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新宿の猫  作者: 俊衛門
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 パーカーを羽織り、フードを被ると顔が完全に隠れる。鏡に写った自分の姿身を見ると、自分で言うのも難だがなかなか不気味だ。何せ顔の部分が、影になって真っ黒なのだから。己の顔を黒く塗りつぶしたとか、そういうレベルじゃなく最初からそこに闇が存在しているかのような。

 これなら万が一人に見られても大丈夫だろう。フードを取ると、両手に革のグローブを嵌める。量販店で、千円で売られていたものだ。指紋を残さず、奴を殺したら燃やして処理できるだろう。

 上出来。布で何重にも巻いた刀を肩に担ぐと、部屋を後にする。リビングはまだ明かりがついていた。

 息子が外出するってのに、こんな遅くに――

 母親は何も言わない。親父が死んでから、キヨトになにか言うということはしなくなった。キヨトが問題起こそうとも、死にかけようとも。蹴っても殴ってもあの女は、何も言わない。じっと唇を噛み、下を向いているだけ。目をあわそうともしない。そんなんだから、ますます苛々が募る。いつしか殴るのも止めた。ストレスを発散するどころか、あの女を相手にすると益々溜まってくる。溜まったものは、外の連中にぶつけることにした。お袋と違い、外の連中はいい。蹴り飛ばすと悲鳴を上げて、泣き叫ぶ。許しを請おうとするその口を、二度と聞けなくしてやるといいようの無い高揚感に包まれる。コントロール、おれが相手を制御する。全てのものが、ひれ伏すんだ。

 それだけに、許せないのがマコト。あの男は、キヨトのコントロールの下には入らず、最後まで自分の好き勝手しやがって。自分が、この街の顔とでも思っているのか。

 だが、そいつも終わる。アイツはここで死ぬ。おれ、がやる。


 崩れた門が街の目印だ。

 かつて、東洋一とか言われた歓楽街の亡骸が、寂れたビル群としてそこに在った。雑居ビルは今、鉄骨むき出しのただの塊と化し、ひび割れたアスファルトから雑草が生えている。何の役にもたたない、残骸どもの墓場。地面に落ちたネオンの看板は、昔どれほど輝いていたのかなんて知る者はいない。

 荒れた街、この国が受けた報いだ。外国人に国を明け渡した結果、蓄積された不満が爆発した。暴動が各地で起こり、自爆テロが各地起こった。  

 それがこのザマ。昔はそれなりに賑やかだったというこの場所も、今じゃ見る影も無い。  それだからやりやすい、というのもある。人も通らないし。

網膜のデジタル表示は、二十二時だ。そろそろか。カブキ町のアーケードで暇を潰した後、アイツは変なところで几帳面で、必ずこの時間帯、ここを通る。それは一緒につるんでいた頃から変わらない。

 腰を上げて、外をうかがう。床にちらばった欠片、砂利を革のブーツが踏む。そのたびに乾いた音を立てる。

 刀を握る。手袋の中で、掌が汗ばんできた。柄にもなく緊張している自分がいる。なに、すぐに終わる。刀の刃を上にして、体ごと突き刺せばこと足りる。時間にすれば二、三秒で済むはずだ。

 視界の端に、人影が見えた。フードを被る。目を凝らすと、マコトだった。青っぽい服を着て、自転車を押してなにやら携帯に向かってぼそぼそ呟いている。

 飛び出して、直ぐにでもぶっ殺したい衝動をこらえる。マコトが店の前を通過するのを待って、外に出た。

 そのまま立ち去る背を見据え――

 ゆっくりと近づき、マコトの背後を取った。刀を腰だめに構え、狙いをつける。胴体をひと突き。それで終わる。

 暗色の衣服は闇そのものを纏い、後ろから、近づく。猫が獣を狩るかのごとく、忍び足で。キヨトはいまや、夜に溶け込んでいた。ただ、刃のみがぎらぎらと光っている。

 そろりそろりと近づいて、逃げるなよと念じつつ。確実に間を詰め、歩を繰り出した。

 マコトが振り返った。それと同時に、キヨトも動いた。

 刹那、右足を踏み込むと同時に腰にためた刀を突き出す。切っ先が腹に刺さり、刃はあっというまに胴を貫いた。固いものを掴んだ感触、それが一瞬だけ感じたと思うと後はするすると刃が勝手に走った。

