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新宿の猫  作者: 俊衛門
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 気づけば、黄昏時だった。


 “神域”に接続するときに感じるのは、氷のような麻酔薬がゆっくりと効いてゆくときと同じくに、昂揚感だ。膚に導入した、分子が媒介(デバイス)となって、情報を取りこむ。視覚情報が網膜に焼きついて、神経ごと接続(イン)した。

 網膜の裏にデータリンクを貼り付けて、“神域”に漂う信号を感知する。同時に眼は、せわしなく動く銀玉を追っていた。

 ネット上の、パチンコ攻略サイトを見ながら右手を動かして、釘の林を抜ける玉を見据える。金属が擦れ合う音が鼓膜を衝くのもかまわず、玉をつぎ込んだ。緑色の3D、ビット文字がスクロールしていた。

 網膜スクリーンの先、マコトの目の前には、違法改造のパチンコ台があった。画面いっぱいに、往年のロボットアニメをモチーフにした約物やらがごてごてと配置されている。さっきからリーチはかかるものの、ことごとく外していた。

『ちっとも来ない』

 台を打ちながら、ウェブ掲示板に書きこんだ。意識すれば文字が打ち込まれる。

『今、なに打っているんだ』

『CMでやってるやつ』

 暇つぶしにそんなことを書きこんで、すぐに返信レスがついた。

「パチンコってのは、出ないのが普通でしょ」

 顔を横に向けると、少女が笑っていった。ちなみに足元にはドル箱が積まれて、もう四段目に達している。

『ありゃ糞だ、全然出ねえ』

 掲示板に誰かが書きこんだが、そいつは違うみたいだぜ。同じ台なのにこいつは大放出だ――咥え煙草を灰皿に押し付けて、マコトは大きく伸びをした。

「そういう台詞は、自分(てめえ)が勝っているときに言うか」

 だからよ、と女は言う。首に巻いた赤いスカーフ、左の人差し指で弄んで。

 細い指先に、布が絡みついて、解けて。それの繰り返し。

「もう五万、飲まれた」

 というマコトの顔を、女が覗きこむ。

 すぐ目の前に、女の髪が揺れた。吐息がかかるほどに、近づけて。しばらくじっと見つめていた。

 白梅が香った。感覚器官は特別鋭敏にはしていないはずなのに、この女の香だけはどれだけ離れていてもかぎ分けられそうだった。そんなにきついというわけではないのに、際立っている。

「“神域”に接続(イン)しながら打つなんて、余裕だねマコト」

 そう言う少女の虹彩が、薄緑色をしていた。網膜にブラウザを立ち上げているとき、わずかに瞳が発光することがある。その時の、色だ。

「お前も入っ(イン)てんじゃねえか」

「ケータイ小説。なかなか面白いよ、最後に男が死んじまうんだ。腹上死だって」

 何が可笑しいか、少女が笑った。

「つまんね」

 こいつとも長い付き合いだ――ガキの頃からだったか、マコトが思いを巡らせた。初めて会ったときのこととか、今じゃ思い出せない。いつの間にか傍にいて、近すぎず遠すぎず、一定の距離を保っている。空気みたいな女だ、とさえ思う。気づけばそこにいて、最初から「そう」であったかのように振舞うのだ、この女は。意識することなく、一緒にツルんでいる。

