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新宿の猫  作者: 俊衛門
11/14

十一

 古臭いわらべ歌を流す音響装置、この交差点から裏路地に入ると〈五〇〉がたまり場にしている酒場があるはず。奴らは“神域”で繋がるか、〈キンサシャ〉で駄弁るくらいしかしない。それは良く分かっていた。

 おれが行ったら、あいつらどんな顔するだろうか――などと思いながら、しかし警戒も怠っていなかった。懐に隠したナイフは、〈五〇〉時代からのものだ。グリップを握って――良し。ストライダーのナイフの、パンテラコードが手に馴染んだ。

 裏路地に入り、店を探す。しかし、どこに行っても〈キンサシャ〉はなかった。しばらく探して、場所が違っていたと気づく。昔は毎日のように通っていたから間違えるはずないと思っていたが、どうも色々勘が鈍っているようだ。通り一つ、間違えていた。  

 一旦路地を出て、目的の場所に向かった。途中、十二,三歳くらいの女の子とすれ違った。日本人のようだが、栗色の髪を背中まで伸ばしていた。白いワンピースを着て、胸の所にアネモネの刺繍が施してあって――なんでアネモネ? 振り返ると、女の子は既にいなかった。首をひねるも、路地に入ったときには忘れていた。

 〈キンサシャ〉のドアを潜った。膚に爬虫類の鱗が生えたロシア人達が、カウンターでやたら純度の高いアルコールを煽っていた。ホルモン剤で造った筋肉に覆われた巨体を揺らして大声で笑いあっている。カウンターの片隅に、少年が一人座っていた。

「久しいな、ショウヘイ」

 気軽に声をかける。痘痕面の少年が、ぎろりと睨みつけて

「誰、あんた」

「つれねえな、元幹部に向かって。まあ、もう直ぐ“元”じゃなくなるがな」

「知らんよ、あんたなんか」

 ショウヘイは敵意向きだしである。まあいい、とキヨトはキリンの生を注文した。

「マコトはどこにいる?」

「何だよあんた、馴れ馴れしいな」

「あいつはもう来ない」

 バーテンがチタンの腕でグラスを差し出した。キヨトはそれを飲み干した。

「なんで来ないって言うんだ」

「知りてえか、なら“神域”に接続(イン)してみな。“猫”が現れたろう」

「“猫”なんて現れちゃいねえよ。つーか、さっきから何だてめえは。殺すか?」

 どうも、ショウヘイは不機嫌だった。マコトが死んだってことを、知らないのだろうか。と、ショウヘイがキヨトの後ろのほうを見て

「おお、マコト」

 つられて振向いた。

 絶句した。

 今しがた飲んだ水分が全部出たんじゃないかと思うくらい、体中からどっと汗が噴出した。

「ショウヘイ、そいつは?」

 その人物――マコトが無表情のまま突っ立っていた。五体満足で、どこからどう見ても、そいつは

「マ、マコト?」

 マコトが、立っていた。切り落としたはずの、昨日キヨトがバラしたはずの足で。削ぎ落とした指はなんでもないようについていて、マコトの少し長い髪をかきあげる。

「お前、な、なん、で。ここ、に」

 喉が震えていた。空気が漏れたような声しか出ない。マコトが訝しげに――そもそもなんで切り落とした首が表情つくれんだよ――嘆息して言った。

「おい、ショウヘイ」

 マコトが言うと、ショウヘイが

「何か、こいつお前のこと知ってるみてえだぜや」

 とショウヘイが言った。その言葉の、半分も見身に入らなかった。どうしてこいつ、生きている。あれは、マコトじゃねえってのか。いや、そんなはずはない。そんなはずは

「そんなはずは、そんなはずない……そんなはず……」

「なあ、お前」

 体を小刻みに奮わせるキヨトの顔を覗き込んで、マコトが言った。

「誰だ、貴様」

「は?」

 思わず、訊き返した。

「おれのこと、知ってるみたいだけどよ。おれはお前のこと知らんぜ、そんな奴にいきなし呼び捨てってよ」

 マコトが言うのに、キヨトは立ち上がった。

「誰じゃねえだろ、てめえで追ン出しといて! ちょっと薬やったからって、〈五〇〉から放り出されたんだよおれは、お前に!」

「薬?」

「〈五〇〉じゃご法度とか言って、おれを――」

「別に禁止しちゃいねえぜ、そこのショウヘイなんて普通にキめてんしよ。第一、〈五〇〉に縛りなんかねえよ、“神域”で繋がった連中にルールなんてものは……」

 何を言ってんだ、こいつ。何をほざいてやがるんだこいつは。

「つか、メンバーなんていちいち把握してねえし。追放もへったくれもねえだろうがよ」

 おれのことを知らない、こいつは何者なんだ。どうしておれが〈五〇〉に居たことを知らないんだ。

「なんかイカレてんだ、こいつ。うぜえ」

「この手の奴ぁ」

「おい、お前」

 マコトが手を伸ばした。その手を振り払い、マコトを突き飛ばした。マコトはカウンター席に尻餅着いて、ロシア人の背中にぶつかった。ロシア語で怒鳴りつけるのを無視して、マコトが立ち上がる。

