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新宿の猫  作者: 俊衛門
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本作には暴力、また性的表現が多分に含まれます。特に、性的暴行の描写が含まれております。15歳未満の方や、苦手な方は注意をお願いします。


また演出上、文中には差別用語を用いております。外国人差別や女性蔑視ともとれる発言がございますが、それらの表現はあくまで作品内だけのことであり、現実に差別するものではございません。併せて、ご了承ください。

 殺人が起きた、という。

 異国で少年兵が死んだとか、どこかの町で一家が惨殺されたとか、あるいは外国人マフィアの抗争とかそういう遠くの世界の事ではなく、もっと近いものだった。

 “神域”と呼ばれるネットワークが映すもの――ウェブニュース、コマーシャル掲示板やおしゃべり(チャット)、錯綜する情報の中に存在する一つの真実が在る。

 “猫”には気をつけろ――

 その存在は変容する器として語り継がれている。ネットに繋がる個体が囁く、“猫”と呼ばれる存在。数ある情報の中に漂う、新宿界隈にある噂だ。

 通り魔、あるいは愉快犯。宵闇に紛れてはだを剥ぎ取り、臓物を引きずり出して食い荒らすという。

 人喰い猫が出たってよ、

 宵闇にまぎれた、化け物。

 研がれた牙をぎらつかせ、血肉を求める。ありゃ、化け猫よ。

 “猫”は人を喰う、人喰い猫。

 怖えなあ

 ああ、怖え怖え



 古い、昔のわらべ歌が聞こえた。

 

 信号の音響装置から無気力に流れる、虚しい旋律を耳にして、交差点を渡った。横断歩道の白が、目に溶けそうに鮮やかで、黒い路上との対比が眩しく感じた。

 網膜のスクリーンが時刻をクレジットしていた。10:39。真白い陽光が差してきた。

 信号灯が光ると、騒がしさが濃くなった。その雑踏から逃れるように、マコトは裏道に入った。路地裏に足を踏み入れて、いつもの溜り場を目指す。砲金灰色(ガンメタリック)な水溜りが目立つ裏路地にあるのは、獣の死骸と煮野菜の匂い。いつもどおりだ、変わらない、とマコトは錆びた骨格の非常階段の手すりに煙草を押しつけた。

 通りの方から、パチンコの音が鳴り響いてくる。白色の低周波、アーケードゲームに興じる子供たちのはしゃぐ声とともに洩れてきた。中国語や朝鮮語が多い。日本語はこのところ、めっきり聞かなくなった。

 〈キンサシャ〉の看板を潜って店内に入ると、喧騒が飛び込んで来た。

 カウンターに座り、キリンの生を注文する。右手にアンティークな人工操作手(マニュピレータ)をつけたバーテンが、慣れた手つきでグラスを滑らせた。七つの機能(ファンクション)がついた、複合チタン構造だ。この型は、骨董屋に行っても見つからないだろう。

 隣に座る、者がいた。

「昨日はなにしていた、マコト」

 とショウヘイが、肩にもたれかかってきた。刺激臭が漂うに、マコトはショウヘイの手を払った。

「またキメてきたんか」

「おれの体は、一日一回は入れないと萎んじまうんだ、印度大麻ガンジャ

 と、セラミックを導入した歯を見せて笑う。半透明の構成物はプラスティックの歯茎で支えられており、薄汚いピンク色をしていた。新宿界隈では、無理をすれば金属錯体と骨を入れ替えるくらいは造作の無いことだ。

「萎め萎め、そのまま消えちまえ」

「はん、消えるってか」

 ショウヘイが笑うと、不細工な面に磨きがかかってさらに醜くなる。痘痕だらけの貌は、移植して皮を張り替えてもすぐに月面みたいな面に戻ってしまう。どうやら、遺伝的なものらしい。別な遺伝子を入れるほどじゃねえだろ? といつか言っていた。

「ガッコ行ってたってマジか、マコト」

 店の奥から、娼婦のくすくす笑いが聞こえてくる。カーテンに遮られた、六畳程度のスペースから吐息と喘ぐ声、甘ったるい囁きがけぶるマリファナと混じっていた。嬌声が聞こえるのに、うんざり気味に息をついた。

「学生の本分は勉強だろ?」

「マジメだねえ、そんなんしても大した職にはありつけんぜ」

「他に行くとこも、ねえし」

 といってマコトが、店の奥に一瞥くれる。トルコ人がカーテンの奥に引っ込んで、いった。ひどく濃い体毛で、腕や首筋に金色の産毛がびっしりと生えていた。獅子のたてがみにも似ている。なんのアピールか知らないが、移植体毛であることは明らかだった。

 そいつを見送りながらマコトは

「増えたな、外人」

 言うと、ショウヘイが

「横浜のコリアンマフィアが、潰されたろう。それの影響なんじゃね」

「ガキ共、売りさばいていたってあれか」

「商品リストが流れてるって、ネットに。フィリピンからも仕入れていたらしい」

 ここに流れてくる外国人にとって、規制が緩いこの国が魅力らしい。大陸の子供は、一番上が十二歳。一人頭、数十ドルの値はつく。下は妊婦の腹裂いた胎児だって、ここでは売れ筋の商品だ。あの肉がいい、というがマコトには理解不能な世界だ。理解しなくていいさ、理解できるようじゃお終いだぜ変態外人、とマコトがグラスを弾いて

「おい、仲間ぁ集めろや」

 ショウヘイが喉を鳴らした。吸い込むような笑いが、この男の癖らしい。セラミック歯を軋ませて、煙草をすり潰した。


 トルコ人が店を出るのに合わせて、マコトたちも立ち上がった。

 支払いは掌で。静脈を液晶にかざせば、完了だ。膚の下に生体ソフトウェア、数億の分子の結晶が配列を組織化した素子(チップ)が、銀行の電子マネーと同調(リンク)している。そいつを照合すれば精算。数秒とかからない。タイムイズマネーだ、分かるか? 時間は貴重なんだよ、誰かを殴るにも、何かを奪うにも時間はついて回る――いつも、マコトが言っていることだ。