「分からないことがある」

 マコトが言うと、少女が

「なにが」

「なんで、首にそんなもん巻いているんだ? いっつも、それだよなお前」

「そんなもん、って?」

「それ、そのスカーフ」

 赤い布は触ってみると意外にも滑らかだった。するすると皮膚を流れる感触が、心地よい。女は「知りたい?」と訊いた。

「そんな、面白い理由じゃないよ。こいつはね、あたしが……」

 薄紫の唇を耳に寄せた。小さく吐息を吹きかけて、囁きかけ、ようとした。

 だが、女が何か言う前に

「よお、やっぱりいいや。あとで訊く」

 マコトは身を起こした。女の背後を、じっと見て

「見てんなよ、朝鮮人」

 と、女の後ろの台に座っていた少年に声をかけた。

「久しぶりだあな、チョッパリ。シブヤじゃ世話になったの」

「はあ、そんなこともあったか馬の糞。雑魚の顔はいちいち覚えてねえんだわ。誰だお前」

 マイルドセブンを噛みながら、接続を切った。

パクだ、覚えろや能無し」

 少年が歯軋りした。

 朴は十八だが、倍も老けて見える。眉間に刻まれた皺と貧相な頬がそう見せるのか、シンナーでぼろぼろになった歯をかちかち言わせて、唸った。

「おれんとこの奴クスリ漬けにしてくれたってホントかよ?」

 威嚇するように歯茎を見せた。血の巡りが悪くなって、黄ばんだ歯を支えるのは赤黒い肉だった。生臭い息は、獣のそれと同値だった。

「やたら純度のいい印度大麻(ガンジャ)が入って、それをうちのチームのガキに売り捌いたそうじゃんか」

「悪いか? 商売は商売だ。それとも、足りない脳みそ縮むのがそんなに怖いか、半島ヒトモドキ」

「人間の半分しか詰まってないんだってねえ、脳」

 隣にいた少女が茶化した。

「あんまはしゃいでんじゃねえよ、カスが。てめえがヤクばら撒くのは勝手だがよ。うちのチーム、ヤクはご法度なんだよぉ、分かる? ねえわかる? この意味」

 朴の腕が、マコトの胸倉を掴んだ。そのまま締め上げ、鼻を突き合わせた。

「なにがご法度? あれが勃たなくなるから? そりゃあ悪かったな、お前の唯一の趣味を奪って」

「何を言って……」

「ナニを、って。中坊囲ってナニしてるかなんて分かるさあね。ケツの穴に突っこんでよがってんだなあこの変態が」

 唾を、吐きかけた。額にかかり、それが鼻まで滴り落ちた。

 瞬間、朴は切れた。

「なめんな、この野郎っ」

 マコトの髪を掴んで、向かいに鎮座している台に顔を押し付けた。

 ガラスに蜘蛛の巣状に亀裂が入り、膚をしたたかに傷つける。ガラスの割れる音、衝突の音。同時に、鳴った。

「なめんな、なめんなよぉマコト。おれが、おれが本気になりゃあ……てめえなんか」

「本気? いつになったら“本気”なんか出すのかねえ。支那人どもの、金魚の糞が」

 もう一度、打ち据えた。台が大きく揺れた。破片が飛び散る。血の雫が床に二つ、三つ。マコトの額から、こぼれた。

「なんだよその目は。その目ぇは、なんだよ」

 拳を振りかぶった。その手をマコトが捉えた。背中に回して、関節を締め上げる。

 ぎりぎりと腕が鳴る。朴の喉から、細く声が洩れた。

「なあ、腹、減ってねえか? え、おい」

 そう、耳もとで囁く。

「は、腹……」

 唐突に、朴は開放された。マコトが手を離したのだ。

 振り返って、殴る。拳が、マコトの髪に触れた。過ぎ行く拳を、睥睨して見送った。

「オゴるぜ、タマは好きだろう」

 そういうと、朴が打っていた台から銀玉を一掴み取った。それを、口の中に無理やり押し込んだ。

 いきなりのことで、狼狽していた。こけた頬が、一杯に詰め込まれて膨れ上がっていた。その口目がけて、マコトが拳を叩きつけた。

 砕ける異音が、した。拳の痛みと連動して感覚した。

 宙を舞い、朴の体が床に転がった。血まみれになった銀玉を、歯と一緒に吐き出した。もともと少ない歯が砕け散り、金の口が洞穴みたいになった。涎と血が混じって、薄赤い粘液が、ナメクジが這った跡のような筋をつくった。

「おーおー、不細工な面がいい感じに男前になったじゃねえか、クソ」

 マコトが茶化すのに、朴は意味不明なことを叫びながら飛び掛った。マコトは難なく避け、金の髪を掴む。そして、それをパチンコの台に、朴がマコトにやった時よりも強く打ちつけた。

 一回目、ガラスにヒビが入る。二回目、ガラスが完全に砕け散った。中の役物と釘が、外気に晒される。

「整形したらどうよ。いまなら手術代もお得だぜ? ホレ、お誂え向きにそこにあるのを使って」

 ディスプレイが輝いた。リーチアクション。アニメキャラが描かれた絵柄が、高速で回っている。 

「お、おぃちょっと……」

 理解したようだった。

「や、やめてくれよ。おい、それは、それはシャレにならんぜ。なあ、聞いてんのか」

 震える声で懇願した。眼は、脅えきっていた。

「んー? 何言ってっかわかんねえよ、お前。朝鮮語訛りは聞き取りづらくって」

 ぐっと髪を引っ張り上げ

 むき出しの釘の森に、顔を叩きつけた。

 血が盛大に飛び散った。ガラスが膚を切り、釘が眼球をえぐった。顔を離してやると、水晶体の奥深く刺さった釘が透明な糸を引いていた。何だ、片目かよ。もう一度、叩きつけた。ディスプレイが赤く染まって、電光がチカチカと瞬き、赤いロボットが敵と戦っている。美少女キャラが何かを叫んでいた。

