第120話 長い夜
甘い時間を過ごした俺たちは、腕を組み、恋人繋ぎをしながら帰宅した。
今回は家の電気も点いていて、リビングの奥からテレビの音と、健蔵さんと美桜子さんが笑っている声が聞こえる。
二人がいつものようにいることに安堵した。
「「ただいまー」」
声を揃えてそう言うと、テレビの音が止み、二人が玄関前へ出迎えてくれた。
二人はニヤニヤとしながらオレと咲桜を交互に見つめ、
「若いっていいわねぇ」
「本当にそうだね。まさかみんなの前でキ──」
「聞こえない聞こえないー!あーあー」
美桜子さんがうっとりと、手を繋いだままの俺たちを見てそう零し、健蔵さんはからかうように咲桜を見て言う。
その言葉を、咲桜は顔を赤らめながら両手で耳を塞ぎ、大声を出して遮った。
普段通りの光景。
今日限りの、いつもの光景。
寂しさをぐっと堪えて、部屋のある二階へ上がった。
時間も遅く、風呂と歯磨きを手早く済ませ、自室へ向かう。
部屋に入ってすぐに、俺は明日へ向けての準備を始めた。
改めて部屋を隅々まで見渡し、必要なもの、そう出ないものを選別する。
その作業に取り掛かった、直後だ。
「──ベラ、今大丈夫?」
ドアを叩く軽い音と共に、囁くような、耳心地の良い優しい声が室内に響く。
「ん、別に大丈夫だぞ」と返事を返すと、背後からドアの開く音がし、そのすぐ後にパタリと静かに閉まった。
「荷造りしてるの?」
背後から声が聞こえる。あぁ、と短く返事をしつつ、振り返った。
そこには、桃色の可愛らしいパジャマを身にまとった咲桜が、片手に枕を持って立っていた。
「──一緒に寝るか?」
そのつもりで来たのだろうが、一応声をかけてみる。
咲桜の方も、何も言わずにただ小さく頷いた。
そして、手に持った枕を、俺の枕の隣に置き、ベッドのそばにある本棚に目を通し始めた。
「ベラ、これ全部読んだの?」
咲桜が貸してくれた漫画や小説を眺めながら、質問してくる。
「一通りは読んだが、なかなか面白いな。自分でも小説を書いてみたくなったよ」
「ベラの小説かぁ。──ふふっ擬音語だけ書いてそう。ビューンとかバーンって」
「そんな訳──あるかもしれない」
「あるんだ」
そうして、二人で笑い合う。
ひとしきり笑いあって、咲桜があのね、と切り出し、
「私ね、夢があるの」
ベッドの上で体操座りをしながら話し出す。
「私ね、ベラに会うまで、将来のこととか考えたこと無かったの」
ぽつり、ぽつりと零れる言の葉が、俺の鼓膜を独占し、それ以外の音を許さない。
「でも私、ベラと会って、友達もいっぱい出来て、心の余裕が出来て、変われたの」
嬉しそうに、恥ずかしげもなく言い切る。
そして、立てた膝に顎を乗せて、上目遣いでこっちを見る。
「私、ベラとのんびり暮らしたい。小さな子供見たいな、笑われそうな事だけど、夢なの」
驚き、目を見開いて、咲桜を再度見た。
真剣に、そう言っていた。そこに嘘はない。
そこまで聞いて、やっと、俺は口を開いた。
「誰が笑うんだ?いい夢じゃないか」
正直、自分のことが夢であることが少し恥ずかしい。
しかし、誰が笑えようか。
こんなにも真剣に、そして、何よりも楽しそうに語るその表情を。その言葉を。
誰も笑えるはずがない。笑っていいはずが無い。
だから、俺は言ってやる。
「誰も笑わないぞ。──その夢は、絶対に叶うから」
人間誰しも、夢を持つ。
それは大小様々で、叶える難易度も異なり、叶わない可能性もある。
だが、咲桜のこの夢は、必ず叶えてみせる。
咲桜が、ずっと一緒に居たいと言ってくれた。
俺がこの世界に来て、右も左も分からなかったあの時に。
咲桜は、この世界の常識を教えてやると、ずっと一緒にいると言ってくれた。
その咲桜が、こんなにも純粋な夢を掲げている。
だから、と。
「俺が必ず叶える。咲桜の夢は、夢で終わらせない」
作業の手を止めて、ベッドの上の咲桜に宣言した。
咲桜は安堵したように息を吐くと、ベッドから立ち上がり、こちらに近づく。
そして──
「──ベラなら、そう言ってくれると思ってた。ありがと」
そう言って、頬に唇が触れた。
「咲桜、結構大胆になったよな」
「恋する乙女は強いらしいよ?」
「へぇ」
「興味無さそう!──そろそろ荷造り終わりそう?」
そう言って俺の手元を指さす。
「まぁ、終わるというか──あぁ、終わる」
そう言って立ち上がり、リュックに入れた荷物を元の場所に戻す。
「あれ、戻すの?なにか持って帰らなくていいの?お土産」
「あぁ、いいんだ」
だって、約束したから。
ゲートを繋ぐと。
咲桜と一生を共に過ごすと。
だから、荷物は要らない。
「どうせ、戻ってくるからな」
必ず、ゲートを完成させる。
必ず、咲桜の夢を叶えてみせる。
必ず、この場所に戻ってくる。
そう、誓ったから。
「だから、またここに来た時に持って帰る。──絶対に、戻ってくる」
そう、力強く宣言する。
目の前の、最愛の人を幸せにするために。
その宣言を聞いた咲桜は、俯き、そして──
「ありがとう───大好き」
笑顔でそう言って、抱きしめ合った。
こうして、長い夜は、長かった一日は、幕を閉じたのだ。