八
報せを受けたのは、家に帰ってからだった。マコトが住んでいる共同住宅の階段の、四段目を踏んだときにショウヘイからメールがあった。
篠森のじいさんが、殺されたって。警察が――
最初の二文字を目にしただけで、マコトは踵を返した。途中、誰かの肩にぶつかった気がしたが気にも止めずに。
「おれらが来たときには、もう死んでた」
と少年が言うのも、耳に入らない。マコトが目にしたのは、警察の、紺色の制服が『篠森書店』を囲っているところだった。店は黄色いテープが張り巡らされていた。
警察が、店主の老人が死んだ、と言っていた。居間で、何者かに刺されていたという。凶器は見つかってないだとか、この界隈で発生している連続殺人かどうか調査して、だとかそんなことが耳に飛び込んで――違う、そんなことは一つも重要じゃない。
じいさんが死んだ――殺された?
その事実が油膜のように広がって、全体を侵していくような気がした。
「マコト」
とショウヘイが声をかけると、マコトは
「全員、集めろ」
命じるに、ショウヘイが驚いたように
「どうするってんだよ」
「犯人を捕まえる」
おれたちの手で。マコトが言うと、ショウヘイがあからさまに
「無理だ」
「でもやる」
「そんなこと、おれらがどうこうできるかよ? もしかすると“猫”かもしれねえんだろ? だったら――」
「ほざけ」
マコトが言った。低く唸って、その声色に気圧されてショウヘイが黙った。
「やるんだよ、やれ。犯人さがすんだ、何が何でも」
強く言う。
「打ち殺してやる、警察より先に見っけるんだ。早く!」
〈五〇〉、動く。
ネット上に、その一報が掛けるのに時間はかからなかった。“神域”のモデルはニューラルネットワークに似る。神経伝達物質が脳シナプスを巡るよりも早く、情報が拡がった。
奴らが殺しにくる。
“神域”の掲示板やチャットルームを見回してみる。事態は、結構深刻だ。キヨトが勢い余って殺したあの老人が、マコトの親代わりだったなんて。
「聞いてねえ」
マコトが孤児であることも知らなかった。思えば、〈五〇〉にいたころもマコトのことは何一つ、知らなかった。あいつ、自分のことは何一つ話さないからな、などと思って
もう一度、接続する。
検索エンジンで、“猫”について調べる。情報の海は、酷く広大で、その全てが流入した日には神経をやられてしまうだろう。だから、情報の取捨選択は重要なのだ。ニュース記事やら、ブログ記事やら。“猫”に関することは、目が回るほどある。
“猫”ってのはよ、人を喰うんだ。
掲示板の書き込みに、心が揺れる。キヨトが見たあれ。確かに、獣に喰われていた。窓の外に消えたものは、確かに。
『“猫”は、獣か』
すぐにレスがついた。
『わからねえよ。誰も“猫”を見たことねえんだから』
ということ。ならば、キヨトが“猫”を見た最初の人間ということか。あれが“猫”ならば。別に、殊更に自慢する事ではないが。
「人喰い猫、か……」
件のヤクザが殺されたニュースをクリックする。あれだけ派手に散らかしておいて、証拠の一つも見つかってないようだ。あの老人の記事もあった。どうやら、“猫”とは手口が違うということで、警察は強盗殺人に捜査を切り替えたらしい。散々部屋荒らしたからな――このままじゃ直ぐ、足がつく。
“神域”から離脱した。
マコトが殺しに来るかもしれない。
あいつは妙に勘がいい。加えて、〈五〇〉の組織力ときたら、並のチームなんか比じゃない。本当に警察より先に、見つけるかもしれない。おれを。そして奴らの前に引き出されて、そこから先は考えずとも分かる。昔、中国人の男にやったのと同じ事かそれ以上のことはされるだろう。有刺鉄線で吊るし上げられて、蝋燭を膚に括るんだ。傷口に、蝋が垂れて染み込むように。
どうする、どうなる……いや、どうしようにも。
あいつを消す、しかないんじゃないか?
消す? 誰を。
ふとした瞬間、浮かんだ考えに自分で驚いた。消すって、マコトを殺そうと思ったのか、おれは。でも、それが最善な気がするのも確かだった。
椅子から跳び上がった。ベッドの下には、例の刀がある。血は拭って、刀身は布で包んである。あんなもん、見つかった日にゃ言い訳のしようもないがまあ大丈夫だろう。キヨトの親は、基本的にキヨトのことは放置だから。放置というか、諦めているというか。
刀を取り出し、布を取り払うと、刀身が露になって鏡のように反射した。持ってみると、ずしりと重い。
一度、振ってみる。バランスを崩してよろめいて、刀身がベッドの縁に食い込んだ。なんて重さだ、こんなもの振り回して人の体を切り刻むなんざぁ……とてもじゃないが、キヨトには出来そうも無い。
思い立って、クローゼットを開けた。新品の服がずらりと並んでいる。適当な服を見繕う。
「血がついても、すぐに洗い流せる方がいいよな……するとナイロンとかの方が」
奥の方からモスグリーンのパーカーを取り出した。こいつはマコトと一緒に、渋谷に行ったときに買ったものだ。値段の割りにはしっかりしている、だけど着てみると色が合わないからクローゼットに仕舞い込んだままだった。
羽織ってみると、少しだぼついている。買ったときは体にぴったりしていたのに、痩せたかな。フードを被ると、顔の半分が隠れてしまう。少し、視界が悪いがこれなら顔を見られることは無いだろう。
湾曲した刀身。緩やかなカーブを描く刃、切っ先は鋭く尖っている。これなら、突き刺すことはできるだろう。足がつかないよう、体をバラす必要があるが、刺してからこの刀で切れば良い。動いている人間を斬るのは無理でも、死体を解体するには簡単だ。手足の関節を切れば、カッターナイフでも切り離すことができる。“神域”で得た知識だ。決行は、夜がいいな。一晩のうちにやってしまえば、
やってしまえば……少なくともキヨトの仕業とは思わない。
宵闇、バラバラ殺人、これらの単語はそのまま“猫”に繋がる。
やれるかも、いややるしかない。
もし、人に見られず奴を殺す、ことができれば――ふと、想像してみる。マコトが死ねば、〈五〇〉は頭が不在になる。そこに戻れば、キヨトが頭に収まることだってあるかもしれない。あいつとは、必要だからツルんでいたのであって、別にダチでもなんでもない。殺すとしても、少しも良心は痛まなかった。
ここまで来たら、もう一人殺すも同じ事だ。やらねば。懐から錠剤を取り、噛み砕いた。