 〈キンサシャ〉を出ると、表通りに抜ける。マコトとショウヘイは、数メートル後ろを行く。

 その角だ――“神域”を通じて、囁く。その言葉どおりに、トルコ人が角を曲がった。錆びた骨格のビルを右に曲がる。やや足を速めて、トルコ人の後を追った。

 急に、襤褸を纏った少年たちが、物陰からバラバラと駆けて来た。トルコ人を取り囲む、件のトルコ人は呆気に取られている。

 手に手に、鉄パイプ、バールの類を持って、対した。

「外人」

 とマコトが言い、トルコ人の顔が歪むのを――目の当たりにする、暇もなく。

「やれ」

 そう言うのに、鉄パイプが振り下ろされた。

 トルコ人の、脳天が割られた。絶望的に鈍重な音がして、血の色が照り映えた。少年の一人がさらに、パイプを振るった。脳天から額に、縦に割れた。

 膚が裂けて、流血するその間。トルコ人がゆっくりと跪く。呻き声が、トルコ訛りの英語で吐き出された。苦痛に悶えるその男を見下ろして、パイプとバールを突きたてた。十人からの少年が、横たわる体を殴り、踏みつけている。

 薄い膚の層が削ぎ落とされて、黄色い脂肪が外気に晒された。それを覆い隠すように赤黒い血が溢れてくる。男が何かを言いたそうに口を動かしたが、その口に金属バットがねじ込まれた。喉まで突っ込まれて、歯と顎が砕ける衝動があった。バットを引き抜くと、口の端から血と涎が垂れ流される。粘液に混じって胃液と歯を吐き出して、腹を抱えて悶えていた。

 手を伸ばした。乞うているのだ。自己保身と安寧を得るがために、この場では神にも等しいマコトに対し、

 許しを……

 その手を蹴りあげた。

 金属板を埋め込んだ爪先が、肘関節を蹴り飛ばす。と、関節が逆に折れ曲がり、鋼色の人工骨が膚を突き破った。尺骨は、ネズミの膚と同じ色をしていた。皮一枚、剥いだ先にピンク色の肉が露になる。金属錯体を導入したチタン骨が露出して、折れた断面から髄液が滴っていた。

 男が絞め殺すみたいな声を上げた。

「ひゅーマコト、格好いいね。空手け?」

 ショウヘイがいうのに、こともなげに

「テコンドだ、テコンドキック」

 一人が、バールを突き刺した。首の筋が切れて、ロープのような腱が断ち切れる。と、路面が血色に染まっていった。

 煙草を吸い込んだ。紫煙がゆっくりと立ち昇って、復刻版のマイルドセブンを肺の奥まで落とし込む。悲鳴が止んだ。トルコ人は、うずくまったまま動かない。少年達がパイプで突っつくと、ぶよぶよとした肉体が流動性の物質のように揺れた。

 不良外人、と吐き捨てるに少年達がせせら笑う。この国で好き勝手はさせねえよ、と言ったとき、ショウヘイが思い出したように

「ところで今日は来てないんか?」

 そう言うのに、マコトが生返事をした。

「あんたの彼女、シブヤ界隈でウリやってん見たぜ」

「そうかい」

 マコトは横たわる体を蹴飛ばした。水風船みたいに抵抗があって、腫れ上がった膚が跳ね上がる。煙草を投げ捨てた。

「どうでもいい、そんなん」

「どうでもいいって、なんだよ」

 通りの方から女の声がして、振り返った。ショウヘイが軽く口笛を吹いて

「ヤー、おいでなすったぜ旦那。アツいねえ」

「はっ」

 とマコトが言い、声の主は薄い(くち)の端を上げて微笑した。

 マコトと同じ柄の制服を着ていた。少女が歩み寄り、マコトの肩にしな垂れかかった。かすかに、白梅の香りが匂った。

 細い指が首を撫で、腰の辺りを弄ってきた。病的なほど白い膚は、静脈が透けている。薄い肩、柳の腰

「嫉妬深い男もあり得ないけど、冷め過ぎってのも考えすぎだよ」

 そして、首に巻かれたスカーフ。布地は、血と同じ紅だった。グレーの背景の中、際立っていた。少女が布地の先を指で弄りながら言った。

「てめえの事ぁ、てめえでやれよ。いちいち構うか、何求めてんだ。この新宿で」

「つめてーな。幼馴染に向かって」

 女が言う。

「十年来の付き合いだってのに、そういうこと言う?」

 と言うのに、マコトは黙って、少女の脇をすり抜けた。

「また狩ったんか?」

 少女がしゃがみ込んで、トルコ人の膨れ上がった面を覗きこんだ。

「外人狩り。この国に入る、毛唐一匹ツブしてサ。トルコ人て親日じゃないっけ?」

「関係ねえ」

 通りから、雑踏と遊戯場の騒音が、DJの下らない喋りとスローで調子っ外れな曲とともに届いた。少年の一人が、ふと咳払いをした。スモッグが、濃い。

 知らず、彼らは解散した。

「これからしけこむんか、マコト?」

 ショウヘイが去り際に、そういってからかってきた。

「そいつは気分次第」

「ヤ、ヤ、」

 コクコク頷いて、プラスティックの歯茎を見せた。他の少年達は既にいない。ショウヘイもどこかしらに消えた。

「行くかい?」

 と少女が言うのに、二本目の煙草に火をつけた。ざわめきの中に身を投ず。

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