急ぐサクラに従い、靄の中へ。
「さっきの物語だけど、私たちってほんとにラブコメみたいな恋してたんだね」
ゲートでの転移中、辺りが暗闇に包まれる中、俺たちの馴れ初めの話をもちかける。
「確かにそうだな。俺も書いてて思ったよ」
あの日のことを──数年前の、あの日々の事を思い出しながらそう答える。
「小説のタイトル決まったの?」
前を向いたまま、サクラが俺に問いかける。
それに俺は思案して、
「そうだな、らのべ?ってのは、長ったらしいものが多いらしいからそれに則るか」
そう呟いて、考える。
考えて、そうだ、と。
「俺が、初めて日本に来た時に思ったことにしよう」
「と、言うと?」
胸の中で、何故かピッタリとハマったタイトル。それを、サクラに言う。
「『誰か、異世界の常識を教えて!』だな」
そう言った直後、闇の中から一筋の光が差し込んだ。
「え、センス無くない?」
「──ついたぞ、ここがカリステアだ」
サクラの言葉を無視して、告げる。
俺とサクラの馴れ初めの物語は終わった。
しかし、これからは幸せな日々という名の物語が紡がれるだろう。
そう確信めいたものを感じ、サクラを見た。
今日もまた一段と、サクラは愛おしかった。
《─了─》