現実と非現実の間に…
「賢斗…」
私、なんて馬鹿な母親……
なのに…許してくれるの?
あの夜も…あなたが待っているって、分かっていたのに…
もっと、早く帰っていたら…
そうしていたら…
─────────────────
────────────
……………………………
………………
待っているって分かっていても、助けなければいけないって、思っていても…身体が拒絶する。
あの家に、帰りたくない。
ただ、それだけの理由のために、時間を潰す日々…
23:57
今頃、あの子は…
「!!ゴホッ……に、苦…」
底に溜まっていた珈琲の苦味が、まるで…現実逃避している私を戒めているように…
「紗希子さん、大丈夫ですか?」
仕事終わりに、深夜営業をしているこのレストランで、日付が変わるまで過ごすことが、私の日課になっていた。
「だ、大丈夫です。お会計…お願いします。」
ピ ───ッ ポ ────ピ─────ッ
サイレン……
こんな夜更けに…何があったんだろう。
「事故ですかね?紗希子さん、雨も降ってるし…俺が、家まで送りましょうか?」
「…近いから大丈夫よ。ありがとう。」
「紗希子さん、あの…俺、いや……また明日、お待ちしております!」
「また…明日。」
すっかり常連客になってしまった私は、店主に心を開いていたのは確か。
好意を抱かれているという…実感はある。
…嫌な気はしない。
寧ろ、そちらの世界に連れて行って欲しいと、願ってしまう。
…でも、私には家庭がある。
本当は既婚者であること、子供がいるという現実を伝えなければいけない。
そして、あの子がどんな生活をしているか…ということも、伝えなければいけないだろう。
それを知ったら、どう思う?
言うまでもない。
悩む必要もない。
本当の私を…知られたくない。
それが本音。
だから…私は、非現実を創り上げて生きている。
私は、独り暮らしで、家と会社の往復が日常。
家事が苦手で、食事は全て外食で済ます。
休日も家に居ることはなく、知らない街を歩くことが唯一の楽しみ。
これは…現実逃避するために、創作したもう一人の自分。
現実に近からずも遠からず、曖昧に騙してきた。
他人も自分も…
現実に向き合うのが…怖くて。
現実…
冷めきった夫婦関係。独りになりたくて、家は仮眠と服を替えに行くだけの場所になっている。家に居る時間を極力短くするために、誰とも話をしない…
話さないように…している。
現実を見たくないから。
逃げたいけど、完全には逃げられない。
あの子がいるから…
助けたいのにできない…守りたいのにできない葛藤が、いつの頃からか、面倒なことから目を背けるようになっていた。
それじゃ、ダメなんだと思う時もあるけど…それで、いいんだって思い直す。
怖い…
現実逃避していないと、自分を保てなくなるから…自分だけが、いつも通りに過ごせればいい。
そう思うように…なってしまった。
ピ ───ッ ポ ────ピ─────ッ
「………え?」
救急車…さっきの?
集合団地に、人だかりができている。
深夜に、こんなこと初めて…事故?
なぜか、胸騒ぎがする。
プルル……プルル……
びっくりした…こんな時間に電話してくるなんて、誰よ?
〖斎藤 一哉〗
夫だ…
「…はい。」
「おい!…おまえ!!今どこに居るっ?」
「は?」
「あいつ、飛び降りやがった……」
「何?」
「あのバカ!…ベランダから飛び降りたんだよ!」
………え?
「まさか…」
非現実でしょ?
「け…ん、賢斗?」
キ ─────────────────ン…
「いっ…」
…耳鳴り?!
「痛っ……」
キ ─────────────────ン…
何が起きてるの?
分からない…
どうしたらいいの?
何をしたらいいの?
分からない…
分からない…分からない…分からない……
……分からない…分からない…分からない!!
『賢斗君のお母さん?』
だ……誰…?
どこかで…見覚えのあるような………
「……あなたは?」
キ ─────────────────ン…
『お母さん、急いで!』
「あ…」
また…耳鳴りが………
「…痛!」
サ ────ッ……サ ────ッ……サ ────
脳内に響く雨音……膝が震えて動けない…
これは…現実?
そんなはずがない…そんなはず…
キ ─────────────────ン…
『救急車に乗りなさい!』
キッ…キキ ────────ッ
「危ないですよ!下がってください!」
「わ、私……その子の母親なんです!!」
母親…なのだろうか…
私は…母親だったのだろうか……
「間違いありませんか?」
「家内だ…紗希子、早く乗れ。」
後方ドアの中から、夫が…赤黒い物体を指している。
まさか…
「…賢斗?」
…………現実?
非現実よ!
ちがう…これは賢斗じゃない!
こんなの……ありえない……
「ちがう…よね?」
頭から…血が出ていて…
………顔も…分からないし…
「お前の子だよ。小汚いTシャツ着てんだろ?」
これ…去年の…
「ああ……あ…」
…今朝も、いつも通りだったのよ?
でも、家を出ようとした時に…聞こえてきたの。
── 「お母さん、行ってらっしゃい。」 ──
私は…振り向きもしなかった。
それが、私の日常だったから…
「あああ…ぁ……」
今日は、賢斗の誕生日なのに……
「………あああああぁ…」
これは…現実から逃げた…
「……ごめんなさい。」
代償…………
サ ────ッ……サ ────ッ……サ ────




