第115話 いつもの場所で一息
陽がその姿を山に隠し始め、夜が迎えにやってくる頃。
そろそろ帰ろうか、と咲桜に声を掛けると、「じゃあ、あそこ寄って行こうよ」と、目の前を延びる歩道を指さす。
あそこと言う時点で、それがどこを指すのか分かる。
その事に少し笑みがこぼれ、ふふっ、と軽く息が漏れる。
怪訝そうな顔をした咲桜がこちらを振り返る。可愛い。
先を早歩きで行く咲桜に、どうせならと、その手を後ろから握った。
「ひゃっ!?」
驚き、瞬時にこちらを振り向く咲桜の頬は紅く染まり、唇をわなわなと震わせている。
が、一度下を向いて深呼吸。顔を上げた咲桜は、微笑をたたえ、言う。
「えへ、じゃあ行こっか」
春を感じさせる暖かい気温が頬を撫で、手のひらに感じる咲桜の体温に安心感を覚えて、思わずにやける。
自覚し、慌てて咲桜に見られていないか隣を見ると、こちらは恥ずかしさで顔を見られないようにする為か、下を向いて歩いている。
「あ、前から車が!」
「うひゃっ!──って、何も無いじゃん!」
「下向いて歩くと危ないだろ?」
「そうやって言ってくれればいいのに──もう」
少しからかってやると、軽く肩を小突かれた。しかし、言葉とは裏腹に、その表情は柔らかい。
少しだけ反省しつつ、目的地へ向かった。
「──咲桜、この場所気に入り過ぎじゃないか?」
「えへへ、だってベラが告白してくれた場所だもん」
「いや、そりゃまぁ。うん?最初に告白したのは咲桜のほう──もがっ」
「あー、聞こえない聞こえない」
例によって例のごとく、人気のない広場のベンチに座って駄弁る。
クリスマスからというもの、事ある毎に咲桜とここへ足を運んでいる気がする。
でも、リラックスしながら話すこの時間が、俺は好きだ。
口に当てられた手を優しく降ろさせ、他愛のない会話を楽しむ。
「あ、あの、ね」
話が一段落付いた頃、改まった様子で尋ねる。
こちらも自然と背筋が伸びる。どうしたのだろうか、改まって言うこと…?思い当たる節はない。
口が乾く感覚を味わい、ごくりと生唾を飲み込む。
そんな緊張など知らずに、咲桜は容赦なく口を開き──
「ベラはね、ちゃんと、私の彼氏だから。ちゃんと、私の彼氏してくれてるから。自信持って、ね?」
照れながら、赤面して言った。
あぁ、そうか。
今日、咲桜の説得を諦めた時に、俺が発した言葉。
「彼氏っぽいこと出来なくて、ごめんな」という言葉への、返答だ。
今、その答えを聞かせるのか。こちらも照れてしまう。
「そ、そうか。ありがとう」
吃りながら礼を述べ、頭を撫でる。
くすぐったそうな反応を楽しみ、そして、咲桜が続きを言う。
「私の彼氏は、世界で一番の彼氏だから。日本でも、向こうでも」
言ってから羞恥心が襲ってきたのだろう。慌てて顔を手で覆い隠し、悶える咲桜。
その横顔はまるで、リンゴのように紅かった。
「咲桜も、俺の世界一の彼女だ。自信持て」
言って、辺りを見回す。今回は、行飛はいないようだ。
こうして二人は、薄く光の残る空の下、ベンチの上で悶えていた。
羞恥心が治まり、帰ることに。
クリスマスのあの時と同じ道を辿りながら、手を繋いでまた、思い出話に花を咲かせる。
中学生で思い出話とは、なんとも滑稽な事だが、それは若気の至りやらなんやら、ということで。
話しているうちに、家の玄関へ辿り着いた。一年間変わらない、白塗りの壁をした、二階建ての建物。
そこらにあるものと何ら変わらないのだが、俺にとっては特別だ。
「「ただいまー」」
声を揃え、玄関を開ける。
が、瞬時に違和感が俺たちを襲った。
今日は休日。美桜子さんも健蔵さんも、仕事は休みで家にいたはず。
外には車もあったから、出掛ける、なんてことはない。
なのに──。
いつも聞こえるはずの、「おかえり」という反応がない。
そればかりか、家の中は明かり一つ灯っておらず、妙に静まり返っている。
「美桜子さんと健蔵さん、出掛けるって言ってたか?」
「いや、何も聞いてない──」
明かりをつけながら、咲桜に確認をとる。
でも、この家の中に人の気配はない。
一体どこへ行ったのか──
「──!」
「ひゃっ!」
そう思った矢先、俺のポケットから音楽が流れてきた。電話の着信音だ。
画面を見ると、『行飛』の文字が。
「行飛からだ」
「珍しいね?どうしたんだろ」
たしかに、行飛がこうして電話を掛けて来たことは、今回が初めてだ。
何の用かと、電話に出る。
すると、焦った様な声で、一言こう言った。
「イュタベラ!?やばい!はよ学校来て!」
一体、何が起きているんだ?