 マコトがかっと目を見開いた。驚愕とか、怒りとか、浮かんだ表情はそんな感情が合わさったものではなく。ただ反射的に、痛覚と連動して開かれた眼。それはおそろしく機械的な動作だった。キヨトは刀から手を離した。何も言うことなく、悲鳴一つ上げず、膝を折り、頽れた。

 しばらくは放心状態だった。転がるマコトの骸、そして己の手についた血を見てようやくキヨトはああ、殺したんだと納得した。それほどまでに、呆気ない。人一人殺るのが、こんなに簡単であったとは。拍子抜けしてしまう。

 とりあえず、これで目的が達せられたわけだ。が、まだやることは残っている。刺さったままの刀はそのままに、死体の両足をもって引きずる。

 ビルの一つに入ると、今度は解体作業に取りかかった。このために、このクソ暑い中パーカーなんぞ着ているのだから。まず刀を引き抜こうとするが、なかなか抜けない。筋肉が収縮して、刃が抜けにくくなっている。死体を踏みながら、どうにか引き抜く。抜いた瞬間、傷口から血が溢れた。もっと盛大に噴き出るかと思い気や、そうでもなかった。返り血を心配していたが、これならこんなパーカーなんかいらなかったかもしれない。

 刃を首に当て、力で押し込む。膚が裂け、刀身が半分ほど肉に沈む。そのまま刀を、ノコギリのように引く。何度も、何度も。どす黒い血で満たされた。首の筋肉が邪魔で、切れ味がどんどん悪くなっていく。骨に当たった。かまわず引き切る。パーカーの下が汗で蒸れてきた。体重を刃にかける。ごきっという音がした。骨が切れたのだ。そこまでやると後は余力で切れた。首をすっかり切断し終えると、キヨトの体は血まみれになっていた。

 次は足。膝の関節に刃を突き刺し、体重をかける。さすがに太股は切れそうもないから、両足とも膝から下を切り離すこととなった。刃をえぐり回すと、切っ先が欠けてしまった。今度は腕。これはさほど大変ではなかった。二の腕から先を切り、ついでに指を全部削ぎ落としたらなかなかそれらしくなった。四肢を切断したら、今度は腹を裂く。下腹部を横に切ると、ぬめった腸が顔を覗かせた。

 腐臭がたちこめると、吐き気を覚えた。が、我慢して作業を続ける。あまり、血は出てこなかったので意外に作業ははかどった。あとは適当に切ったり突いたりして、“猫”がやりそうなこと、食い散らかされたように。

 全てが終わった後、刀を死体に突き刺した。パーカーを脱ぐ。サウナ状態から開放され、冷めたい外気が心地よい。急いで血に汚れた衣服をビニールに入れた。この服は、後で焼却処分すればいい。

 目の前にはバラバラになったマコトの死体があった。新宿の顔っていっても、こんなものだ。簡単に死ぬ。

 キヨトはやり遂げた。おれはやったんだ。歓喜が体の奥底から込み上げてくる。大声で、世界中に吠えてやりたい気分だった。ざまあみろと。

 今この瞬間、世界はキヨトの前に跪いたのだ。


 服を処分し、家路につくとどっと疲労感が出てきた。重い体を引きずるようにして家に帰ると、汗だくな体をベッドに投げ出し、そのまま眠ってしまった。

 キヨトは、夢の中にいた。

 キヨトの前には、幾多の人間が跪いている。男も女も、皆裸であった。

一番近くにいた女の白い背を見た。美しく曲線を描くその体を眺めていると、女の背が段々黒ずんでゆく。ただならぬ腐臭がした。マコトを解体(バラ)しているときと同じ臭い。女の背は黒く変色し、皮膚がボロボロと崩れだした。ゲル状の肉が削げ落ちて、背骨が覗く。腐る肉片に混ざって、蛆が沸いてくる。腐乱した体を引きずるように、女が這いずってきた。他の人間もまた、腐った体を引きずる。下半身がドロドロに溶けて腕だけで這ってくるものすらいる。

