第110話 亀裂
「ん〜!美味し〜!これ本当にベラが作ったの?」
「だからそうだって言ってるだろう。どれだけ疑うんだよ」
五回ほど同じ会話を繰り返す。どれだけど料理面で信用されてなかったのだろうか…。
包みをあけ、中の菓子を頬張る咲桜。
まだ六時の鐘は鳴っていないにも関わらず、家の外には闇が広がっている。
美桜子さんと健蔵さんは、もう少しで仕事から帰ってくるそうだ。
菓子をつまみながら、二人の帰りを待つ。
「そういえば、ベラがプライベートでお菓子作ってくれたの、初めてじゃない?」
残り少ないチョコレートを口に運びながら、そういえば、と聞いてきた。
確かに、こうして料理を振る舞うのは初めてのことだ。
なんだ、そう考えると緊張するな。いや、さっき美味いって言ってくれてたな。安心だ。
「確かにそうだな。喜んでくれて嬉しいよ」
「えへへ、ほんと、美味しいなぁ」
目を細めて、満面の笑みを浮かべる。
その表情に見惚れ、思わず顔が綻ぶ。
幸せな時間が、室内を埋め尽くす。
この時間が、いつまでも続けばいいのに…。
「はぁ、あと半月で、お別れか…」
また会えるようになるとはいえ、本当に寂しい。
自分で作ったチョコの余りを齧りながら、ぼそりと呟く。
この甘さが、日本との繋がりを感じさせ、寂しさを微量ながらも紛らわせてくれる。
一日一日を、大切に過ごさなければ。
拳をテーブルの下て強く握り締め、意気込んだ。その矢先、隣から、息の漏れる音が聞こえた。
「──え?」
か細い、切ない音が、幸せな時間を塗りつぶし、室内に木霊する。
声の主──隣で、先程まで美味しそうにチョコを食べていた咲桜が、食べかけのチョコをテーブルに取り落とし、驚愕という表現では足りないほど、目を見開き、口をぽかん、と開けている。
この反応はなんだ?咲桜は俺が一度帰ることを知っているはずだ。
なぜ、初めて聞いたような顔をする?
脳内で疑問がグルグルと巡り、解明を急ぐ。
が、答えは、直ぐに出た。咲桜が口を開けたまま、言った。
「え、ベラ、帰るのって──一ヶ月後だよね?」
信じられない、といった様子で、縋るように尋ねる。
これは、本気で言っているのか?
「いや、ゲート制作の関係で、帰るのが早まって──」
まて、そうだ。そうだった。
俺がこのことを聞いたのは、正月。兄さんが、『父さんからの言伝』という事で俺に報告した事だ。つまり、このことを知っていたカリステア人は、父さんと兄さん。
あの時、父さんと母さんは、健蔵さん、美桜子さんの部屋に。兄さんとミロットは、俺の部屋にいた。だから、俺と健蔵さん、美桜子さんは、この事実を知っているだろう。
このことを決めた父さんが美桜子さんたちに言わないはずはない。
そして、当時の俺はてっきり、咲桜もこのことを聞いているだろうと勝手に思い込んでいた。
だが、思い出せ。
咲桜の部屋にいたのは、咲桜、シャランスティ、そして、ヘレナさん。
二人とも、ゲート制作に直接的には関与しておらず、ならば当然父さんから俺の帰還が早まることは、知らされていないはずだ。
ということは、咲桜は、このことは──
「なに、それ──」
俯き、震える声で、膝の上に置いた手を握りしめる。
その拳には、怒り、悲しみ、そして、上から零れ落ちる─涙が、
「きいて、ない──聞いてない!何それ!なんで言ってくれなかったの!?いつ聞いたの、今日!?なんで!私、ベラが帰っちゃうの、寂しいって言ったよね!?なんで、なん、で、──」
感情の決壊。大きな瞳を赤く腫らして、溢れ出る感情を、涙とともに吐き出していく。
そして、大きな音を立てて、椅子から立ち上がり──
「ベラなんて、───もう、知らない!!」
そう言って、階段を駆け上がっていく。
「ま、待て!話を──」
何とか弁明しようとするが、もう遅い。
強く扉が閉められ、扉の前に物が置かれる音がする。
咲桜はもう、こちらの話を聞く余裕はない。
十数分後、美桜子さんと健蔵さんが帰ってきた。
状況を説明し、二人からは「イュタベラは悪くない」と慰めの言葉を貰ったが、この心に空いた穴は、埋まってはくれない。
その日から、咲桜は部屋から出なくなった。