鋭い眼の男
お父さんじゃない?
聞き覚えのない滑らかな声…でも、目を閉じていても分かる。あの人とは違った、強く重々しい威圧感がするということ。
「目を開けなさい。」
怖い…震えが止まらない。
「恐れることは無い。」
─ドクンッ─
漆黒の着物?
長髪を後ろに束ね、鼻先まで伸びた前髪の隙間から、鋭い眼が僕を刺すように見ている。
刀を二刀脇差しにしている?……侍?
「誰?…です…か?」
怖いけど…あの人のような禍々しい恐怖は感じない。
「君と契約を結ぶために来た者だよ。」
「…契約?」
何を言っているんだろう。契約って…
「そう。幾つか質問をするから、君はそれに答えればよい。そして、お互いに納得がいけば契約が成立する。」
そうか、これは夢なんだ!
あの人に殴られすぎて、こんな変な夢を見ているんだ。
だから部屋が片付いているし、お母さんがご飯を用意してくれていて優しいし…僕に話しかけてくれるし…
変な夢?…本当に?
パラレルワールドでもなく、これは…
「難しく考えずに、感じたままを答えるように。」
一瞬で思考が止まった。
とても冷たく、鋭い眼をしている。
嘘をつくなと言いたいのだろう。
「では、始めることにしよう。あまり時間がないようだ。」
無表情で、淡々とした話し方。
人ではないような冷たい感じ。
後ろにいるお母さんは、まだぼんやりしているけど、この人は何故かしっかりと見える。
「君は本当に死にたいのかい?」
質問の内容に驚いた。
死にたい?って僕、生きてるの?
そう、生きてるという実感がなくて…
これは、夢でもパラレルワールドでもなく、願望んでいた死後の世界に居るんじゃないかって、思っていたところだったのに…
僕は、まだ生きていたんだ…
「死にたいです。」
「何故、死にたいんだい?」
何故…?
「…自由になりたいから。」
─ズキッ─
鋭い眼が、心臓に刺さったような小さな痛みを感じた。
「死ぬことが、自由になれることだと?」
─ズキッ─
「今よりは…自由になれると思う。」
痛い…何で?感じたままを言っているだけなのに。
「君が思っている自由って何かな?」
僕の言葉を予想するかのように、顔を覗き込ませてくる。
「それは…」
僕にとっての自由とは?
「お父さんの居ない世界。」
もう二度と暴力を振るわれたくない。
「なるほど…つまり、父親から逃げることが君にとっての自由なんだね?」
あの人から逃げることが、僕にとっての自由?
─ズキッ─ズキッ─
「だから、死にたいんだね?」
痛い……痛い………
「ち、違う…」
「他に何があるんだい?」
他に?
その鋭い眼が、僕の瞳をしっかりと捕らえて逃げられない。
「僕は…………」
僕は?
「僕は、いらない人間なんだ。」
まるで、透明人間のように…
「誰からも必要とされていない。」
僕という存在を消されているような、生きているという実感がなく、ただ…そこに居るだけの存在。
「お父さんが毎晩僕を殴るのは、僕がいらない子だから。お母さんは、僕が殴られていても…知らない振りをして、いつもどこかへ行ってしまう。」
そうなんだ…
「みんな僕のことなんて、どうでもいいんだ!」
今まで思っていても口に出せなかったことが、どんどん堰を切ったように出てくる。
「どうでもいい人間は、この世界から居なくなっても何も変わらない!…寧ろ、居ない方がいいんだ!」
お父さんの居ない世界は、僕にとっての自由であり、僕の居ない世界は、お母さんに…僕の存在を知らしめることになる。
そうなればいいと思った。
「だから、死にたい。」
─ズキッ─
「うぅ…」
こんなにも感情を表したことはなかった…
「……承知した。」
眠い………
冷たい掌を額に感じる。
「君に伝えたいことがある。」
意識が…遠のいていく。
「死とは、決して自由ではないということを…」