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新宿の猫  作者: 俊衛門
2/14

『新宿区、カブキ町にて昨夜大規模な抗争が勃発。中国系四名が死亡』

 と、ウェブニュースがセンセーショナルに伝えるのを、ネットワークの中に見る。網膜の画面にちらつくゴシップ記事、世間じゃテロだなんだと叫んでいるが、テロならばこの国は五年前に受けている。こんなのは、大したことじゃない。

 キヨトにとっては、そんな事はどうでもいいことだ。

 一晩だ。たった一晩で、キヨトは転落した。

 かつて〈五〇(ゴーマル)〉のツートップを張っていた、キヨトはこの街の顔だった。どんなガキ共も、ヤクザだって避けて通るくらいだった。

 あそこを追放された今、この界隈では何の力も持たない。素裸同然だ。

 コリアンマフィアやチャイニーズ、ロシア人どもがこの国を食い潰している――そういう輩を一掃する。腑抜けた大人達に代わって、〈五〇〉の子供たちがこの街に救う外人どもを排除する――マコトの下に集っていたのは、そういうガキ共だ。

 キヨトも、そのうちの一人だった。

 “神域”から流れる情報がいよいよ煩くなって、接続を切った。

 目の前が真っ暗になった――キヨトは思い切り、息を吸い込む。この際、空気が汚染されているだとか考えない。深呼吸して心を落ち着けないと、またあれがやってくる。

 キヨトの手に、ピンク色の錠剤があった。飲み下して、発作が収まるのを待った。去年、シブヤ界隈の黒人から買ったものだった。MDMAの、向心剤だ。

 最初は出来心だったんだ、と言い訳した。“掟”は分かっている、けど仕方ねえだろう。こんな街じゃあ、そういう気になっても。しかし、マコトは許さなかった。〈五〇〉では、クスリはご法度。特に外人から買うのは。外人どもの汚染に加担するような行為は、許されない。キヨトは、切られた。

 ビルの上に、陽がかかった。

 空洞化した都市にも、熱量は存在する。そこに生きる人間の、頭数だけ消費される電力や燃焼されるバイオガス、それがそのまま路上から放たれる。日差しの強さと相まって、じりじりと鉄板めいてアスファルトが焼けていた。

 昇る陽炎、ひどく、暑い。

 汗を拭って交差点の方に視線を巡らせると、襤褸を纏った通行人の中に一人、妙な風体の人間がいた。この気温の中、上から下までをすっぽりと外套で覆っていた。色のあるものを、何一つ身に着けていない。

 だが、瞬きをした時にはそいつは消えていた。気のせいか、クスリが何か幻覚でも見せたのだろうか。

 網膜の裏のデジタル表示は、13:38だった。

 

 醜悪な黄土色煉瓦の建物に、ハングルの看板がかかっていた。

 御多分に洩れず、ここも順調にエントロピー的崩壊を突き進んでいる。脆い壁、空洞化した構造体には隙間風というよりも風そのものが駆け抜ける。溶けかけた砂糖菓子のような商用ビル、今は廃墟だ。ここら辺なら、一番マシな方だ。雨露凌げるだけ。

 しばらく、ここで休もうか。しかし、そうも言ってられなかった。

 先客が、いたのだ。

 顔の中央に、縫い合わせた疵があった。大柄な男、首筋が鮫の膚をしていた。口元には、獣みたいな犬歯がこぼれていて、牙のようにも見える。遺伝子導入(トランスジェニック)が捨て値で出来る時代だ。大方、鮫とか肉食の獣の遺伝子を入れているのだろう。男は白いスーツで、肩に白鞘の長ドスを背負っていた。柄に黒いビニールテープを巻いて補強して、刃は一尺九寸と長めに出来ている。

 男はキューバ製の煙草を咥えて、のっそりと近づいた。二メートルの巨体が動くと、空気が揺れるようだった。

「のお」

 と男が言うのに、キヨトは下っ腹を掴まれた心地がした。

「旦那、こんなとこに何の用で」

「ここらにおめえがいるって、分かってなけりゃこんなとこ来やせんて。溜まったツケを、抱え込んだまま逃げおおせるとか勘違いしているクソガキがいてからに……」

「そんなこと、考えちゃ」

「なら、とっとと寄越せ。てめえが()ってるんも、タダじゃねえんだから」

 と言って煙を吹きかけた。ここいらでハバ効かせているヤクザだ。組織では中堅どころといった地位らしく、外人使ってクスリをばら撒くのが仕事だという。ろくな、シノギじゃない。〈五〇〉にいたころのキヨトには、こういう輩こそが敵だった。ヤクザ? 関係あるか。外人の後ろ盾となる奴らも皆敵だ。誰に向かって口聞いている、〈五〇〉に楯突いて、無事で住むと思うな腐れヤクザ――以前なら、そんな強気な態度も取れた。けど、今は違う。

「すまねえ、旦那」

 なるべく刺激しないように、卑屈な態度に出る。男が眉間に皺寄せるのに、目を伏せた。

「悪いが、まだ……」

 言い終わらぬうちに、突然下っ腹に衝撃を覚えた。男の爪先が10センチほどキヨトの腹にめり込んでいた。腹はやめろよ腹は、何考えてんだ――

「ぐっ」

 胃が持ち上がって、吐瀉物をぶちまけた。男の靴にかかって、男が顔を歪ませさらに蹴り飛ばされた。

「ナメんな、ガキ」

 ごつい指がキヨトの首を掴み、持ち上げた。喉が締まる、ギリギリの力で握られていた。

 喉の奥が焼ける思いがした。苦いような酸っぱいようなそれが、口中を支配する。男が覗き込んで、薄赤く血走った眼球にキヨトの顔が映りこんだ。

「おれらの商売はよぉ、これでってるんだ」

 いうと、男は肩に担いだ白鞘を抜いた。長ドスの、乱れた刃紋が顎下につけられた。刃を引けば、頚動脈を切り裂かれる。事実が粘性の物体のように入り込み、神経が萎縮する思いがした。

「明日、金用意しろよ。でねえと、死ぬぜ」

 男が突き放して、体が壁に叩きつけられた。劣化したコンクリが、崩れた。

 長ドスの切っ先がキヨトの顔に触れて、血が滲んだ。頬の肉を薄く切り、にっと笑って刀を納めた。

「じゃあよ」

 と男が言って、暗がりに引っ込んだ。

 急に、目がかすみ、吐き気がした。頭がずきずきと痛む。ヤクがきれかかってんだ、畜生。ろくなことがねえ――

 フラッシュバックが瞬いて、膚がささくれる。得体の知れない何かが、内側から突き破るようだった。何かが皮膚下で蠢いていた。掻き毟ってそいつを抉り潰そうとした。瘡蓋かさぶたを引っ掻いて、治りかけの疵に爪を突き立てて、懸命に蟲をつまみ出そうとした。なかなか、見つからない。こんなにも痛みを伴って、おれの膚を食い破っているのに。

 しゃがみこんだ。

「ちくしょ……」

 息が上がった。もう一歩も動けない。酸素が足りない、窒息しちまう。何だって、おれはこんなことに。声が勝手に、絞り出てきた。一欠片の火種が胃の中に生まれ、そいつが喉を逆流して口の中にまで広がってきた。あまりの熱さに、体が内側から焼けるようだった。

 どうしておれがこんな目に。考える暇もなかった。意識の終焉とともに、思考が途絶えた。


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