記憶
その後の事は、よく覚えていない。
先生たちは、それぞれの仕事に呼ばれて、お母さんも…明日、また来ると言って、帰ってしまった。
そこまでは、なんとなく覚えている。
目が覚めたら、真っ暗だった。
そうだ、あの人…居るかな?
あの鋭い眼の人。
「あの……いらっしゃいませんか?」
段々、暗闇に目が慣れてきて、部屋を隅々まで見渡したけど…それらしい人は居ない。
「はぁ…」
いつも、居るわけではないんだな…
僕の目…
オレンジ色とか…人間じゃないみたいだ。
これから先、気持ちが悪いとか言われ続けて、生きて行くのかな……?
「はあ……」
…………………………
…ピシ……
…ピシッ………ピンッ…
…………パシッ…
『クスクス…』
笑い声…?
『クスクス……』
「誰?」
『…オニイチャン』
女の子?
『オニイチャン……アソボ…』
女の子がいる…こんな時間に?
─ 『何でも聞こうとしては駄目だ!
人ならざるものに油断をしてはならない。』 ─
あの人の言葉を思い出した。
困ったな…
『オニイチャン?…アソボ!』
5歳くらいだろうか…おかっぱ頭の女の子が、ベッドによじ登ってきて、僕の顔を覗いている。不思議だけど、全く怖くない。
普通に生きている子が、そこに居ると思ってしまう程に。
「ごめんね。お兄ちゃん、病気だから遊べないんだ。」
返事したらダメだと分かっていても、こんなに屈託の無い顔をされたら、無視できないよ。
『ビョウキ?…イタイ?』
「うん…痛いよ」
『テ?…オナカ?』
「手もお腹も痛いよ…」
……お腹空いたかも…
『アシ?』
「足は…折れてるみたい。」
『イタイ?』
「痛いよ。」
『セナカ?』
「いっぱい痛いよ…」
お父さんの痣がいっぱいあるから…
『アタマ?』
「悪いよ…」
『イタイ?』
「…痛いよ」
冗談は通じないらしい。
ちょっと…楽しい気持ちになった。
『イタイノ…イタイノ………トンデケ!』
両手を広げて…
天井に向けて……何かを放った?
───────フワッ───────
「…?」
嘘だろ?
痛みが…和らいでいる?
『オメメ…』
あっ!…治してっ
「痛いよ…すごく痛いよ!」
『…キレイ…』
「え?」
僕の目に、キスをしてくれた。
とても優しい…キス…
『オニイチャン…バイバイ』
「ま…待って!」
行ってしまった……
妹がいたら…こんな感じなのかな…
小さくて、柔らかくて…
屈託のない笑顔…
なんだか…ほっこりする。
「可愛かった…な…」
……………………………………
……………
眩しい…
「…朝?」
カーテンの隙間から、朝日が差している。
「…ふああ…あぁ…」
まだ…眠いなぁ。
「…あっ。」
あれ?
体が動く…
上半身…上がった?
欠伸して…その勢いで上がった?
昨日は、全く上がらなかったのに…?
もしかして…
─ 『オメメ…キレイ 』 ─
昨日、手鏡を置いていってくれてよかった。
再チャレンジしてみよう…
もしかしたら…
あの子が、治してくれたかも……
目を閉じて…
深呼吸…深呼吸…深呼吸……
どうだ?
「オレンジ…」
ダメか………
期待は見事に外れたけど、なんだろ…違和感が薄まった気がする。寧ろ、馴染んでいる?
「う……ん。」
何となくだけど…昨日は、もっとハッキリした色だったような?
「う……ん。」
自分に気休めはやめよう…変わってないものは、変わってないんだから。
そういえば…僕、何か重要な事を忘れてないかな?
「えーと…」
そうそう、あの人が言っていた………
彼女のことだ!
自分の姿を見たら思い出す?
見ているけど…全然思い出せない。
「…モヤモヤする。」
〈ガラガラガラガラッガラガラガラガラッ〉
廊下の方が騒がしいな…
どうしたんだろう……気になる……
歩けるかな…
「よいしょ!」
右足が折れていて、膝下はギプスで固定されているから…左足に重心をかける…と。
─ピリッ…
「うっ…」
びっくりした。
左足を床に着けた瞬間、痺れてすごく痛い…
「ダメかぁ…」
───────フワッ────────
また、あの風……
「あっ…動く…」
鋭い眼の…あの人が居る?
風が吹いた後に、体の自由が利くようになっているのは、確かだ。
「あ…あの……?」
ドアの前に居る。
無表情で、手招きしてるんだけど…怖いな。
『来なさい。』
不思議な感覚…フワフワと体が自然に動いて、痛みというか…体の重みしか感じないし、壁伝いにドアまで進めた…僕の体は、どうなった?
