第112話 あの勇気を、再び
招かれた、見慣れているはずの咲桜の部屋は、昼間というのに薄暗かった。
カーテンは全て閉じられ、外からの灯りを許さず、部屋の電気もつけていない。
この数日、ずっとこの部屋で過ごしていたのだろうか?
心配する気持ちが押し寄せ、また胸が苦しくなる。
机の前で正座をしながら、膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめた。
対面の咲桜はベッドに腰掛け、太ももの上に置いた自分の両手を見るように俯いている。
「──。」
「──。」
気まずい時間が、場を支配する。
数日ぶりの咲桜との対面。話したいことは山のようにある筈なのに、なんとも言えない緊張感が俺の喉元を押え込み、声を発することを許さない。
口を開いてはみても、そこにあるべき音は存在しない。
──今もまた、勇気が足りない。
いつもそうだ。俺は意気地無しだ。
兄さんとミロットは秀でた才能があるのに、俺には人より抜きん出たものなど何一つ──
そんな俺が、今の咲桜を変えることなんて…。
その時、兄さんの言葉が、脳裏を過ぎった。
「お前は多分、カリステア家の誰よりも優秀だぞ」
その言葉が、今直接語りかけてきたように、鮮明に聞こえたような気がした。
元旦の時に聞いた、兄さんの言葉だ。
その言葉の真偽は、今も分からない。
その言葉が、本当であるとは限らない。
しかし、その言葉が嘘であるとも限らないのだ。
それに、あの状況で、兄さんが嘘をつく理由が分からない。
本当に俺に、何かは分からないが才能があるのなら──
そう思うと、勇気が、クリスマスの時、咲桜に告白した時のような、あの一縷の勇気が、俺にまた力を与えてくれた。そんな気がした。
微量の勇気をこの胸に借りて、深呼吸を一度する。
そして、口を開いて──
「──さ、咲桜」 「えっとね」
「「あっ──」」
出鼻をお互いくじかれた。
「あ、ベラから、先に──」
俯いたまま、静かにそう言う。
それじゃあと、咲桜の方へ顔を向け、話したいことを、話す。
「──えっと、な…。」
いざとなると、緊張する。本当に俺が、今の咲桜の心境を変えることが出来るのだろうか。
不安がまた、胸中に覆い被さって、俺の声を潰そうとする。
いや、そんなことは後回しだ。
俺は凄いんだと、兄さんが言った。あの優秀な兄さんが、だ。
そして──咲桜の彼氏である以上、ここで退いては彼氏失格だ。
大きく息を吸い込み、言う。
「本当に、悪かった。ごめん。俺の不手際で、咲桜に悲しい思いをさせてしまって──」
いざ話し始めると、なんということは無い。
先程までの不安や焦燥が嘘であったように、声が出る。言葉が出る。咲桜に伝えたいことが、口をついて出る。
面と向かって、謝りたかった。咲桜を見て、謝罪したかった。
それが今、叶った。
許されなくてもいい。咲桜がもう一度、今まで通りの生活に戻れば──
「──や、めて…」
その思い虚しく、咲桜の声が、静かに、しかしはっきりと聞こえた。
許す、許さないの話ではなく、やめて、と。
「わ、わた、しが、悪いのに──なんでそんなに、ベラが謝るの!なんでそんなに優しいの!なんでそんなに、優しくするの!」
震える声で、言葉は優しく、語調は強く、俺の謝罪を否定する。
咲桜の震える拳にはいつしか、大粒の涙が零れ落ちていた。