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ブラックミスト  作者: 蘭夢
9/19

現実と非現実の間に…

「賢斗…」


私、なんて馬鹿な母親……なのに許してくれるの?

あの夜も、あなたが待っているって分かっていたのに。

もっと早く帰っていたら…


そうしていたら…


──────────────────────────

…………………………

…………………


待っているって分かっていても、助けなければいけないって思っていても、身体が拒絶する。


あの家に帰りたくない。

ただそれだけの理由のために時間を潰す日々…


23:57


携帯電話の左上に小さく表示された時間に気がついて、嫌でも現実に戻される。


今頃あの子は…


「!!ゴホッ……に、苦…」


席を立つ前に、一口分残されていた珈琲を一気に飲むと、冷めて底に溜まった苦味に咳き込んでしまった。


「紗希子さん、大丈夫ですか?」


家から程近い所に、深夜まで営業をしているこの飲食店で、日付が変わるまで過ごすことが、仕事帰りの日課になっていた。


「だ、大丈夫です。」


すっかり常連客の私は、従業員に名前を覚えられている。

精算を終えて扉の前へ行くと、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。

こんな夜更けに何があったんだろう。


「救急車ですかね?」


そう言って従業員が扉を開けると、丁度よくサイレンの主が目の前の通りを横切った。


「本当だ。」


「事故かな?…紗希子さんも気をつけてお帰りくださいね!

雨も降ってるし…なんなら俺が家まで送りましょうか?」


「…近いから大丈夫よ。ありがとう。」


「紗希子さん、あの…俺、結構まじっすから…また明日、お待ちしております!」


「また明日ね!」


なんとなく、好意を抱かれている感じはしてたけど…

私には、家庭があるから。

そう、世間的にはごく普通の日常を過ごしている。

帰宅したらシャワーを浴びて寝て、起きたら支度をして仕事に行って…の繰り返し。

でも本当は、帰りたくなくてわざと遅く帰宅している。

家にいる時間を極力短くするために、誰とも話さないで過ごしている。

ただ、現実を見たくないだけ。

逃げたいけど、完全には逃げられない。


あの子がいるから…


助けたいのにできない…守りたいのにできない葛藤が、いつの頃からか、面倒なことから目を背けるようになっていた。

それじゃダメなんだと思う時もあるけど、それでいいんだって思い直す。


怖いの…


現実逃避していないと、私を保てなくなるから…

私だけが、いつも通りに過ごせればいい。

そう思うようになってしまった。


「?!」


角を曲がって自分が住む集合団地が見えた時に、いつもと違う光景に驚いた。

真夜中に人だかりができている。

救急車が1台、入口付近に横付けされていて、誰かが担架で運ばれて来たのだ。


何があったんだろう…さっきの救急車?



「 !!…!…!!!…!…!!!!! : : !!…!…!!!…!…!!!! … …!!……… 」



突然、バッグから携帯電話の着信音が鳴り響いて驚き、相手を確認すると、〚斎藤 一哉〛と表示されている。


夫だ…


「…はい。」


「おい!…おまえ!!今どこにいるっ?」


「は?」


「あいつ、飛び降りやがった……」


「何?」


「あのバカ!…ベランダから飛び降りたんだよ!」


「まさか…」


目の前で起きていることが、現実と非現実を結ぶ。


「け…ん、賢斗?」



キ───────────────────ン



「イッ…」


突然の激しい耳鳴りに襲われて、ガクガクと膝から体勢が崩されていく、両手で耳を押さえても消えることなく再び襲ってきた。


「アァ─ッ」


左手から滑り落ちた携帯からは、既に声はない。


どうしたらいいの?


どうしたら…


「賢斗君のお母さん?」


声の方を見上げると、どことなく見覚えのある女性が立っていた。


「……あなたは…」


鳴り止まない耳鳴りと、息子の身に起きたことを受け入れられずに朦朧とする中で、その女性の叫ぶ声が響く…


「急がないと!早く救急車に乗りなさい!」


「あ…」


それはサイレンを鳴らしながら、ゆっくりと前進して近づいて来ている。私は無意識に携帯を拾い上げて立ち上がり、両手を広げて叫んだ。


「止まって下さい!……止まって!!」



キッ…キキ─────ッ



「危ないですよ!下がってください!」


ブレーキ音と共に顔に当てられた車のライトに一瞬怯むも、スピーカーから届く機械のような冷徹な声に体が反応して、一歩踏み出していた。


「わ、私……その子の母親なんです!!」


無我夢中だった…のは、覚えている。

本能なのだろうか、いつもと違う言動と行動。

こうなってしまうまで、できなかったなんて…


「間違いありませんか?」


後方ドアを開けた先には、変わり果てた息子の姿と、蒼白に歪んだ表情をした夫の姿があった。


「家内だ…紗希子、早く乗れ。」


震える体を救命士に支えられながら、瀕死の息子に触れた時に、これは何かの悪夢に違いないと、ドアが閉まった直後に再び鳴り始めたサイレンによって現実に戻されるまで、信じられずにいた。


「賢斗!」


泣き喚きながら顔を埋めた体は、細く冷たく、そして衣類に付着した夥しい出血の跡と、鉄が錆びたような生々しい血の匂いに咽び気づく。


私が現実逃避した代償だと。


…今朝の事を思い出す。

いつも通り支度をして、誰にも何も言わずに家を出ようとした時に、聞こえてきた声。


「お母さん、行ってらっしゃい。」


私は振り向きもせずに、ドアを閉めて歩いていた。

それが私の日常だった。


時計を見ると、0時30分になろうとしている。


「ごめんなさい…」



今日は、賢斗の誕生日なのに……








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