 キヨトはナイフを抜いた。

「んだぁ」

 両手で握り締められたナイフの切っ先、その延長線上にマコトの喉があった。

「この偽者がっ」

 締め付けられたようになった喉から搾り出された声には、力がない。細かく震えたような、寒気をこらえているような声。キヨトの目線が揺らいでいた。

「ああっ、殺すぞガキっ」

「言うな、化け物」

 マコトは死んでいるはずだ。確かに殺したんだから。なら、目の前のこいつは

「化け物が、“猫”だろうてめえ、ぶっ殺したマコトの皮被ってんだろう!」

「はあ、何言ってんだ?」

 わめきながらナイフを突き出した。店の中が、騒然となった。ロシア語、ギリシャ語が飛び交って、培養筋肉の男たちが怒鳴りあって色めき立った。

「やろう」

 マコトの脚が横薙ぎに空を掻いた。

 瞬間に鋭利な、テコンドキックがキヨトの手を穿った。ナイフが飛んで、壁に刺さった。マコトは蹴り脚を戻さず、更にキヨトの顎を蹴り上げた。

 脳が揺らいだ。強烈な前蹴りを食らって自律神経をやられた。キヨトはふらつきながら、壁に手をついた。

 靄のかかった視界の先で、マコトが細長い指に鎖を絡めているのを見た。分銅をぶら下げていて、あれを打つつもりだろうか。

 足元の椅子を投げつけた。マコトがそれを避けると、椅子は後ろのカウンターに飛んで言った。テーブルを滑って、グラスをいくつか巻き添えにした。ロシア人がさらに怒鳴り声を上げている。

「そいつを抑えろ」

 とマコトが言い、ショウヘイが動いた。キヨトはショウヘイを殴り飛ばした。セラミックの歯が拳に刺さって、人差し指の第二関節あたりにめり込んだ。ショウヘイの体が飛ばされて、プラスティックの歯茎から歯が零れ落ちた。

 マコトが万力鎖を振り回した。分銅を放って、それが目の前に飛んできた。

 右半面に衝撃を受けた。頭の芯まで響きそうな、強烈なものだった。視界の右側が、電気が切れたみたいに真っ暗になった。

 やられたか――

 疼く顔の右半分を押さえて、キヨトはどうにか、混乱に陥った店内を這い出た。肩や頭に、複数の手が絡み付いた気がした。ふと、昨日みた夢のなかの亡者達がオーバーラップして、腕を振り回した。

 触るな、おれに触るな。誰も触るんじゃない……

 店から出て、路地裏に転がり込んだ。まだ後ろから、誰かが追ってくる気がした。夢中で走り、店からなるべく遠く、遠くへと。

 指にどろりとした、半流動体の感触を覚えた。透明な液体だった。分銅が右の眼球が潰して、硝子体が洩れだしているのだと知ると、気が狂いそうになった。あの野郎、マジで打ちやがった、と。ふらつきながら、ゲットーを形成する雑居ビルの中に入った。

 何がなんだか、訳が分からない。なぜ、マコトは平気な顔をして生きている。確かに殺したんだ、あの血の感触、忘れるわけがない。

 更に、マコトはキヨトのことを「知らない」とぬかした。〈五〇〉にいた自分を、追放した張本人が知らないって……何を言ってるんだ。

 傷が疼いた。十分な遠心力で加速された分銅は、想像以上の衝撃力だった。痛みが思考を掻き消していくようだった。

 頭の中に、あの蟲が蠢いていた。けどそれは薬が切れたときの否じゃない、何千匹って蟲が暴れ回っていて、そいつが頭蓋骨を砕いていくようだ。

 膚が震えて、血の疼きが支配的になっていく。

「お困りだねえ、キヨト」

 見上げると、赤いスカーフの少女が、蔑むような視線で見下ろしてきた。

「てめえ、これはどういうことだ」

「情報には、バグってものがつきものさね。“神域”のどこかで、食い違ったんだろう」

 と、意味の分からないことをいって笑った。

「クソ、何がなんだか。何であいつは……おれは」

「あんたはマコトの何を知ってるんだい?」

 少女が訊いてきた。

「あいつがどこに住んでるか、どういうものを好むかとか、あいつの親はどうしたとか、一つでもあいつのこと、知っているかい? あんた、マコトの右腕だったんだろう」

「それは……」

 キヨトが口ごもっていると、少女は

「自分のことだって分からないんだ、他人の何が分かる。一生、分からないよ。自分と自分以外のことはさ」

 そう言って踵を返した。

「待てよ、あんた」

 声をかけるが、少女は振り返ることはなかった。キヨトは壁に手をつけて立ち上がった。眼窩から零れる黒い液が、地面に落ちるのを、残った左眼で見た。血が流れるたびに、力が抜けていくようだった。膝から下が消えたような心地がして、再び地に伏すのを余儀なくされた。

 声が、遠ざかる。

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