5夜.私とあなたの望み
「本日はお越し下さり、ありがとうございます。こちら本日のメニューとなります」
シェフ・クレノが直に接客だなんて。
つくづく何者なのか。
ともあれ、彼との婚約に思わぬ利益が見えてきた。
「食前酒は何にいたしましょう」
「料理は結構。スピリトゥス・レクティフィコヴァニだけ貰おう」
!?
驚いて思わず口を開けたままにしてしまった。いけないいけない淑女失格だわ。
スピリトゥス・レクティフィコヴァ二(アルコール度数96%)がすっ飛ぶほどの戦々恐々だわ。
おいおーい殿下ー。ここどこだか知ってます?
『クレイン・スター』ですよ。世界一の料理店に来ておいて何も喰わないってどういう神経しているんですか。
「ぁ゛?」
ほら! シェフ・クレノも怒りますよ。そりゃあ怒るでしょ!
小さい声だったけどすぐ隣の私にはばっちり聞こえた。
表情も不機嫌そのもので、下位紫級の瞳も冷え切っている。
というか上位色彩同士で魔力濃度上げるのやめて。息できないです。
紫級は天才肌な分、変わり者というか常識の欠如が目立つんだよな。
「わ、私は、おすすめコースと果実酒をいただきますわ。殿下もそれにしましょう?」
私の気遣い虚しく、二人の間では相も変わらずブリザードが吹き荒れている。
ここは南国のブレスブルクで北国のヘブンリースではないというのに。
「付け合わせは何に?」
「――――――」
緊張で全身が震えていたためか殿下の言葉は聞き取れなかった。
シェフは怒りを鎮めるとメニュー表を受け取り、一礼して部屋を出た。
ため息が漏れ出る。
「勘弁してくださいよ」
「何が?」
「何が、ではありませんわ。此処は食事をいただくところです。その場で料理を頼まないなどシェフに対して失礼ですわ」
「私は食事をするつもりはない。密談の場所を依頼したらここを予約されただけのことだ」
「『クレイン・スター』に!? いったいどこの誰です?」
「誰でも構わない。いずれ名を聞く」
その言葉を合図に、ウェイターが食前酒を持ってきた。
私たちは一口飲んだ。一流店にふさわしく、よく熟していた。
「それで、これからの方針のことだが」
「その前に私から提案させていただいても?」
「あぁ、構わない」
「ありがとうございます。私からの要件は簡単です。
1つ、私はあなたとの間に子を望みません。いわゆる白い結婚を要求します。その場合、愛人は好きにしていただいて構いませんわ。
2つ、私たちが頂く領地『テランリース』の経営は私に一任していただきたいのです」
「…………」
「責任の一切合切は私が負いますわ」
悪い条件ではないはず。ようは領主としての責任を私に任せ、当人は自由にしていいというものだ。
問題は男性のプライド的な面だ。
ブレスブルクではだいぶ薄まったといえど男尊女卑の考えは残っている。
王も貴族の当主も女性の相続権はない。
その点、ヘブンリースは女王や女性当主もいたはず。
ブレスブルクに比べれば男女の差別が薄い国だ。
殿下の感情は読み取れない。
宰相である父の仕事に付き添うこともあり、観察眼には長けていたつもりだが、こうも無表情だと何かを考えているのかさえ分からない。
「2つ目の案は承諾しかねる。が、どちらか一方に権力を偏らせるのではなく、二大当主制なら承諾しよう」
二大当主制。用は私と殿下の権限を同等のものとし、両方の承諾なく権利を施行できないということだろう。
まあ、想像していたより大きな譲歩だ。
相手がレオニクス様だったら何を馬鹿なと一蹴されていただろう。あぁ思い出したらムカついてきた。あの白髪野郎、妹にこき使われて禿げればいいのに。
「いいでしょう。ではそれで」
「あなたは……何を望んでそれを求める?」
会話の最中にも料理は運ばれている。
今はメインの肉料理。なんの肉だろう。とても柔らかくておいしい。
私が食べる分、殿下は飲んでいる。えぇ、あのアルコールそのものみたいなお酒である。
「私は、新たな時代を作りたいのです。血統によって将来が決まるこの世界の根底を覆し、能力によって己の未来を作り開ける時代を」
そのために自分の国が欲しい。
「〝ラン"がそれを言うのか?」
勇者の血を引くものを示す名。私も姓にそれを刻んでいる。
「いけませんか?」
そういうと彼はふっと笑った。初めてあの能面に感情が宿ったように思える。だが、笑いなれていないのかひどく不格好な笑みだ。でも形がいいから普通の人から見れば気にならない程度だ。
「いや、来年は記念すべき千年祭。私たちはその象徴たる者。その役目は伝統の引継ぎではなく、新たな時代の幕開けだと考えている」
成程、互いに愛はなくともこういった意味では私たちは運命共同体なのかもしれない。
「新たな時代に乾杯」
私がグラスを差し出せば、殿下もグラスを差し出し、カンと音を立てた。
婚約破棄されたが、私の夢としてはむしろ好機なのかもしれない。
「改めて、ヘブンリース皇国、皇太子ユールラテス=ヘブンリース。ユールで構わない」
「ブレスブルク王国、フラン公爵家令嬢ミアラレーズ=フラン。ミアとお呼びください、ユール様」
ん? 皇太子?