 みたび、叩きつけた。台が大きく揺れる。絵柄が揃う。大当たり、銀の玉が吐き出された。アニメのオープニング曲が不釣合いなほど軽快に響いた。釘が膚を引っ掻いて、面の皮一枚が剥がれた。熟したトマトのような血肉が露になって、ピンク色の組織が流れ出た。フラーレンの人工塩基だ、これが“神域”にアクセスする媒介(デバイス)となる。張り巡らされた人工血管とか、チタン骨、膚の下には結構色々あるんだな、とか一瞬考えた。

 糸の切れた人形みたいに、頽れた。血まみれの顔が床とキスをする。倒れる瞬間、ドル箱に頭をぶつけ中の銀玉をぶちまけた。

「あーあ……っともったいない」

 とか言いながら、拾うことなく蹴散らす。玉に付着した血、転がると線上に広がる。朴を中心に、放射状に広がった。

 唖然としている客、店員に

「邪魔したなあ」

 といって、マコトは女を従えてその場を後にした。血の溜まりに足を踏み入れたため、足跡が赤く床に残った。

 確率変動を伝えるファンファーレが、件の台から鳴っている。床にへばったまま、朴が小さく呻いている。

 

 店を出たとき、呼び止められた。

「おい、クソガキ」

 振り返る。髭面の男が、こっちを睨んでいた

「俺の店、壊しやがって。どうしてくれる」

 と憤る。まんまるに肥えた顔を紅潮させて、禿げた頭から湯気をだして。茹蛸だぁな、ありゃ。マコトがそう呟くと、隣の女がくすりと笑った。

「でも不味そう」

 確かに、とマコトも同意する。そんなこと、お構いなしといった風情で店主が

「どうオトシマエつけんだよ、てめえ」

 といきまいた。右手にリヴォルバーを持っている。

「落とし前といっても、違法パチンコなんざ潰れたところでどうってことねえさな。警察もとりあわないぜ、法に触れてんのはあんただもん」

 といって笑った。

「んのお……他人事と思って!」

「他人事だろお、そんなの。あんただって。それとも、クソ慈善団体の人? 見えねえ」

 店主が物凄い形相で睨んできた。銃を構えて、狙いをつけた。撃鉄を起こす、よりも先にマコトが動いた。

 マコトの袖の中から、黒い物体が飛び出た。

 鎖だった。クローム仕立ての鎖の先端に、直径二ミリほどの分銅がついた万力鎖。鎖が彗星の尾のように引いて、分銅が放物線に飛ぶ。鎖が銃身に絡みつくまで、二秒とかからなかった。マコトが鎖を引き寄せると、店主が銃に引っ張られる形で前のめりに倒れた。

「シングルアクションなんざ、古いねえ」

 うつぶせに倒れる店主の背中を踏みつけて、マコトが言った。

「な、てめっ」

 起き上がろうとする店主の頭を蹴飛ばした。顎が跳ね上がって、歯が飛んだ。銃をもぎ取り、鎖で店主の首を締め上げた。

 赤い顔が青くなり、徐々に白くなっていった。細く声が洩れて、力を加えるごとに店主の体が踊った。昔はこの瞬間が甘美だとさえ感じた。力をかけるごとに、徐々に死に近づける。生殺与奪を握って、自分が神みたいになった気がして、そのことに夢中になっていたこともあった――あったんだ。

 くだらねえ

 と言って、店主を開放した。首を絞めるときも、離すときも。そして

「ま、ちと黙っとけや」

 殴るときも、特別に面白いことなどない。“神域”に接続インするときと同じ、退屈な慣習(ルーティン)に過ぎなかった。左拳が後頭部に埋り、拳の先でなにかが弾けたのを感じるのにも、何の感慨もわかなかった。

「なあこれいくらだ? この銃。五万以上する?」

 女に訊くと、首をかしげながら

「さあ? あたし知らないけど」

 と女は言う。

「あそう」

 マコトはそれを懐に仕舞うと、

「じゃあこれ、もらっていく。あのクソ台に飲まれた分な」

 そう、踵を返した。足元に転がっている、北京語で書かれた看板を蹴飛ばした。

「クソガキ、このクソ野郎」

 店主が呻いた。

「お前なんか食われちまえばいい、“猫”に食われちまえばいいんだっ……」

 “猫”に――それだけ、耳に残った。


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