キヨトが後ずさり、逃げようとする。半液状になった腕が足首を掴む。爪が食いこむ。

 悲鳴を上げた。わらわらと、それが群がってきて。腐った指が、キヨトの皮膚を撫で回す。粘性の体液が這いずりまわった。指の股から蛆がこぼれてくる。振り払うと、女の腕がもげた。群がる亡者共から逃れる。ずる剥けた手がキヨトを追う。亡者たちの手から逃れる、腐った手が追ってくる。

 叫ぶ声が、聞こえない。滅茶苦茶に腕を振りながら後退する。

 背中に何かぶつかった。振り返ると人間が立っていた。モスグリーンの、ナイロンのパーカー。

 顔が、見えない。目深に被ったフードが、表情を隠している。顔の部分に深い闇を貼り付けている。その闇が、キヨトを見据えている。

 右手に刀を携えている。刀身はぎらぎら光る、鋼。切っ先には血が。

 声を失う。己が写し身が、そこにいた。


 反射的に飛び起きた。叫ぶ声とともに。シーツが汗でぐっしょりと濡れている。

 窓から外を見ると、昼過ぎだった。カーテンを開けると陽が差し込んできた。黴が沸いた枕に影を落とす。影は、なんだか獣に似ていた。尖った耳の得体の知れない動物が口をあけて何かを呑み込もうとしている。

 急に体が冷えてきた。かいた汗が凍りついてゆくようで。窓の外を見ると、塀の上に黒猫がいた。丁度体を伸ばし、大欠伸をかいている。猫はキヨトの方を一瞥し――塀の向こうに飛び降りた。

 喉が渇く。どうやら汗をかきすぎたようだ。とにかく水だ、水。変な夢のせいで、なんだか休んだ気になれない。酷くだるい。クスリが切れてきたのか、意識も朦朧としてきた。ベッドから這い出して、壁づたいに歩いた。なんだか体が鉛で出来ているみたいだ。自力で立つことすら億劫である。

 キッチンに行き、蛇口の水を捻る。コップで飲むのも面倒で、身を乗り出して流れる水に口をつける。ささくれた喉に、冷たい水がしみてゆく。鼻に入ってくるのもかまわず、飲み続けた。失った水分を取り戻すべく、とにかく飲みまくった。水、もっと水。いくら飲んでも、細胞を潤わせるに至らない。口から入った水は食道を通るたび、欲求が加速する。喉だけでなく気道にも入り込み、むせた。はなが垂れ、こぼれる水と一緒に排水溝に流れてゆく。慌てて顔を上げ、手探りでタオルを求める。ようやく、落ち着いた。

 なんて夢だ、全く。“神域”の仮想現実(バーチャル)の方が、よっぽど品の良い夢見せる。

母親は、もう出かけたようだった。キヨトはタオルで顔を拭った。あのババアは、また男のところか、などと思いつつ

「行く、か」

 どうにも、気になっていた。マコトが死んで、今街はどうなっているのか。〈五〇(ゴーマル)〉はどう動いているのか。考えると気が急いて、居ても立ってもいられなかった。

パーカーを引っ掴み、靴を履いた。


 スモッグがかかる、ぼやけたディムグレーの雲がかかっていた。ゴースト化したゲットーの、原色の看板――中国語と朝鮮語ばかりが飛び交う、密集住宅に差しかかった。  

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