皇太子とは王の血を引き、次期皇となるもののこと。王の子であっても次期後継として指名されなければ名称は皇子となる。
通常は生まれた順で後継が決まり、他国に嫁ぐ者は候補から外れるのが普通なのだが。
私は素直に彼に聞いてみた。
「わが国では千年祭をもって王制を撤廃し、議会制へと移り変わる。その後は段階をもって身分制度も撤廃する見込みだ。
故に、私は貴殿と婚姻するまでヘブンリース皇太子という身分になる」
「随分と画期的ですわね。古い慣習の撤収は反発も強いでしょうに」
「元々廃止するつもりで作られた制度だ。確かに小うるさい輩もいるが、古参や上位層の貴族が賛同している中、できることなどありはしないさ」
成程。私が目指そうとしている形にヘブンリースはなりつつあるのか。
改めて動向を探って国制の参考にすべきよね。
ヘブンリースは他国との貿易が少ない。周囲が氷山に囲まれた極寒の大陸全土が領土にあるが、その気候ゆえに航路が開けずにいる。
唯一陸続きの南部にある火山地方から上陸できるが、あの地域は魔物が凶暴でかつ山越えをしなければならない。
ブレスブルクではやり取りによる渡航はティスペタを中継して向かう。あの国は実力主義で海運に関しても腕が立つ。
そのため国制などの情報は密偵や政略で嫁いできた者たち頼みとなっているのが現状だ。先日のことで摩擦が生じたが、両国の友好を示す千年祭を催す以上は航路の開発も重要な課題となってくる。
それに先手を打てれば、あるいは……。
「貴殿は思考が深すぎる。見るものが見れば何かを企んでいることがわかるだろうな」
「あら、先の先を読むのは執政者として当然のことですわ。そういうユール様はもっと愛嬌を身につけませんと。表情は相手を出し抜くうえで重要なスキルでしてよ」
「ふっ、ふふ……いうに事付けて戦略か……」
「お話を始めたのはユール様ですので」
笑い方は女の人のようだ。
「違いない。この国に来て世間的な倫理のために愛嬌を身につけろと言ってきたものはいたが、貴殿のようなのは初めてだ」
どうやらツボに入ったらしい。なんだかようやく人間らしさを見れた気がする。
その後、デザートまでのコースメニューを頂いたのち、帰路につく事となった。
馬車までエスコートを頼んだが、まあとても雑なものだった。
というよりやり方など知らないのだろう。可哀そうなことに卒業式のパーティーが初だったということ。そこで婚約破棄などという大恥かかされたら、普通は戦争に発展しそうなものだが。
千年祭。
勇者と救世主の盟約。
両国にとってこれは何よりも大きいのだろう。
何故先祖はこのような盟約を定めたかは定かではない。
魔王を打倒した同士としての絆の証なのか。
はたまたかなわぬ恋を子供の婚姻で果たそうとしたのか。
だとするならばなぜ千年も期間を置かなければならなかったのか。
理由はどうであれ私はこの盟約を利用させてもらうだけだ。
新たな時代を切り開く。勇者の子孫としてではない。ミアラレーズの名を歴史に刻むために。