まだ、夢の中みたいだ…
それにしてもあの人…追いついたと思ったら、ドアを通り抜けて行ってしまった。
「待って!」
やっと廊下に出られたのに…今度は、隣の部屋に入って行くって…
「あや!…あやぁ!!」
え?
誰かが叫んでいる?
『賢斗…早く来なさい。』
何が…
何が起きて…いるの?
「あっ!…」
あの子だ…昨夜のあの女の子…
入院…してたんだ…?
でも…その姿は、とても生きているようには…見えない。
泣きながら、必死にこちらに呼び戻そうとしている女性は、君のお母さんだよね…
もう、助からないの?
……助けたい。
「あ、あの…あの子を…あやちゃんを助けてもらえませんか?」
無言で…首を横に振られた。
なんで?
あなたなら、できるでしょ?
「お願いします!」
……無表情に同じ反応をされた。
「僕は…あやちゃんに会ったんです。」
─ 『オニイチャン…
イタイノ…イタイノ…トンデケ! 』 ─
「お兄ちゃん遊ぼって……僕の目がきれいって言ってくれて、だから…元気になったら、いっぱい遊んであげたい。…お願いします!」
神様に縋るような思いで、精一杯頭を下げた。
『君は、何か勘違いをしている。』
「勘…違い?」
『そう、頭を上げなさい。』
…なんだかとても、辛そうな顔をしているのはどうして?
『いいかい?私の契約者は君だ。この少女ではない。まして、少女を君に仕向けたのは、私だ…』
え?
仕向けたって…
「どういうこと?」
分からない…
何がどうなって………
『理由は、部屋で話そう。』
…………………………………………
「あの…あやちゃんを僕に仕向けたって、どういうことですか?」
壁に寄りかかって、また辛そうな顔をしている。
具合が悪そうだけど……
『残りの命を、君に譲ってもらえるように…お願いした。』
?!
「…何で!!」
怒りなのか、悲しみなのか、驚きなのか…わからない。いろんな感情が沸き上がってきて……
涙が………
『そろそろ、彼女の時間がない。早急に動いてもらう必要があったからだ。勿論、無償ではないがな…』
「…そんな勝手な理由で、命を奪ったの?」
『違う!!』
── ビクッ ──
眼光が強くて…体が震える。
けど、怯むわけにはいかない。
「じゃあ、何で?…どうして?」
『…奪ったのではない!条件付きで、譲ってもらったんだ。』
意味がわからない…
「同じだよ…いらない!…今すぐ戻してよ!」
あやちゃんの命を……
「戻してよ!!」
こんなにも…感情を現したことはなかった。
ずっと我慢して、我慢して、我慢して…
自分を押し殺していたから…
『そうか…君は、随分と勇ましくなったんだね?…そして、とても元気そうだ。まるで何事も無かったかのように……』
何事も…ない…?
「そんな訳ないじゃない!」
『では、疑問に思わないのかい?』
「……何を?」
『君は、ベランダから飛び降りた。何階だったかな?』
「…7階です。」
『7階から飛び降りたら、普通はどうなる?』
普通は…どうなる?
どうなるって…それは…
「即死…だと思います。」
『君は、どうかな?』
「僕は…」
僕の…体。
右足の骨折と、頭部に少し損傷はあるけど、頭はしっかりしている……
そして…
「…生きています。」
…奇跡としか言いようのない状態で、僕は…生きている。
『何故、生かされたのか…まだ思い出せないのかい?』
大きな掌が、僕の目と頭をすっぽりと包む…
何故、生かされたのか。
何故、生きなければいけないのか…
ズキン……
胸が締め付けられる。
ズキン…
自ら命を絶ったのに…
手を差し伸べてくれた人が…いた。
その人は、残りの人生を…
僕に…託してくれた。
ズキン…
胸が痛い。
《私の顔を忘れないでね…》
その人は…
とても優しい笑顔で…
僕のことを本当の息子のように…
…愛情をくれた人。
そう…
「僕は…大切な命を……いただきました。」
生かされなんだ。
『誰に?』
《忘れないで…会いに来て欲しいの…》
《必ず…必ず…お願いね。》
その人は…
綺麗な、琥珀色の瞳をしていた。
《私の名は…》
「…ミユキさん。」
── ドクンッ ─────
全てを思い出した。
あの世界で起きた全てを…思い出した。
── ドクンッ ─────
死後の世界。
「うわああああぁぁぁ………!」
断片的に、覚えていたことが…
全て繋がった。
「…ぁああああああぁぁぁ………」
怖い……
無という絶望を知った僕が…
これから先…
生かされた命を背負って…生きていくんだ。
生かされた…
命の重み…とは……?